池田二郎さんの作曲依頼は決して諦めることなく続いていた。
自分の心の中に消すことのできない罪悪感。
激しく自分を責め続ける祐一君が、次に進むためにはどうしても乗り越えればならない壁が。
今日のエールでは必死に自分と戦って、ついに目指すべき作曲を完成させる祐一君と、もう1人 吟ちゃんの夫智彦さんがついに自分の居場所を見つける感動的な場面が描かれた。
目次
池田二郎と古山祐一


ドラマの冒頭で描かれた2人のやりとりのシーン。
祐一君が本音で語る。
僕は自分が作った曲で若者が戦場に赴くことに興奮していた。
そのことに激しく罪の意識を感じる。
許されることでは無い。
池田さんが答える
戦争の全ての罪を自分1人で背負うつもりか?
苦しんだあなただからこそ作曲できることもあるのでは!
そういったやりとりの後主題歌の詩を置いていった。
とんがり帽子
この詩が菊田一夫の作詞だったとは知らなかった。
古関裕而さんとは対照的な私生活だったようで、結構浮いた話もあったみたい。
しかしこの2人のすごかったのはあのGHQの検閲をクリアしながら作品を作り続けたこと。
厳しく規制されればまともに芸術作品などできようはずもないところだが、そこを工夫して乗り越えるところがどこまでいっても立派だなと。
エールの中では池田二郎の説得に応じる形で祐一君は作曲することを決意する。
ただし、一筋縄で作曲できることにはならなかったが。
智彦物語


個人的にとても気になって注目していたのが彼智彦さん。
妻の吟ちゃんからそろそろ生活費もなくなるとの報告を受けて夫として切羽詰まっていた。
酒を飲んでいる場合ではないってことだよね。
そんな中いつもの通り闇市の中をうろついていると募集の張り紙を見つける。
それはなんとラーメン屋さんの店員。
何でもやるつもりで飛び込んでみたところが、これがなんと皿洗いをやらされる。
プライドをかなぐり捨てた彼にとっては、どんなことでもお金にさえなればやらなきゃと使命感が体を動かせた。
物語の流れからいくと、彼の襟章を盗んだ少年との交流もなんとなくこれから描かれそうな気配。
まだ自分自身のプライドを完全に捨て切れたわけではないけれど、自分の境遇に見合った働き口を探したようだ。
ドラマを見ているだけの私でさえ、ちょっと安心感を抱いた。
この当時、復員してはみたけれど仕事がなくて食うや食わずの人たちは大勢いたようだ。
やはり、都会である東京は周りから食料が入って来なければ自分の力で生きていくことができない。
そんな中、今日に至るまで発展の礎を築いたのだから、先人たちは偉大だなと感じる。
完成 とんがり帽子


渡された主題歌の歌詞になかなか曲をつけることができない祐一君。
戦争体験が邪魔をすること、と同時に自分自身の罪悪感は激しく心を責め続けていた。
死に物狂いで楽譜と格闘する祐一君。
戦争末期の頃、軍から頼まれるままに作曲し続けた彼。
それは自分自身の心をねじ曲げて無理に音楽に向かわせようとする自虐行為をひたすら繰り返していた。
ひょっとしたらその行為もトラウマになった可能性が高い。
どんなに努力をしても苦しみの中からは何も生まれてこなかったのだ。
実はこの言葉がきっかけとなって曲のイメージを作り上げることができた。
作曲はするすると進んで、翌朝音ちゃんは出来上がった曲を口ずさむことができた。
当時の生活の様子がなんとなく伝わってくる。
これは昭和22年に発表された作品。
終戦からまだ2年後。
作曲家古関裕而は軍歌一辺倒だった作曲方針をがらりと方向転換して童謡に舵を切った瞬間でもあった。
しかし、作曲家としてのポリシー
誰かを励ますために
誰かを元気にするために
この部分だけは生涯通して変わらなかったテーマだと言えるだろう。
ちなみにこの時はラジオドラマとして放送されていたがそれが後に今の朝ドラにつながっていく系譜となるようだ。
あの当時から考えればすでに70年以上が経過。
日本の放送局の歴史でもある。
この鐘の鳴る丘は大ヒット作品として今でも語り継がれる名作になっているが、エールではこの続きも次々と描かれることになる。