先週あの大老井伊直弼が桜田門外の変で散ってしまうことに。
物語はその後の流れを受けて、さらに世の中は混沌の度合いを深める。
当時の徳川幕府は、尊王攘夷の矛先をなんとしても穏やかなものにしたかった。
そこで画策したのが、天皇の妹和の宮を14代将軍家茂の正室として向かい入れる。
天皇家と徳川幕府が力を合わせて国難に立ち向かう構図を作ろうと躍起になっていた。
しかし、これらの流れは必ずしも世の中の支持を得られていたわけではない。
特に皇室からお姫様を無理矢理幕府に嫁がせるなどは傲慢不遜の意見も多かった。
天皇家に対して失礼だろうと言う考え方。
しかし歴史は間違いなく和の宮降嫁で流れていく。
目次
■□━━ 急げ、ドメインは早い者勝ち! ━━□■
■お名前.com
栄一 江戸へ
渋沢栄一がこの物語の主人公である事は誰もが知っているが、物語はあまりにも大きく揺れ動いた時代を描こうとするので、栄一が主人公との認識をなかなか持ちにくい。
しかし栄一のいとこたちが、みな江戸へ出て活躍の場を模索し、そして勉学のチャンスが与えられる中、自分だけが血洗島に残る事はとても我慢できなかったようだ。
農閑期の暇なときを狙って1ヵ月だけならばの約束で江戸行きの許可をもらう。
実際はそれ以上江戸に滞在したようだが。
江戸では幕府の政策とは裏腹に一般庶民は生活苦にあえいでいた。
それは外国との交易が始まったが故に、国内で流通している様々なものの物価が著しく上がってしまったことで一般庶民がものを仕入れにくくなっている。
そういった生活苦はすべて幕府の政策が悪いからだと皆が口を揃えて申し立てる。
結果として尊皇攘夷の考え方や運動はさらに勢いを増すことになっていた。
千代ちゃんご懐妊
血洗島では栄一の奥さん千代ちゃんが最初の妊娠をする。
結婚したすぐはなかなか子供ができずにいて、親戚からそれなりにプレッシャーをかけられていたような描かれ方。
子供がいない夫婦は大抵の場合奥さんが周りから圧力をかけられる。
そのプレッシャーが子供のできない夫婦を著しく疲弊させる。
千代ちゃんも物語の中ではそうだったらしい。
尾高長七郎を襲う災難
尾高長七郎は勤王の志士として早くから江戸で修行をしていた。
剣の腕前も周りで評判になるほどの凄腕。
彼の腕を見込んで、暗殺計画も持ち上がる始末。
尊王攘夷は行動を伴った場合、テロリズムを含むことに。
つまり、暗殺などを平気で行ってしまうのだ
気に入らないものを武力で排除する考え方はいつの時代でも採用される傾向に。
桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されたが、その後を継いだ老中安藤信正が標的にされ実際に襲撃にも遭っている。
老中安藤信正暗殺計画
実はこの暗殺計画は失敗に終わっている。
老中安藤はかすり傷のみで無事生きながらえていて、襲っていた勤王の志士6名はことごとく切り殺された。
幕府の横暴なやり方を攻撃の対象として決起する志士達は、とても多かったような。
安政の大獄は井伊直弼が行った弾圧だったが、井伊が亡き後も尊皇攘夷の過激な運動があったが故に決して控えるようなことにはならなかった。
その結果尾高長七郎も追われる身となってしまっていた。
彼のところにも様々な勤労の猪たちが出入りしていたので、幕府からのスパイなども暗躍したようだ。
幕府にとってはとにかく目障りな存在。
そして、この当時の尊皇攘夷の考え方に渋沢栄一はどっぷりと浸っていたのだ。
周りの者たちが一橋慶喜を尊王攘夷の象徴として担ぎ出そうとするが肝心の慶喜は決して応じようとはしなかったのだ。
そのようなことをして倒幕運動を起こしても、彼の考えでは絶対に成功しないとの思いがあったようだ。
彼はその卓越した識見で世の中のことをしっかりと観察していたようだ。
歴史的に見れば彼は一度言ったことを後で簡単に翻すことが多々あったらしいので、
二心殿と呼ばれたこともあったと聞いている。
この時代彼の存在は大いに知れ渡っていたが、彼が徳川慶喜として15代将軍に即位するのはもっとずっと後のこと。
彼自身も将軍に即位しようなどとはまるで考えていなかったようだ。
歴史はこの後大きく動いて明治に舵を切ることになる。
渋沢栄一の本来の値打ちが発揮されるのは明治以降。
時代の流れはそう簡単に前へ進めるわけではなさそうだ。