くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

青天を衝け 篤太夫改め栄一

 

物語は1869年明治2年の設定

明治政府が始まって2年目との設定だが、政府として機能していたとは全く言えず、混沌としていた。

静岡県で徳川慶喜の下、財政基盤を確立すべく奮闘していた渋沢はその名声を聞きつけた明治政府から召喚されることに。

パリ留学中に現在の日本円でおよそ4億円を財テクした実績が高く評価されたのだ。

栄一は政府からの申し出を受けるつもりは毛頭なく、断るつもりで東京まで赴く。

そこで日本史にも出てくる著名人たちとあい見えることになる。

よく知られている、伊藤博文や大隈重信。

彼らが明治政府で最初に会う仲間たちだと言えるだろう。

物語の見所はあの口達者な栄一が大隈重信には論破されてしまうところ。

世の中の大局を見据えた大隈重信は渋沢栄一を説得することに成功。

栄一は、静岡から東京に移り住んで活躍の場が与えられることに。

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東京に召喚された頃の栄一

目次

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混乱する明治政府

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大隈重信と大久保利通 明治政府の実質的な運営を司る

明治政府設立の立役者とされているのは何といっても岩倉具視が挙げられるだろう。

彼は言ってみれば公家たちの代表みたいなもの。

皇室の信頼が厚かったこともあって、主な政府の陣要は彼が取り仕切ることになった。

そして当時、設立のために力を振っていた西郷隆盛などは実際には参画していない。

多くの問題を抱えたまま、素人たちの集まりと言っても過言ではないほど混乱していたのだ。

何よりも徳川時代の様々な政策を1度に転換することなど不可能だった。

廃藩置県と呼ばれる政策なども実はずっと後の事。

徳川時代の藩制がそのまま踏襲されることになった

明治政府が最初にやらなければならなかった事は、内政も外交も問題山積で、我々が知る以上に時間がない感が強かったと言える。

この時代奇跡的だなと思うのは、隣の中国が列強に良いように食い荒らされて国が滅びるような事態に陥った中、日本は不平等条約を調印させられながらも国としての対面を保っていた。

この時代の世界は、植民地主義が横行していたのだ。

日本のような小国が消えてなくなるのも時間の問題だと思われたが。

しかし、ここで国づくりに励んだ人たちの努力によって、明治政府は徐々に形をなしていくことになる。

渋沢栄一召喚

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伊藤博文と渋沢栄一

パリでの渋沢栄一の活躍は明治政府の中でもよく知られることとなっていた。

多くのことを学んで所持金を投資することで逆に増やしていた栄一。

その実績は明治政府にとっては脅威的だったろう。

幕府側の人間でいながら、明治政府は渋沢栄一を召喚することになる。

平たく言えば、駿府を出て東京で国のために働けと命令が下ったようなもの。

命令を受けた栄一は激しく反発。

彼は出発は一橋家の家臣。

そこからやがて幕臣となってフランス留学の重要な役割を任された。

実はこれが、困難に次ぐ困難で、お金の心配やら、様々な人との調整など、渋沢栄一の果たした役割は極めて大きかった。

特にいつ破産してもおかしくないような厳しい中で渋沢栄一は逆に畜財するだけの離れ業を成し遂げている。

その事実が明治政府に知られることになったのだ

大隈重信対渋沢栄一

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大局を見据える熱意は大隈の方が上だった

大隈重信のもとに赴いて、受けた命令を辞退するつもりでいた栄一。

そこには伊藤博文や大隈重信の奥さんも同席。

険しい表情で、とにかく断ろうと臨んだ栄一は大隈重信と議論を戦わせることになる。

栄一の言うところは全て正しいものと思われた。

栄一の正しさを全て認めた上で大熊はさらに力説する。

明治政府は指摘された通り素人の集まりな事は言うまでもない。

何もかもがこれから出発するしかない。

これから何かを始めるためには、外国に行って最新の様々な知識を身に付けた者たちが活躍する必要があるのだと。

そのために力を貸してほしいと力説される。

大隈重信の真骨頂だろう。

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激しく議論を交わしている様子 奥の方に奥さんと伊藤博文

今日の物語の中で見所満載だったシーン。

真面目なやりとりよややコメディータッチで描いているところが、俳優たちの熱演もあって興味津々だったと思う。

渋沢栄一が言いくるめられたシーン。

栄一は明治政府で働く意志がふつふつと湧き上がってくるのだ。

徳川慶喜最後の命

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これからは日本のために尽くせ

駿府に戻ってきた渋沢栄一は徳川慶喜に謁見する。

そこでいつものように熱弁をふるって、明治政府を激しく非難。

そしてやがては徳川慶喜こそが日本を導くのだと力説するが、慶喜にその気は無いことがわかる。

徳川慶喜は大政奉還から明治維新に至る過程ですっかり痛め付けられていた。

生きながらえることができただけでもよしとするしかなかった。

これからは、奥方の美賀君とともに穏やかな暮らしをすることに。

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何年ぶりの再会だろう 夫を信じていた妻

この頃渋沢栄一は篤太夫を名乗っていたが、最後の慶喜の命を受けて自分自身の名前を栄一に戻すことを宣言する。

それは次の世界へ一歩踏み出すための儀式と言って良いのかも。

明治政府で果たすべき役割

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家族全員で静岡から東京へ移住

明治政府を見て最初に感じたことが全く形をなしていなかったこと。

このままでは政府そのものが遠くない将来滅んでしまうとも予言。

政府の中に新しい部署を設けてきちんとした政策立案をする必要があることを力説する。

とにかく始まったばかりの明治。

いよいよ物語は後半に向けて渋沢栄一に本来の活躍の場が与えられることになる。