くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

青天を衝け パリで学ぶ新しい世界

 

いよいよ今日の青天を衝けでは、パリ万博についての詳しい物語が語られることに。

時代は1867年、横浜からパリを目指した渋沢篤太夫一行。

当時は船旅で55日の旅行とあった。

おそらくははじめての船旅で、早速船酔いの洗礼を受け、初めて様々な国の人たちとも相見えることに。

篤太夫にとって、今までとは全く別の経験をすることに。

持ち前の好奇心と、適応能力で一行のピンチも彼が退けることになる。

しかし、このパリ万博の訪問は単なるものみ遊山の目的だけではなかった。

裏にはフランス政府への600萬両の借款の話がある。

そういった裏事情を抱えながら、当時の幕府の一番の敵とも言える薩摩藩との厳しいやりとりもパリで勃発することに。

しかし、篤太夫が学ぶべき事はてんこ盛り。

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何もかもが目新しい😳

目次

お名前.com

55日の船旅の末

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最初に凱旋門の屋上に登ったらしい

初めて見るフランスの街並みは篤太夫一行にどんなふうに映っただろうか。

西洋の街並みを見ることも、人通りを見ることも初めてだったに違いない日本の人々。

しかもその一行の身分は全てが武士。

彼らの持ち合わせたプライドがどれほどパリでの滞在に貢献できただろうか。

今日の物語の中でその辺の微妙なすれ違いの様子が巧みに語られていた。

この当時はイギリスで産業革命が起こった後で、蒸気汽関もすでに実用化。

ちなみに、この時フランスを訪れたが、フランスの政治体系はまだ皇帝制。

ナポレオン3世が即位していた。

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ナポレオン3世 日本で描かれたものと思われる

時代はフランス革命の殺戮がちょうど終わった頃の時代。

少しずつ安定し始めていた頃。

ちなみにこの時、パリ万国博が開かれた跡地に今のエッフェル塔が建設されている。

パリ

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ダンスパーティーなど見るもの全てが新しい

パリでの様子は、この物語上ではどんなふうに撮影したのだろうか。

外人の俳優たちもたくさん出演していたし、またセットで撮影するにはあまりにも建物は立派すぎたと思う。

NHKの得意分野にコンピュータグラフィックがあるが、おそらくは最大限活用したのではと思う。

パリにロケ旅行の話がどこからも聞こえてこないところを見ると、すべては日本国内で工夫して行ったのではと推察。

特にパリでの様子だと初めてエレベーターに乗った時、コーヒーなども篤太夫は持ち前の適応力で自ら用意していたような。

時代の流れから考えると、パリ一行の中で1番の適応力を発揮できたのは篤太夫だったのではなかろうか。

薩摩藩の暗躍

 

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五代友厚 彼が裏取引のお膳立てをしていた

薩摩藩は巧みに裏で手を回していた。

あたかも徳川家と同格のようにパリ万博に様々な出品をしていた。

そして、地元のスパイも暗躍している有様で 、万博への日本国の出品は必ずしも思い通りのものにはならなかったようだ。

特に徳川幕府はフランス政府に借款を申し入れていたが、その企みは残念ながらうまくいかなくなったようだ。

様々な原因が考えられるが、何よりも薩摩藩からの様々なスパイを用いた働きかけで当時仲の悪かったフランスイギリスの関係が大いに影響したような。

フランスは日本から生糸を独占輸入しようとしていた。

その見返りが借款。

実はそのことがイギリスにばれてしまう。

この辺の詳しいいきさつはこの物語の中では簡単には語られるものではない。

他の、歴史の特集番組を見るか、自分で検索する以外に詳しく知る術はなさそう。

薩摩藩は五代友厚が巧みに裏で手を回して、徳川幕府の足を引っ張ることをしていた。

もちろん当の本人は、幕府転覆を真剣に画策していたとは思えない。

請われるままに、様々な外交取引を行っていただけなのかもしれない。

篤太夫の活躍

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徳川慶喜は篤太夫の金銭感覚を高く評価していた

名誉を重んじる武士たちにとって、言われるままに出費していれば当然旅行の費用も足りなくなる。

このときのパリ旅行は記録にも残っているが、滞在費用の枯渇と言う重大な局面を迎えることに。

この時活躍したのが篤太夫。

今で言うところのアパートを借りて滞在費用を大幅に圧縮。

その時の苦労の様子も今日の物語で詳しく語られていた。

人との取引は、渋沢の最も得意とするところ。

かつて商いで培った様々なテクニックが、この時とばかり見事に発揮される。

一橋家で勘定方として大活躍していたこともその能力の高さから。

こうして最初の危機は脱することができたのだが肝心の裏の目的、フランス政府からの借款が消滅する事態に。

まとめ

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パリ行きで学んだことが後の渋沢栄一を形成する

このとき、日本では徳川慶喜が各国首脳を招いて日本の方針を伝える会議を開いていた。

今日の物語でもその時の様子が詳しく語られていたが、なんと徳川慶喜は3ケ国語を駆使していた。

オランダ語、フランス語、英語。

大変な能力だと言わざるを得ない。

おそらく事実無根なことを物語にしているわけではなかろう。

私が知っていた徳川慶喜像とはまるで違うし、実際の歴史についてほとんど何も知らなかった自分が、ある意味あまりにも無頓着と言うべきではなかろうか。

この徳川慶喜の類稀な聡明さが、逆に仇となって周りから恨まれることにもなったような。

この時代は全力で駆け抜ける様相を呈していた。

徳川慶喜の判断は驚くほど速い。

このままメンツや建前でズルズルと政局を引き伸ばしてにしたところで、誰の得にもならないと考えたようだ。

直ちに大政奉還の手続きに入る。

来週の予告編も少し語られていたが、もう明治維新になってしまう。

パリに赴いた一行は未だ帰国しないままに。

時代は物語以上に大きく揺らいでいる。