今週からは終戦直後のエピソードが始まる。
いまだに作曲活動は再開できていない祐一君。
本人は平静を装っているが、周りで見守る方がドキドキハラハラしている。
この時代は世相が戦前と戦中とは激変したことでも記憶に残る。
生き残った者たちが頑張って日本を再建した事は事実だが、
その彼らの中でも生き残ったことに対してバッシングがあったことをどれだけの人が知っているだろうか。
生き残ったことを苦しみと捉える人も実は大勢いた。
世の中は不幸な人で溢れていたと。
不幸を味わうこともなかった人はそれだけで非難の対象にされたかも。
目次
作曲依頼を断り続ける
物語を見ていて感じたんだけれど東京の古山家は空襲の被害を受けていなかったんだね。
自宅がそのままの姿で残っていたので。
そんな中、戦後の暮らしが始まったけれど、戦争中のトラウマが祐一君の作曲活動を許さなかった。
曲を作ろうにもまずイメージが湧いてこないこと。
そして、心の中に湧き上がってくる罪悪感は如何しがたい。
自分のせいで大勢の若者がなくなったと自分自身を責め続ける毎日が続いていたのだ。
ただし、人と接するときにはごく普通の今まで通りのにこやかな対応だったので、周りは余計痛い痛しく感じたのかも。
そんな中時々やってくるのが放送作家池田二郎。
彼は自分が脚本を書くので一緒にラジオドラマをやらないかと持ちかけてきた。
実はこの登場人物にはしっかりとしたモデルがいる。
古関裕而さんとのツーショット
舞台から作家活動、と同時に作詞も行っている。
私が個人的に知っていたのはイヨマンテの夜。
この曲の作詞家が菊田一夫さん
歌手はもちろん伊藤久男
古関裕而の大ヒット作品でもある。
実はこのコンビが活躍する直前のエピソードが今描かれ続けているわけだ。
音ちゃん豊橋へ
東京を離れて豊橋に里帰りをする音ちゃん。
実家は空襲で全てが瓦礫の山。
しかし、家族はどうやら無事だった
そんな中気がかりなのは職人頭の岩城さん。
もともと心臓に持病を抱え、その事実を隠して仕事をし続けていた。
命をかけて火災から梅ちゃんを守った時に致命傷となる大怪我を負った。
いまだに意識は戻ることなく、弱った心臓もそろそろ限界を迎えようとしていたのだ。
お見舞いに立ち寄ったつもりの豊橋だったが、お母さんに東京に戻るようにさとされる音ちゃん。
岩城さん死す
岩城さんにずっと付き添っていたお母さんだったが、ある時うとうとしているときに岩城さんの声が聞こえる。
それは、いわゆる夢枕に立つと言うやつ。
感謝の気持ちを述べて岩城さんはみまかった。
彼の職人人生はここで終わりを告げるが、残された関内家の家族たち。
五郎君を中心に新たな仕事を模索しつつ、再生を誓うのだった。
しかし、野球のグローブとはまた良いところに目をつけたよね。
そういえばこの時代の革製品ってあまり思い出すものがないけれど。
財布や何かだったら確かに競争相手も多いけれど、グローブとなるとキャッチャーミットも含めてそれなりに手がけるところは少なかったのかもしれない。
後は、営業さえうまくできれば必ず需要は見込めるはず。
祐一君の抱いている苦しみの本体は
祐一君は作曲をしなければと使命感に燃えていたのはあくまでも戦時中のこと。
戦争が終わると世の中では様々な生き残った人たちへのバッシングがあったのだ。
この時作詞家だった西条八十など戦争に加担したとみなされれば全てGHQにしょっぴかれたれたと聞いている。
しかしなぜか作曲家は対象外だったみたいで。
祐一君にはお咎めがなかったようだ。
世の中の心ないバッシングとはそうしたことを揶揄するもの。
戦争中は軍歌でたっぷり儲けて、しかも家は空襲にも合わなかった。
そしてしょっぴかれることもなく、のうのうと暮らしていられる。
心ない発言と言えばそれまでだが、実際にこのような事はあちこちであったと。
生きて帰ってくることができた吟ちゃんの夫智彦さん
彼も軍隊時代の輝かしい履歴が仇となって就職先が見つからない。
実はこの場面を見ていて、改めて感じた。
生きて帰ってきた軍人たちにも死ぬことに匹敵するような拷問が待ち受けていたのだ。
今までの軍隊時代の経験を頭ごなしに否定され、逆に疎まれてしまう。
これ以上の屈辱はないだろう。
家族を養って家庭を守らなければならない。
この時代は何もかもがそうしたことで不器用であればあるほどより苦しみは倍加した。
この後物語はどんなふうに展開していくか。
きっちりとモデルがいるストーリーなので展開は納得できるが、悲喜こもごもなエピソードが語られるに違いない。