くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

エール 若鷲の歌作曲秘話

 

今日の物語で若鷲の歌作曲秘話が克明に語られていた

当初は西条八十の歌詞に基づいて長調の明るい曲を用意していたらしいのだが。

自分の作曲に納得できなかった祐一君。

頼み込んでわざわざ予科練の合宿所に1日入隊をして作品のイメージを膨らませようとしたのだ。

1日のつもりだったが、実際は2日間ほどかかると設定されていた。

そうして作った曲が現在我々が知る若鷲の歌。

なるほどと思えるエピソード。

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当時の予科練訓練風景

目次

予科練体験入隊

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ちなみに寝床はハンモックだったね

今日のエールの舞台となった予科練回体験入隊。

調べてみるとどうやら昭和18年頃の設定になりそうだ。

今、エピソードで描かれている映画「決戦の大空へ 」

この作品が作られたのが1943年とあるので、ちょうど昭和18年の話になる。

さて体験入隊とは言え、訓練生たちと寝食を共にする話。

ハンモックで寝ていたんだよね。海軍だから船に乗船することを想定していたみたい。

朝起床してから床を雑巾がけをするシーンがあったけれど、あれはの甲板を束ねたワラでゴシゴシこすって磨くやり方をそのまま踏襲していた。

海軍の船乗りたちは、よく知る言葉月月火水木金金で1週間休みなしが歌い文句。

今日の番組で語られていたほんのさわりの部分が当時の様子をなんとなく想像させる。

ハンモックで寝たことがないのでわからないけれど、あれで寝られるんだろうかね?

ちなみに、戦艦大和とか武蔵とかはハンモックではなかったはず。

彼らはきちんとした3段ベットのようなものを用意されていたと思った。

しかし他の駆逐艦レベルの戦艦ではハンモックで寝るしかなかったようだね。

隊員たちの思いを受け止める祐一君

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とある隊員の思いを受け止めることに

祐一君には体験入隊から得られるものをインスピレーションにして作曲したい思いがあった。

しかし、1日過ぎてみてもそんなに何かひらめくわけでもなく。

宿舎の様子を少し見学してみるととある隊員と一対一で話をする機会が 。

訓練はそれなりに厳しいけれど、体力的にはある程度慣れるとのこと。

訓練をしてみて分かった事は、自分の家族だった母親がどれだけ苦労して自分自身の世話をしてくれたか。

例えば洋服などはきれいなのが当たり前と思っていたが、海軍での寄宿舎生活では自分で洗濯をしなければならない。

これが慣れない男の子だとかなり辛いとの告白だったね。

当時の日本の軍隊の訓練は海軍陸軍にかかわらず激しいことでよく知られていた。

映画などでも結構詳しく描かれていた気がする。

中国の関東軍について描いた映画で人間の条件があったが。

あの中で描かれていた兵隊たちの様子が史実に忠実だったのではと思い出してみる。

あの映画は10時間を超える大作だった。

確か映画館に行って泊まりがけで見た記憶が。

まだ20歳そこそこの若造だった私もずいぶんと考えさせられた記憶が今でも残る。

戦争を経験してきた人たちには男性女性問わずそれぞれ苦しい思い出があったに違いない。

できることならきちんと記録として後世に残したいもの。

完成若鷲の歌

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2曲を披露してどちらかを選んでもらう方式

隊員と話したことでインスピレーションが湧いた祐一君。

発表の当日、朝血相かかえてやってきた三隅さんに曲想が出来上がると5分ほどでかけたんだよねと報告 。

あの若鷲の歌がわずか5分ほどで作曲できたのはこれは多分にモッた話でもあるだろうが。

古関裕而さんの天才性が伺い知れると言うもの。

ちなみに発表会が教官や隊員たちの前で最初に作ったものと、予科練の寄宿舎で作ったものと2曲披露されてどちらかを決めてもらうことになったのだ。

教官達はほぼ全員が明るい最初に作った曲を選んだ。

そんな中1人の教官が隊員にも聞かせてみようとの配慮。

聞かされた隊員たちはなんとほぼ全員が寄宿舎で作った短調の曲を支持

結局隊員たちの意見が採用される形に。

今ではほとんどの人が知るこの歌がそれ。


若鷲の歌

 YouTubeから転用させていただいたが、当時の映像が流れているので名曲と相まってよく伝わるのではと採用。

祐一君は人から頼まれると必死に頑張って願いに答えようとする。

この曲もそうした兵隊たちの思いがしっかりと反映されているのだ。 

まとめと当時の時代背景

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家族の思いとは裏腹に日本は劣勢だった

今日の物語で何気なく語られていたけれど鉄男君の情報でどうやら戦地慰問の話が 祐一君にあるらしい。

このエピソードもモデルとなった古関裕而さんと同じ。

当時日本国内では大本営発表のニュースが広く知れ渡ることになっていたが、実際の戦況を詳しく伝えていたわけではない。

今では誰もが知っているが日本が勝てたのは真珠湾攻撃のみ。

それ以降のミッドウェイ海戦を始めすべてボロ負けしてきている。

この当時霞ヶ浦で予科練の訓練生として活躍していた兵隊たちは後に特攻兵として選ばれることに。

この昭和18年はあの山本五十六が戦死した年でもあるのだ。

中国戦線、またこれから祐一君が慰問に訪れるビルマ戦線などほとんど泥沼化していた。

この段階ではもうすでに勝てる戦いではなくなってきているが、一体どれぐらいの人たちがそのことをきちんと受け止めていただろうか。

日本人が本来持っていた優れた資質が戦争の名のもとに悪用され、国内はかつてないくらい厳しい状態になっていたと言える。

今エールで描かれているこの辺の事情こそが、この物語の最も重要な部分と思われるので、私も思わず力が入ってしまう。