終戦前後のエピソードは今日完結する。
大勢の身内の人が亡くなった。
前を向いて進もうとする人、未だ悲しみから立ち直れない人、様々な人たちのそれぞれ。
そんな中、全力を尽くしての芝居はマットン婆さん
この物語はミツエと福助の思い出のエピソード。
演じた舞台はあの福富の跡地。
残骸の中に設けられたにわか仕込みの舞台。
すべての人の思いがその舞台に集約される。
目次
マットン婆さん改 絶対笑わしたるさかいな
この物語のコンセプトは母親の無償の愛。
一平君のオリジナルの脚本を千之助兄貴が大幅に改定。
その結果やることになった演目だが、かつては舞台が終わるまでこの物語の値打ちに誰も気がつかなかった。
しかし、一平君はこの時千之助兄貴の底力を思い知ることになる。
この演目を改めて選んだのは千代ちゃん。
物語の中に一福君を登場させることで、新たな笑いを誘うように再編集。
脚本の刷新は一平君が。
今日の物語の中では、すっかりやつれ果てたミツエちゃんが自分の両親に連れられて桟敷席にやってくる。
舞台はなかなかの出来だったけど、ミツエちゃんから笑が出る事はなかった。
しかし、物語が最後の方になってから新しく出来上がった脚本の底力が発揮される。
ストーリーは新たな登場人物が書き加えられていて、それがなんと一福君演じるマットン婆さんの息子。
ありえない設定だけど、意外性としては充分すぎる内容。
この様子を見て初めてミツエちゃんが笑う。
実はこのときの桟敷ではほとんどのお客さんがあっけにとられていて笑うどころでなかった。
ミツエちゃんだけがストーリーの意外な展開に反応。
思わず笑いが出てしまう。
ここでこんな風に励まされることがあったなんてね。
ミツエちゃんが笑う事はすなわち千代ちゃんをこの上もなく励ますことに。
千代ちゃんには一平君も感じている贖罪の気持ちがあったのだ。
それは大勢の人を死なせることにつながった戦争に加担していたこと。
それを間違いだと厳しく感じていた。
当時の良識ある文化人たちはこういった気持ちを抱いていた人たちが多かったのかも。
みんな間違うてた
戦争を賛美することで自分たちにどんなことが降りかかってきたのか。
それは自分が大切にしてきた親しい人たちを大勢失うことに。
自分の仲間が死んでいったことに自分たちが加担していた厳しい現実。
戦争責任なんて下世話な言葉を使わないが、この当時の人たちは戦争に向かうことで一致団結していた経緯がある。
戦争に批判的な立場の人といえども、しぶしぶでも戦争に加担していた。
以前とある仏教のお坊さんの言葉を聞いたことがある。
太平洋戦争では数百万人の日本人が亡くなった。
生き残ったその当時の人たちやその子孫である私たちは皆その亡くなられた方たちの遺族と言って良いのではと。
もう数十年前に聞いた言葉だが、私は激しく納得したのを覚えている。
私にとってはたとえ面識はなくても見ず知らずの赤の他人ではない。
今の私のポリシーとも言える。
大勢の人たちは望まないながらも過ちを犯してしまったとの千代ちゃんの意見はおちょやんの中でもしっかりとした重みを持って伝わってくる。
あんたは励まされるんやない励ますのや!
ミツエちゃんが笑ったとき、あまりの嬉しさに芝居を忘れて舞台を飛び出して桟敷に駆け出してしまう千代ちゃん。
そして、ミツエちゃんを抱きしめ改めて自分の親友が立ち直れることを確信できた。
絶対に笑かしたる!
この熱意が実を結んだ瞬間。
実はミツエちゃんをこの舞台の公演に誘ったのは他ならぬおシズさん。
彼女は、あんたが励まされるために見に行くんやない。
あんたが千代たちを救うんや
この言葉の意外性にはっと気がついて舞台公演を見に行く気になったのだ。
心の中でやっと吹っ切ることができた瞬間。
この後千代ちゃんたちは巡業の旅に出ることになる。
再出発
今日のエピソードの最後の方で明るくすいとん屋を始めたミツエちゃん親子の姿が。
今までの暗さを乗り越えて頑張る姿が描かれていたね。
鍋の手前に置いてある福助の像。
戦後の復興が始まった瞬間でもある。
どうやら今回の舞台はあの鶴亀の大山社長や万太郎も見に来ていたようだ。
戦後初の舞台公演は先をこされてしまったと悔しがってはいたが、とてもうれしそうに見えたね。
鶴亀家庭劇を解散させた大山社長。
彼には戦後の復興をかけた大きなプランが胸の中にあったようだ。
来週はそういったことが描かれると思われる。
ちなみに、おちょやんは5月の14日が最終の放送になる。
もう物語は取りまとめの時期に入らなければいけないのだが、この後もさらに波瀾万丈は続くと思われる。
モデルの浪花千栄子さんの人生を考えると、まだまだいくつかのエピソードが控えているからだ。