およそ朝ドラとは思えないほどのリアリティーを伴った1週間。
1人の作曲家の生涯を描いた物語だが、太平洋戦争を経験してきた事実を克明に描くためにはどうしても必要なエピソードだったようだ。
ネットの様々な論評やニュースをチェックしているが、俳優たちの演技もさることながら制作スタッフたちの本気モードが随所に感じられた。
個人的に戦時中の様々な情報を見聞きしている私にとっても、驚くほどの信憑性で描かれていたなと納得することしきり。
目次
ビルマに戦地慰問
配属先は機密事項で知らされてはいなかったが、行って見た先は当時のビルマ。
あの悪名高きインパール作戦真っ最中の大激戦地。
よりによってこんな泥沼の前線に配属されるとはね。
祐一君が慰問した後、ほどなくしてこの作戦は中止となった。
投入された兵隊たちはおよそ9万人。
生きて帰って来れたのは一万人とちょっと。
他はみんな熱帯特有の病死か餓死したと聞いている。
このブログでも他のブログでも散々紹介してきているが、インパール作戦は史上最悪の作戦。
満足な補給計画もなく、上からの命令だけで熱帯のジャングルの過酷な行軍を強いて無駄に命を散らせてしまった。
日本軍は様々な作戦行動で負け続けていたが、この作戦はお粗末な点では代表と言える。
祐一君のモデル古関裕而さんもビルマ戦線に配属されたと聞いている。
エールは史実に忠実に描かれていたとつくづく感心する。
本誌藤堂先生との再会そして別れ
危険を犯して藤堂先生のいる前戦まで慰問することに。
音楽家への道を示してくれた大恩人との再会で、危険を犯していることも忘れて感激で胸いっぱいになる祐一君。
当時の慰問活動はこんな感じだったのかとなんとなく想像していたが。
この物語ではそんなに甘いものではなかった。
この直後に敵の銃撃を受ける。
そして祐一君の目の前で藤堂先生が銃弾を受ける。
必死で助けようとする祐一君、しかし先生は腕の中で息を引き取ってしまった。
朝ドラの領域を遥かに超えたレベルでこのシーンは撮影されていた。
特に着弾シーンの生々しかったこと。
目の前でバタバタと兵隊が撃たれて死んでいく。
それを目の当たりに目撃する祐一君。
先生に守ってもらった形で何とか生き残ることができたが、間違いなくトラウマとなって心に残ったはず。
戦争中の作曲家とは
この当時、海軍も陸軍も御用達の作曲家として古山祐一をフル活用していた。
請われるままに全力で作曲し続ける祐一君。
しかしそれは自分自身の平和への願いを押し殺しての活動だった。
優れた感性と作曲センスで成り立っていた祐一君の活動は、時間が経つにつれて疲弊の度合いを増して、やがてはどこにたどり着くのか、本人にもわからないまでになっていた。
作曲しながら、いくつかの疑問も心の中に。
自分の音楽は人々を戦争に駆り立て、死に追いやっている⁉️
そのことを考えるととてもまともでなんかいられなかった。
この無理な作曲活動は戦争が終わった後、祐一君を更なる苦悩で攻めさいなむ。
終戦
ビルまでの慰問活動が評価されて日本へ帰ってくることになった祐一君。
しかし、いくつかの大切な役目を背負っていた。
それは藤堂先生から預かった遺書を奥さんに渡すこと。
このときの祐一君の気持ちを考えてみたが。
一体どんな風に説明すれば良いのだろうか。
説明の場面はドラマの中では描かれなかったが、祐一君が昌子さんに語ったコメントでその気持ちは伝わったと思われる。
先生は僕を助けるために亡くなった。
あなたは彼の自慢の生徒だった。
思い出を語り合う2人。
この後、終戦に至るまで作曲家として必死に仕事をする祐一君。
ここから始まる物語
どうやら来週からのストーリーではNHKのラジオドラマの制作に関わるようだ。
エールの物語はいよいよ残りわずかになるので、これからの登場人物もある程度は入れ替えになってくる。
古関裕而さんは戦後も作曲家として大いに活躍していた。
特にその時のいくつかの名曲のエピソードが描かれると聞いている。
エールの集大成ともいえるエピソードはこれから満を持して始まるのだ。