くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

エール 終戦…僕は音楽が憎い…

 

ついに終戦の時の玉音放送もドラマの中では描かれた。

戦争は終わったとの実感がひしひしと湧いてくると言いたいところだが、実際のところ疲弊しきっていた人たちには一体どれほどの思いがあっただろうか。

心から喜べた人がいる反面、310万人にものぼる犠牲者。

そしてその犠牲者を家族に持った残された人たち。

私の個人的な思いではこのときの日本人全ては戦争犠牲者。

それは命のあるなしは関係ないと考える。

死者も生者も皆犠牲となった。

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弘哉君も戦死

目次

終戦は心の中で簡単にケジメが付けられることではなかった

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藤堂先生の遺書

ビルマ慰問から帰ってきた

祐一君には最初に藤堂先生の遺書を届ける役目があった。

このシーンが奏でる切なさは、およそ物語の領域には留まらなかったと感じた。

番組の制作スタッフによるとこの文章は演じた森山直太朗本人のものだと。

こんな話は全国至る所にあったのだ。

亡くなられた人たちももちろんお気の毒だが、残された家族も匹敵するだけの苦しみや悲しみを味わうことに。

エールのモデルとなった古関裕而さんはそんな痛みと苦しみと辛酸を舐めつくして、戦後の活動に臨むことになる。

実際に終戦直後は音楽から遠ざかったと記録に残る。

とても作曲などできる状況ではなかったし、また絶対に関わらないと心に決めていたようだ。

福島疎開から東京へ戻る音ちゃんと華ちゃん

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玉音放送

音ちゃんと華ちゃんは福島の喜多一で玉音放送を聞くことに。

日本が負けた事実はある意味想定はされていたが、簡単に受け入れられたとも思えない。

様々な立場の人がいたが、一般国民と要職について社会活動をしていた人たちでは感じ方が違ったかもしれない。

この時代の日本はおよそ国として成り立っていなかったと言える。

特に空襲を受けた東京や大阪など主要な街での混乱が限度を超えていたと言える。

食料等が特に手に入りにくく、闇市が横行した。

この当時まともに食料を手に入れられた人たちは農家など、自給自足に近い生活をしていた人たちだけ。

都会で常に食料を買い物していた人たちなどは、想像を絶する苦しみがあったと聞いている。

そんな中、音ちゃんと華ちゃんは福島を離れていよいよ東京に戻ることに。

豊橋の惨状

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梅ちゃんも岩城さんも重症を負う

東京も凄まじいことになっているが、豊橋も終戦の2ヶ月ほど前に街がほぼ消失するような爆撃を受けていた。

関内馬具店も火災になって全てを失うことに。

その時に梅ちゃんと岩城さんが火の中に飛び込んで重症を負う。

お母さんの光子さんが焼け跡で思い出と共に歌っているシーンがあまりに印象的。

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女優薬師丸ひろ子は歌手もこなす

お母さんの歌声が家族の被った悲劇を余すことなく表現していたと思う。

このお母さんは今回初めて歌ったのでは。

今までのエールでは踊るシーンはあっても歌うシーンはなかったと記憶。

もともとプロの歌手としても活動しているので、歌のうまさは他の出演者達と何ら変わらない。

傷跡

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このシーンの重さは想像を絶するものが

犠牲となられた方は命を落とした。

残されたものは心に回復不能な傷跡を持つことに。

それらは今はもう過去の話だが、この時代を生きた人たちは全員が犠牲者だと思って良いのでは。

そして私たちはその子孫にあたるので、皆押し並べて遺族と言える。

そういえば、華ちゃんがほのかに恋心を抱いていた弘哉君も戦死したようだ。

確か彼は予科練に入ったと思う。

壊れたハーモニカが帰ってきたので、特攻兵ではなかったのかな。

ただし予科練で訓練した生徒たちは何らかの形で前線に配属されたはず。

船でも飛行機でもメカニックなどのバックアップ要員は必要不可欠なので、そういったところに配属されれば、亡くなり方も変わってくるのかも。

弘哉君の戦死の報告は祐一君がお母さんから直接聞くことに。

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僕は若者を死なせるために音楽を作っていたのか⁉️

自分が大好きだと信じてやまなかった音楽。

しかし、それは軍事利用されて道具として戦争に加担させられた

軍歌の覇王 これがモデルとなった古関裕而さんの称号。

彼は軍歌を作曲することで名声を博していた。

戦争が終わってみるとその需要は消失。

彼の心の中は後悔と自責の念とそして悲しいかな音楽に対する憎しみで埋めつくされる。

およそ作曲などできる状況にはならなかった。

この傷跡はあまりに深く、長く音楽から遠ざかることになってしまう。

新たな音楽活動への布石

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北村有起哉 私の中で評価が著しく高い俳優の1人

戦争直後からNHKはどうやらできていたらしい。

この当時の放送はラジオのみ。

ただし放送といっても自由気ままにできたわけではない。

誰もが知っていることだがGHQと呼ばれる日本を占領するアメリカ軍が進駐していた。

そこの規制が驚くほど厳しく思い通りのことなどできなかったようだ。

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GHQの下部組織CIE 主に文化統制を行った

これらの厳しい統制の中、ラジオドラマの制作に励む作家。

池田二郎

彼がどん底に落ちている祐一君を再び音楽の世界に呼び戻す。

今週のエピソードはこれで終わりなので、来週以降は彼と祐一君の活躍が描かれることに。

戦後ヒューマニズムあふれる音楽を作り続けた古関裕而さんは、職業作曲家として再び活躍の機会を与えられる。

調べてみるとたくさんの名曲も番組の中で紹介されるはず。

戦前戦中戦後と昭和を駆け抜けた大作曲家の叙事詩として描かれるのでは。