必死で稽古に励む音ちゃん。
しかし、実力が不足している部分を補おうとしても、付け焼き刃で挑めることではなかった。
厳しい現実が突き付けられたことで大事な決断を迫られることに。
それは音ちゃんが自ら主役ミミの役柄を降板すること。
音楽の世界では、あらかじめ備わった技術力が大きくものを言う。
簡単にポテンシャルといってもいいが、たやすく増やせるものではない。
今日のエールではそのいきさつが詳しく語られる。
目次
千鶴子さんから知らされる悲しい現実
二次審査までは間違いなく選ばれていたよと千鶴子さん。
最終選考の時に想像もつかなかったどんでん返しが。
この公演を企画している脇坂さんって方が作曲家古山祐一の奥さんを使えば宣伝になると言い始めて本来の審査を覆してしまった。
音ちゃんと千鶴子さんのやりとりでとても大切だなと思ったのはこの次。
千鶴子さんならこんな時どうしますか?
私なら悔しさをバネに全力で良い舞台にしようと頑張る❗️
私を見てどう思う?
うつむいて答えることができない千鶴子さん。
この様子を見ていて音ちゃんはしっかり悟る。
自分がどんなにがんばっても、みんなを納得させるだけの舞台を務めることができない。
ここは潔く身を引こう!
どんなに頑張っても所定のレベルに達することができないのは、音楽を始め芸術の世界ではよくあること。
この世界はあらかじめ備わったものが才能として生かされる 。
残酷だなと思うことがある。
表現して見せることができなくても、感動することだけは気持ちの準備さえ整えば誰しもが平等に味わうことができること。
平たく言えば素晴らしいと思う気持ちは万国共通なのだ。
この素晴らしさを自分が表現することはできないと悟った音ちゃん。
芸術を表現するものとして拷問に近い苦しみがそこには存在している。
華ちゃんの抱いた違和感と反発する気持ち
稽古でがんばってなんとしても周りの人に追いつこうと努力している音ちゃんを華ちゃんは違和感のこもった眼差しで見ていた。
そして結果としては、自分がやりたいことをやりかけてはみたけれどそれを途中で放棄している。
華ちゃんにはやりたいことをやりなさいと言っておきながらまるで手本を示してくれてはいない。
そのことに反発心を抱いてしまうのだ。
夢を語る事は簡単だが、手本となると話は別だろう。
周りから見ていて楽しそうに見えるのは外せない要素かも。
音ちゃんの抱いた悲しみ
必死で追いつこうとがんばってはみたものの、自分の力が全て出し切れても目標地点には届かない。
既に中年に差し掛かっている設定の音ちゃん 。
何かにチャレンジして新たな技術を身につけたり、ステップアップしていく事は既に難しいと感じるように。
必死でレッスンを重ねてきたが、周りで活躍する仲間たちは出発点がまるで違う。
その事実の中に自分を照らし合わせてみたなら、遠く及ばない気持ちで激しく打ちのめされる。
この辺の描き方はなかなか難しいけれど、芸術の持つ残酷さが遺憾なく表現されていたと思うね。
芸術は誰にも伝わるわかりやすさと感動を備えているが、それを役目として担える人は本当にごくわずか。
音ちゃんは残念ながらその伝える役目をになえなかった。
新しい世界を模索
自分の人生に区切りをつけたようになってしまった音ちゃん。
本当は夫が作曲した曲を大きな舞台で自ら歌いあげる。
そんな夢があってその夢を実現するために頑張ってきたはずなんだけれど、残念ながら途中に現れた歌劇の公演は夢を表現する舞台とはなりえなかった。
心の中の大切なものを失ってしまった。
描いていた夢をかなえることができなかった。
抱いている喪失感。
それはほかならぬ祐一君もひしひしと感じていたようだ。
そんな中祐一君が連れ出したのは華ちゃんを迎えに行った時に訪れた孤児院を兼ねた教会。
ここで歌ってみないかと声をかける。
今日の物語はそこまで。
ここで明日以降、エールでも大切なエピソードが描かれるようだ。
ちなみにモデルとなった古関金子さんは、戦後株式のトレードでかなりの有名人だったことをご存知だろうか。
おそらくエールの物語の中ではこのエピソードが描かれるかどうかは微妙。
そして写真を見て分かるように家族は子供が3人いて5人家族。
エールとは明らかに違うことが見てとれる。
音楽だけはモデルの作曲者の作品をそのまま踏襲しているので不思議な親近感が湧くはず。
確かに新しく作曲するとなれば、冗談でなく大変な作業になる。
あの2つ前の朝ドラなつぞらでは、オリジナルのアニメーションを作っていた経緯もあったが。
今回はそれをやる事はしなかった。
様々なモデルの登場人物を微妙に変化させながら登場させている。
音楽を扱った題材としては、むしろこのような描かれ方をしてくれた方が、親近感が湧くだろうと思う。
物語の最後がどんなオチになるのかはわからないが、朝ドラを毎朝ルーティーンで見ている者としては、あちこちでいろいろ調べて回って自分なりのオチをつけている。