芝居小屋でのお茶子さん修行がいよいよ始まった千代ちゃん。
まだ9歳との設定で、演じている毎田暖乃ちゃんも同い年。
物語は道頓堀でエピソードが始まるので、新たな登場人物もたくさん。
さすがにチャキチャキの大阪弁は、千代ちゃんは言葉遣いのダメ出しから修行が始まっているようだ。
さらには、慣れない仕事の連続。
さすがの千代ちゃんも調子が出ずにヘコむ😓
目次
ライバルがしのぎを削る芝居茶屋
この当時は芝居小屋のような、言ってみれば劇場の小型版のものが多数あったようだ。
伝統的なものは歌舞伎座とか。
また 演目もいろいろあって古典劇やシリアスなドラマやコメディーなど、様々なものが娯楽として提供されていた。
考えてみればラジオもテレビもまだなかった時代。
設定では大正5年、1916年とある。
ドラマの中で描かれていたのは蓄音機。
どうやらこれは当時最新鋭の音楽系のアイテムだったと言える。
大阪では芝居小屋の運営はライバルもたくさんいてしのぎを削っていたようだ。
千代ちゃんのいるのが 岡安。
その本家筋にあたるのが福富と言うことに。
ちなみにこの2つは結構仲が悪い。
と言うのも分家に当たる岡安が、福富を超えるほど所帯を大きくして大活躍していたから。
挨拶に行ったところで門前払い。
千代ちゃんの最初の仕事はこちらに届け物をする役目。
福富の女将 富川菊
何をどう取り繕っても決して贈り物を受け取ろうとはしない。
どうせ断られるからと年端もいかない子供をお使いに出した方もどうなのかしら?と。
面白いと思ったのは千代ちゃん、ここで必死に思案をして何とか受け取ってもらえないかと色々と知恵を巡らす。
夜おそくになるまで必死にがんばってはみたんだけれどね。
普通ならあっさり諦めるだろうにね。
芝居の一座
こちらの一座が人気絶頂で今売り出し中だが、岡安がご贔屓。
ネタバラシになるが、
こちらの息子の天海一平 は後に千代ちゃんと結婚をすることに。
ドラマのいろんなキャスティングの発表で、将来の旦那さんとあちこちで紹介されているから、今更隠すこともないと思うので。
千代ちゃんは1ヵ月の試用期間を何とかして無事に過ごしてその後継続して雇ってもらう必要が。
ここで踏ん張らなければ、お払い箱にされてしまう。
子供ながらに必死で考えて頑張っている。
千代ちゃんの暮らしぶり
こちらのお嬢さんは女将の娘。
千代ちゃんとは同い年だけれど、さすがに周りをよくわきまえている
なれなれしく話しかけようとする千代ちゃんをあっさり拒絶。
コーマンチキな態度で結構生意気な設定。
しかし、そんなことをされても簡単にひるむような千代ちゃんではない。
この後、例の福富へのお届け物を仰せつかっていたが、それは大幅に時間を超過。
岡安に帰ってみたら案の定大目玉。
先輩のお茶子さんにも軽くあしらわれて、1日の終わりに皆銭湯へ行くのだが、残念ながらそれにも間に合わなかった様子。
周りにいる人たちから臭いと言われるので、さすがにお風呂に入らなきゃなと本人も気にしている様子。
道頓堀は都会なので周りの人たちは皆おしゃれ。
やっぱり身だしなみとしてお風呂は必要なんだよね。
この当時の時代背景
この町並みがセットだなんて、さすがNHKだなと思うことしきり。
番組の制作スタッフの熱意が伝わると言うもの。
そして物語の性質上、夜のシーンも多くなるのでライトアップの画像もアップされていた。
芝居小屋として施設がきちんと固定で存在していたのがこの時代の特徴。
現在でも芝居小屋はそれなりに存在するが、それほどたくさんの人気を博しているとは思い難い。
一座とと呼ばれる演劇集団は大抵営業で全国を回って歩くことが多いのでは。
私が子供の頃、つまり今から60年近く前になる、私が10歳位の頃を想像すると田舎のお祭りなどで旅周りの演劇一座が講演をすることがあった。
きちんと衣装をつけて、お化粧をして演劇をするのだが、出し物は記憶をたぐってみるとまずそれなりの長さの劇があったと思う。
それと後は舞踊。
さらには歌のようなものもあったが、何せ楽団と呼べるものは同行していなかったので、伴奏は仮にあったとしても三味線程度。
当然歌う歌なども限られていたような気がする。
劇は記憶に残るけれど、歌はほとんど記憶に残っていない。
劇や踊りは記憶に残るけれど、歌はほとんど記憶に残っていない。
トータルで2時間弱くらいも公演しただろうか。
おそらく田舎の役場でそれなりの予算を組んで招聘したんだろうなと考えるが。
この当時の大阪あたりはこういった文化活動も大いに盛んで、それなりの人もたくさん集まったんだろうと考える。
大衆演劇のジャンルで今に至る発展の歴史の礎を築いた主人公の物語。
様々な様々な紆余曲折を経るが、後々、大阪のおっかさんと呼ばれる存在にもなるのだ。