残りの放送回数はあと何回なんだ?と考えながらこのドラマを見続けている。
もう歴史的にしっかりと記録の残っている事件を描くので、脚色できる部分も少ないだろうなと勝手に思いながらだが。
しかしドラマに描かれる物語の重厚さは俳優たちの渾身の演技に支えられて驚くべきクオリティーを保ち続けている。
特に感じるのは、脚本の持つびっくりするほどのリアリティー。
きっとそうだったに違いないと思わせる絶妙のストーリーが構成されている。
目次
浅井長政の裏切り


このエピソードを理解するためには、このときの歴史の流れを多少なりとも理解しておく必要が。
織田信長は将軍家のお墨付きを得て、朝倉義景討伐のための兵をあげることにした。
わざわざ京都や美濃から越前まで挙兵したのだ。
戦いは織田の連合軍がおよそ3万の軍勢。
越前の近くまで侵攻したときに近江の国を守っている浅井長政に南の守りを固めるように命じて北の朝倉に向かうことに。
実はこの時信長軍に加わっていたはずの浅井長政は、長年盟友として付き合ってきた朝倉家のピンチに忸怩たる思いを抱いていた。
信長の妹お市の方をめとる条件として浅井家の盟友である朝倉家に戦いを挑むはしないとの約束を取り付けていたにもかかわらず、信長はこのときの朝倉攻めで約束を反故に。
この時、浅井長政は織田信長に反旗を翻すことに。
およそ9000の兵で信長連合軍の背後をつこうと。
歴史の言い伝えではお市の方が信長に文をしたためて内々にピンチを知らせたとある。
それは両端を縛った袋の中にあずきか何かの豆を詰めて一緒に届けさせたとの言い伝え。
両端が縛られているのを見て信長は自分が挟み撃ちに合っていると、その時判断した。
麒麟がくるでは明智光秀の家臣(明智日出光)が自分の連絡網で状況を把握することとなった。
兵力がたとえ上回っていたとしても前後挟み撃ちにされての戦は決してやってはいけないとされている。
兵法の基本中の基本。
信長はしぶしぶ撤退を選ばざるを得なかった。
信長対光秀
実は光秀が信長を説得するシーン。
今日1番の見所のシーンの1つ。
俳優長谷川博己と染谷将太。
盟友同士ががっぷり四つで組み合った渾身の感情をぶつけ合うシーン。
甲乙つけがたいと言いたいところだが、私の個人的な意見で信長を演じている染谷将太に軍配を上げたい。
悔しさに血の涙を流して感情を爆発させる信長。
この俳優ってこんな凄まじい演技をするんだと、見る者を圧倒する破壊力。
他の著名な俳優たちが皆名演技を繰り広げる中、さらに群を抜いてすごみを感じたな。
金ケ崎の退き口


ちなみに軍勢を撤退させるときのしんがりの役目は命と引き換えと言っていい。
この役目は本体を無事に逃げ延びさせるために、自ら犠牲となって追っ手を食い止めるのだ。
口では簡単だが、微妙に敵を引きつけつつそれでいて後退しながらときには逃げながらでも攻撃を仕掛ける。
注意をそらすのが目的だから、なるべくズルズルと時間をかけて惹きつけるのが良いのだが、それをやるといよいよ命が危険にさらされる。
このときのしんがりを買って出た藤吉郎を演じた佐々木蔵之介の演技も実に見事なもの。
自分自身の田畑も持たぬ貧乏百姓の出身である藤吉郎は他の武将とは明らかに違っていた。
何が何でも手柄を立てたい、そして自分自身の過去の苦しい身の上もできれば書き換えたいと切に願っている。
その藤吉郎の願いを聞き入れ光秀と2人でしんがりを務めることになったのだ。
このときはまだ、武士として尊敬する存在の光秀を自分のライバルとは見ていなかった。
今日の描き方では憧れに近い存在として描かれているし、エピソードからはこの2人が少しずつ連帯感を育んでいるようにも見えた。
2人の捨て身の戦法が功を奏して、信長連合軍の3万の軍勢はほぼ無傷で撤退することに成功。
実はここでほとんど無傷で生き残れた事はとても意味が大きい。
その後の反撃を意味するから。
この後、浅井と朝倉の連合軍は信長に討ち果たされ、滅びていくことになる。
将軍家を巻き込んで陰謀が渦巻く


今日の麒麟がくるで描かれたのが1570年、本能寺の変が1582年なので10年ちょっと前の出来事になる。
織田信長が歴史の舞台で頂点に上り詰めるのはこれ以降の話になるのだ。
歴史書などに出てくる明智光秀もこの辺からの記述が多いのでは。
また歴史的な事実と言われていながら、今に伝わっている文献はどれも皆、手ごころが加えられていると見て良い。
後世に残って人たちが自分に都合の良い歴史観を勝手に盛り込んでいるので。
それは秀吉なども盛んに行っていたし、江戸時代に入ってからも歴史の事実を改ざんすることが普通に行われていた。
しかしそういった捏造に近い現実を絶妙にかいくぐって真実にたどり着くのが最新の歴史学。
麒麟がくるに盛んに出てくる松永久秀も最近になってからその印象ががらりと変わった武将だろう。
織田信長を3回裏切って2度許されている。
残念ながら3回目はなかったが。
この彼の値打ちも最近の歴史学で随分変わってきているのでは。
明智光秀自身も裏切り者のレッテルを貼られて歴史の中で語られてきた経緯があるが、実際は今でもその胸の内を検証しようと盛んに研究が行われているのだ。
その当時の歴史学の新たな発見を絶妙に盛り込みながら麒麟がくるはこれからも話が続いていく。
時代劇として申し分のない完成度を秘めた物語と私には映る。