青天を衝けでは物語の舞台は2つ描かれている。
1つは江戸幕府の中枢に関わる物語。
さらにもう一つが渋沢栄一が活躍していた血洗島。
2つのストーリーを対比させることによって幕末の時代の過酷さがよく表現されている。
鎖国をずっと通してきた日本にとって突然の黒船来航はまさに青天の霹靂。
蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていたのだ。
様々な場所で人々の思惑が複雑に入り組んでいく。
目次
時代はアヘン戦争の頃
当時の世界の国々はまさに帝国主義時代。
植民地政策こそが自国を発展させるための最も優れた手段と信じて疑わなかった連中が世界を支配していた。
その筆頭となるのがイギリス、オランダ、スペイン、フランスといったヨーロッパの国々。
さらにアメリカが加わるのだ。
彼らの目的は搾取以外の何物でもない。
いかにして強奪するか、その1点にだけ集中する。
イギリスが清国に対して行った方法はまずアヘンを持ち込む。
そして中国民を麻薬中毒にしてその後軍事力によって征服すると言う卑劣なやり方。
19世紀の民主主義なんてこんなものなのかと唖然とする。
その様子は、様々な文字になって世界中に知れ渡ることに。
もちろん日本にもその情報はもたらされ、和訳されて主な知識人たちはすべて情報を得ていたとされている。
今考えればありえないような傍若無人さがこの時代は当たり前のようにまかり通っていた。
そのことに対して幕府の1部の者たちが激しく反発したとしてもそれは大いに納得できるだろう。
日本にやってくる外国人の全てが悪意や敵を持っているわけではなかろうが、何といっても基本は食うか食われるか。
どんなにうまくいかなくても食われるわけにはいかなかったのだ。
日本を憂慮する徳川斉昭
水戸藩主徳川斉昭はこの当時最も過激な尊王攘夷派として知られる。
とにかく日本にやってくる外国人たちは情け容赦なく排斥すべきと公言してはばからなかった。
それに対して幕府の老中たちは、外国をみだりに刺激してはかえって不利益になると自重することを求めていたようだ。
しかし、当時の人たちには明らかに焦りがあっただろう。
それは交渉などを行って万が一戦争になってしまうことがあれば、日本はその軍備力が明らかに劣っていたがゆえに、やれば負けるの気持ちがあったと言える。
可能な限り不利益を被らないように上手に立ち回って穏便に済ませたい。
それが幕府の中枢部のとりあえずの考え方だったようだ。
急進派と穏健派。
2つの勢力のせめぎ合いで幕政は成り立っていた。
栄一の姉“なか”に降ってわいた災難
血洗島では栄一の姉なかの縁談が持ち上がっていたのだが、実はとあるところからケチがついた。
それは嫁ぎ先の家が狐憑きだと言う。
この時代はこんな迷信がまことしやかに信じられていた。
大体、世界の科学的な知的レベルは、20世紀の第二次世界大戦以降にやっとまともになりつつあるくらいのレベルだろうか。
こんな迷信話は、ぼんやり生きているとまともに信じ込まされる。
今日の物語の中では英一がそれらの祈祷グループを胡散臭いものとして見抜いていた。
それ故、弱点を突いて、うまい具合にピンチを切り抜けたのだ。
神がかり的な話を持ち出して、うまいこと金品を巻き上げるのがこういった拝み屋の常套手段。
栄一は決して騙されることなく、拝み屋達の矛盾を巧妙に解き明かしていたね。
これによって姉なかは無事気持ちの晴れる所となってもともとの明るさを取り戻すことができた。
安政の江戸地震
地震は関東南部が震源地とあった。
マグニチュード7クラスだとかなり大きく揺れたはず。
江戸城でも何人かの死亡者が出て、水戸斉昭の最も信頼する家臣も死んでしまうことに。
地震については関東地方を襲った地震なので埼玉県の血洗島がどの程度揺れたかは定かではない。
しかし、無傷では済まなかったはずだ。
ちなみに渋沢栄一はこの地震を経験しつつ、さらには関東大震災も経験したはずである。
関東大震災の時はすでに晩年に差し掛かっていたはずだが、様々な慈善事業を行っていた彼は被災者を助けるために奔走したに違いない。
さて物語はまだ幕末の真っ只中、来週はいよいよ篤姫など歴史に名前の残る著名人たちが出演しそう。
この時代から明治にかけて、怒涛のように時間は過ぎ去っていく。