くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

青天を衝け 攘夷思想ははやり病

 

青天を衝けはどうやら今日までが血洗島編と言うことらしい。

来週からはいよいよ舞台を京都に移して物語が進む。

明治維新まで後もわずかとなったこの時期は、幕府も朝廷も日本を統治できてはいなかった。

この当時先進的な考え方として尊王攘夷が盛んに唱えられたが、残念ながら日の目を見ることにはならなかったのだ。

理由は簡単で、仮に外国に対して戦いを挑んでも全く勝負にならない。

尊王攘夷思想の土佐藩や薩摩藩はイギリスなどと戦いをしてみたが、全く勝負にならなかったのだ。

日本の持っている武器では到底歯がたたないことを思い知らされ、そのような相手に戦いを挑んでみたところで犬死にするだけだと良識あるものは気づき始めていた。

その歴史的な流れを渋沢栄一はその身で如実に体験していたと言える。

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栄一と喜作 紆余曲折を経て2人して京都へ

目次

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栄一たちが洗脳されていた攘夷思想

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日本を守るためにはやむを得ないと考えていた

日本国内はこの当時尊王攘夷思想が蔓延していた。

黒船がやってきて日本に対して傍若無人な振る舞いをする。

そのことを許せないと思う輩はとても多かった。

特に天皇家を中心とした朝廷は外国排除の動きに拍車がかかっていたのだ。

渋沢栄一の歴史を見てみると、この20歳前後の最初の結婚をした頃は尊王攘夷思想にどっぷりと浸っていて、幕府転覆も考えていたと聞いた。

そして、政治の中心的な役割を朝廷にお返しして天皇が政治を行う世の中を夢見たようだ。

そのためには何よりも外国排除の行動を起こさなければと考えていたようだ。

自分自身が商売で儲けたお金をこのような行動を起こすために、武器弾薬を買ってため込んだとも聞いている。

若い頃は今振り返ってみても血気盛んだった事は言うまでもない。

平岡円四郎との出会い

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一橋家に仕えてはみないかい?

この頃の渋沢栄一は農民とは言い難い精神構造で生きていた。

とにかく志がとてつもなく高いので、世の中全般を心配して日本の国全体を良くするために自分に何ができるかを考えていたようだ。

そのため幕府の取り締まりなどにも目をつけられていたように描かれていたね。

実はこんな中、栄一たちを高く評価していた人物が平岡円四郎。

彼は言わずと知れた一橋家の重臣で一橋慶喜の側近中の側近

彼が栄一たちに言葉をかける。

一橋家に使えてはみないか?

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一橋家の家臣 平岡円四郎は調べたところ暗殺されている

この言葉は相当意外なものに感じたのではなかろうか。

1介のお百姓さんに過ぎない栄一にとって、徳川御三卿の一橋家の人たちといえば雲の上の人たちだったに違いない。

その人たちから声をかけられれば、きっと驚きの気持ちで受け止めたに違いないのだ。

しかし、最初の出会いは栄一たちがお断りをしたことで簡単に終わってしまう。

この頃渋沢栄一たちは何人かのグループで横浜焼き討ちの計画を立てていた。

そのためには、簡単に外からのオファーを受けるわけにはいかなかったようだ。

尾高長七郎の決死の説得

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やめておけ❗️お前たちを犬死にさせたくない🤦‍♂️

血洗島の尾高家には攘夷思想に心酔した若者たちが70名ほど集まったと聞いた。

実はこのときの横浜焼き討ち計画は尾高長七郎の必死の説得によって中止になっている。

70名ほどの一揆を起こしてみたところで簡単に押しつぶされてしまうことを長七郎は目の当たりに見てきている。

それは薩摩や長州がイギリスなどと戦って簡単に負けることを思い知らされているから。

また長七郎の仲間たち1000人も様々な行動を起こしたが、あっけなく敗れ去ったことを彼は経験していた。

そして薩摩も長州も攘夷を捨てたことも知っていたのだ。

つまり考えを持って行動してみたところで何の役にも立たないし、行動すれば犬死にすることが目に見えているので、そんなことに仲間たちをいかせるわけにはいかない。

もし世の中のために何か行動するのであれば、もっと別な行動を綿密な計画に基づいて行わなければ無駄な命を落としてしまうと。

栄一の決心

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歌ちゃんのためにも絶対に生き延びる❣️

栄一は最初の子供を麻疹ですぐになくしてしまっている。

実はそのことが彼のトラウマになっていたのだ。

2番目の女の子歌ちゃんを同じように失ってしまったらどうしようと。

そのために自分の手に子供を抱くことすらしていなかった。

さらに世の中のためとは言え一旦は自分の命がなくなることも覚悟していたのだが、そのことが愚かで浅はかな考えであることを思い知らされた。

いとこの長七郎に説得されて愚かな計画を思いとどまってみたところ、自分が何をすべきかに気がついた。

まず自分の妻と子供をきちんと受け入れること。

そして家族のためにみだりに命を捨てるような事は絶対にしてはいけないと心に決める。

しかし、そのまま百姓をするわけにはいかない。

もうこの頃の栄一は百姓とは言えない心意気で満たされていた。

すでに政治の本質が京都に移動しつつあることを敏感に察知して、京都行きを決めたのだ。

来週はこの京都行きで一橋慶喜と謁見することになるのでは。

一橋慶喜はこの頃京都で幕府の代表として忙しく働いていた。

そこで栄一は新たに家臣に加わるのだ。

物語はどうやら来週からは京都中心で描かれるようだ。

短い予告編の中で、なまめかしい京都の様子が少し描かれていたね。

無類の女好きと言われた渋沢栄一

堅苦しい物語だけではなく、そういった裏の渋沢栄一も多少は描いてみた方が物語に奥行きが出るかもしれない。

とにかく彼の場合、生涯で50人近い子供を作ったとされているのだ。

ユーモアを交えて描いてみるのも一興だろうと今でも考える。