くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

麒麟がくる最終回 すべてのエピソードに決着が❗️

 

満を持して放送される麒麟がくる最終回。

歴史的な事件を扱うとあって、この時代の歴史物のファンとしてはなんとしても見過ごすわけにはいかない。

すでに新たな歴史的考察を加えて、

明智光秀像はかつての謀反人のイメージは一掃されて全く別なものに変化していったと言える。

織田信長との関係がどこから狂い始めたのか。

今日はそういった過去の歴史も振り返りつつ、本能寺の変が詳しく語られることに。

感心するのは俳優たちの渾身の演技。

作品の大きさもさることながら、およそ1年半撮影に関わっていると聞いた。

普通ではありえないことらしいのだが。

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明智光秀の中で何かが動く

目次

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室町幕府将軍足利義昭暗殺命令

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義昭を殺せ❗️お前がやらぬならわしがやる

徳川家康を接待する席で粗相があったとされて饗応係を解任されてしまう光秀 。

実はすぐに物語の中で説明されたが、これは信長が家康に凄みを聞かせるために、わざと仕組んだことのようだ。

つまり光秀のような重臣といえども足下に扱われることがあると。

そしてその時に信長から光秀に新たな指令が出る。

それは鞆にいる将軍足利義昭を殺せとのこと。

信長の判断では将軍義昭がいるせいで戦がいつまでたっても収まらぬと言う判断。

既に義昭が諸悪の根源との認識。

命令を受けて呆然とする光秀。

私にはできませぬ。

上様は出会った頃は人々を喜ばせることを我が喜びとしていた。

それが今では戦に明け暮れていて、いつ果てるともわからぬ有様。

信長の答えは

今のわしをこのように仕向けたのはそなたぞ❗️

そなたがやらぬならわしがやる❗️

この段階で光秀と信長は決定的に違う世界が違っているようだ。

織田信長と明智光秀の歴史

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徳川家康の接待係を解任されるに至るまで

織田信長については斎藤道三から娘帰蝶との婚姻のこともあって、どのような人物なのかを見届けるように仰せつかっていた。

信長は子供のように無邪気でまっすぐな飾らない性格の好青年。

一風変わった振る舞いをするが、芯は強くて驚くほど頭が切れる。

帰蝶の結婚相手としては申し分のない青年。

そして、それ以降何かにつけて信長と光秀はお互いの志を同じくするところもあって行動を共にすることに。

やがては織田信長の家臣として織田家の中でも1番の出世頭となった。

光秀自身のポリシーとして世の中が平らかになったときに現れる麒麟を呼び寄せたい。

そのために将軍に取り入ったり、信長を立てたり、様々な努力を繰り返して奔走してきた経緯がある。

やがて光秀の期待通りに信長は破竹の勢いで勢力を拡大する。

しかし、信長はその勢いゆえに周りと様々な軋轢を生じていたことも事実。

平和な世の中を標榜しつつも信長の生涯は戦に明け暮れていたのだ。

そして見せしめのために繰り返す容赦ない殺戮。

光秀とは少しずつ袂を分かつことにならざるを得なかった。

本能寺の変 ついに決意‼️

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我が敵は本能寺に座す 名は織田信長と申す

今日の物語の中でほとんどセリフもない状態で本能寺の変を決意する光秀が描かれていた。

その中でいくつか注目すべきエピソードがあったように思う。

それは明智光秀の古くからの盟友とされた細川藤孝が実は羽柴秀吉に通じていたこと。

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光秀は真っ先に藤孝に信長暗殺を相談したようだ

細川藤孝に使いを出してそれとなく探りを入れる。

上様が行き過ぎた場合は私と一緒に進言してくれる覚悟があると言っていたがそれは今でも変わりないか?

覚悟とはどこまでの覚悟だろうか?

覚悟には制限はありませぬ

このやりとりで藤孝は光秀のなみなみならぬ決意を読み取る。

この段階で、光秀が本能寺の変をやむなしと心で決めていたフシがある。

重要なのはここで感じた内容をすぐに毛利攻めの秀吉に連絡したこと。

光秀に謀反の可能性ありと。

この短いシーンがあったことで羽柴秀吉の中国大返しの大きな説明がなされている。

昔から言われていることだがあらかじめ本能寺の変を察知できなければ、あれだけの大群をわずか10日ほどで200キロ以上の行軍をさせることなど不可能だと。

今では様々な歴史考察がなされているが、やはり何らかの予備知識がなければ簡単に行動などを起こせない。

この辺の重要な説明をわずかな時間の中でさらりと匂わせるあたり。

歴史考察の巧みな技が生きていたなと。 

織田信長の終焉

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多勢に無勢 ついに力尽きる

織田信長が本能寺にやってきたのは実は偶然の出来事とされている。

たまたま京都周辺に大群を率いていた信長の家臣団は光秀のみだった。

ましてやこの本能寺には信長がいて、すぐ隣には信長の跡取り信忠がいたのだ。

織田家のトップ2名がわずかな手勢を率いてすぐそばに滞在している。

様々な歴史考察がなされているが、織田信長一世一代の不覚とも言われている。

いかに天下の頂点に立っていようとも、自分の身を守るための方策は常に万全に取っていなければならない。

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本能寺に入る信長 手勢はわずか100名程度

1582年6月2日未明、明智光秀は総勢一万5000を率いて本能寺とその隣にいる信忠に襲いかかった。

必死で応戦する信長。

様々なドラマの中で本能寺の変は繰り返し描かれてきているが、今回の描かれ方も秀逸。

織田信長が本当に戦好きなサイコパスであることが遺憾なく描かれていたように思う。

これは演じていた染谷将太の演技力によるところが大きい。

自分がこれから死ぬ戦いにおいてもうっすらと笑みを浮かべていたのだ。

殺し合いが大好きな性格がここによく表れていたなと。

そして謀反を起こした相手が光秀であるならば自分が絶対に助からないことも瞬時に納得したはずだ。

ドラマの中の描き方が今回の麒麟がくるを象徴するような内容だったなと感心して見させてもらう。

実は本能寺は信長が自ら火を放ったことによって彼自身の遺体はその後捜索したにもかかわらず見つかっていない。

今までのドラマだと明智光秀が部下に命じて死に物狂いで遺体を探させたとあったが、今回は全く違っていた。

光秀が曰く

もう良い!引き上げる!

光秀にしてみればこの後何をすべきかは既に手配済みで、次の行動をしっかりと見届ける必要があった。

ただし、彼の命運もここまで。

この後はツキに見放されたかのように、様々な応援を求めた武将たちから否を突き付けられていた。

明智光秀は織田信長を用いて世の中の平定に乗り出し、その途中で自分が用いた方法が誤りであることに気がつき、それを訂正しようとした。

そして世の中を本当に纏め上げることができるのは徳川家康だろうとも見抜いていたようだ。

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菊丸を使って自らの思いを家康に託す

徳川家康と明智光秀の関係は実は歴史家の間ではマニアックな噂がとても多い。

1番は家康の側近中の側近だった天海上人が明智光秀本人ではなかろうかとの噂。

歴史的に無理があるような設定だが、あながち嘘とも言えないようなそれらしい理由付けもたくさん存在している。

少なくとも麒麟がくるでは最後まで光秀と家康は志を同じにしていたような雰囲気がありあり。

本能寺の変のあと

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本能寺の変の後11日後に山崎の戦いにいて明智光秀は秀吉に滅ぼされる

物語は本能寺の変の後3年後の設定で描かれていた。

明智光秀は山崎の戦いで秀吉に敗れ敗走する途中で落ち武者狩りにあって殺されたと伝わる。

実はこの辺の歴史的な記述は全て後世に語られたもの。

多分に捏造も含まれていると思うので、真実が正しく伝わっていることもなさそう。

歴史で伝わっているのは、光秀の首はやがて見つけられ秀吉のもとに届けられることに。

それは本能寺の焼け跡にしばらくさらされたと聞いている。

はっきり言って、何日経過して首を見つけたのだろうか。

様々な状況を考えると本人と認定する事は不可能なくらい損傷していた可能性が高い。

しかし、この時代の常として、写真もなければせいぜい似顔絵程度のものしか説明する手段がなかった。

世の中に事実を伝える手段としてはなくなった当人の首をそのまま通りにさらしてみんなに見せつける。

1番説得力のある方法だろう。

明智光秀が信長を暗殺したときに真っ先にやりたかったのがこの行為だったのだが、それは残念ながら叶わなかった。

ここで討ち果たした相手の首を示すことができなかったことが、本能寺の変の後の光秀の凋落に結びつくものと言われている。

麒麟がくるを総括

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明らかに変わった明智光秀像

今回のドラマを欠かさず見せてもらったことによって、明智光秀の印象はがらりと変わったと思う。

ドラマの描き方もさることながら最新の歴史研究にも幅広く目を通すことができた

かつて正しいとされてきたイメージはどうやら全然違うことも納得できたと言える。

特に、豊臣秀吉以降の歴史は捏造やプロパガンダによって史実は随分と印象操作されている。

秀吉が山崎の戦いで光秀を討ちとることができたのも、彼自身がどうやら情報をいち早く察知できていて、信長は生きているとの偽情報を周りに流したことによるものと思われる。

あの中国大返しも実は様々な思惑のもとに語り継がれていた。

実際に山崎の戦いに間に合ったのは秀吉とその側近の何名かくらいで、足軽たちはやっとの思いで到着しておよそ戦えるような状況ではなかったらしい。

あの時の戦いの秀吉軍の主な構成は、その当時その辺にいた武将たちの家来衆。

その家来たちが秀吉の側に従っていたのは信長がまだ生きていると信じ込まされていた

様々な歴史の考察はこれからも繰り返し行われるに違いない。

今回描かれた明智光秀は歴史の中で、平和を願いながら必死で頑張ろうとした好青年の涙ぐましい物語として記憶に残る。

大勢のスタッフたちの応援や、俳優たちの渾身の演技が物語を大いに盛り上げた事は言うまでもない。