今日描かれたエール。
番組の制作スタッフたちの特別な思い入れが込められた15分だった。
タイトルコールもなく物語はいきなり始まる設定。
過去にも朝ドラでこういった手法がとられた事は何度か記憶にあるが、今回は物語の性質上、戦争の記憶をどれだけきちんと描けるかに心血を注いだに違いない。
製作者としての心意気に心から賞賛を送りたい。
目次
帰国 故郷福島へ
無事に慰問を終えた後は日本に帰国することを許された。
真っ先に向かったのは疎開先の福島。
懐かしい家族との再会はうれしいに違いないが、祐一君は心の中に回復できないほどのトラウマを抱えていた。
目の前で恩師藤堂先生が銃弾に倒れて亡くなってしまった。
さらに、他にもいた部隊の兵隊たちもことごとく戦死した事実を目の当たりに!
軍属ではない祐一君は藤堂先生に守られる形で生き延びることができたようなもの。
昨日の戦闘シーンは戦争映画を見るような半端でない迫力を感じた。
特に、着弾シーンの生々しさ。
撮影や制作スタッフの本気度がわかると言うもの。
番組放送後の朝イチでもさらりと報告されていたが、ネットではあそこまでやる必要はないだろうとの辛口の意見もちらほらあったと聞いている。
しかし暇つぶしのドラマを作っているわけではない。
本気で戦争体験をくぐり抜けてきた作曲家のエピソードを描いているのだ。
手抜きをせずにきちんと描こうと思えばこのリアリティーは必要だったはず。
藤堂先生の遺族に報告
福島に帰って最初にしなければならなかったのは、
藤堂先生の奥様昌子さんに遺書とも言うべき手紙を渡すこと。
手紙がドラマの中で詳しく紹介されていた。
この手紙を君が読んでいると言う事は僕はもうこの世にはいない!
何と言う過酷なものの言い方だろうか。
手紙の最後の方で語られていた、君に会いたい
この当時戦場で亡くなった人たちが皆抱いた気持ちに違いない。
皆家族を残して戦場に赴いた。
死を覚悟していたとは言え、いざ死ぬときに心に浮かんでくるのは、自分たちにとって大切な人たちの事だったに違いない。
残された人たちは、一体どんな思いで亡くなった兵隊たちの気持ちを受け止めればいいのか。
エールでは、残された家族の気持ちや、亡くなった兵隊たちの有り様をびっくりするほど冷ややかに描いていたかもしれない。
作曲が拷問に
この詩の中に出てくる言葉
いざ来いミニッツマッカーサーは作詞家西条八十がしぶしぶ書き記した言葉。
国威発揚とは言っても、ここまであからさまな文章をを歌にしなければならなかった。
このような拷問に近い作曲活動をモデルだった古関裕而さんは強いられていた。
職業作曲家たる所以。
依頼されたならば、その依頼に沿うように全力で仕事に取り組む。
このときの作曲活動はほとんど拷問だったに違いない。
豊橋では
キリスト教に入信した五郎君。
ピュアでまっすぐな心の持ち主の五郎君。
彼はキリスト教の教えをしっかりと深く学びたいと決意していたようだ。
そのためには集会に参加してより深く教えに接したい。
既に光子さんも梅ちゃんも集会参加を見合わせていたにもかかわらず、彼は律儀に参加しようと。
その結果、つかまって拷問を受けることに。
さらに、自分の正しいと思ったことを絶対に曲げようとはしない。
他の人が罪を認めて釈放されたにもかかわらず彼だけは拘束されたままだったのだ。
豊橋の関内馬具店は終戦間際になって空襲の被害にあった。
ほぼ全焼してしまった家。
その中には職人の岩城さんや梅ちゃんも火災に巻き込まれてしまっていた。
この時代そんな話は全国至る所にあったようだ。
既に東京だけではなく大阪や九州、それ以外の全国の主要な都市はすべて空襲の対象となっていた。
このブログであまり生々しい事は書きたくないが、しかしこれらの空襲は木造家屋の多い日本の住宅を焼き尽くすための無差別攻撃。
一般市民に対する攻撃で、明らかにハーグ陸戦条約に違反している。
今さらこんなことを言っても始まらないが、すでに戦争は負けていた。
まとめ
この当時の祐一君は請われるままに作曲をし続けていた。
それが明らかに自分の思いとは裏腹ではあっても、頼まれるがままに全力で取り組んでいたのだ。
そして迎えた終戦。
大勢の犠牲者と、残された家族に与えられた絶望的な試練。
私の中で感じる太平洋戦争の記憶と言えばそのことに尽きる。
番組放送後の朝イチでも、そのことについて番組コメンテーターが語っていたが、僕が生まれた時で戦争から25年経った程度だったので、その当時はまだ戦争の生き証人たちがいっぱいいたと思うと。
ちなみに私は昭和28年生まれなので終戦後の8年後の誕生。
我が家では父親が従軍経験があったので、飯合とか当時の備品が何点か残っていたと記憶する。
戦争中の体験談もたくさん聞かされたが、何かの機会で父親の思い出話として紹介できることもあったらいいなと考える。
エールはいよいよ物語の後半戦に突入。
この作品はコロナ騒動などがあってずいぶんと被害を受けたような気がするが、それでもここまで重厚に作られていることに私は大いに納得している。