永浦家の家族は気仙沼で全員が揃って暮らせることに。
しかし、今まで通り朗らかな家族には見えるけど、それぞれは簡単には明かせない苦しみや痛みを抱えていた。
今日はそんな家族の様子を中心に描かれるストーリー。
家族の中で5年以上も地元を離れていたモネは、家族の様子を見るにつけどうすれば痛みを癒してあげられるのかを模索していた。
久しぶりになるが菅波先生も冒頭部分でわずかな時間登場していて、モネにとってはかけがえのないアドバイスをすることになる。
この2人が信頼関係で結ばれていて、離れ離れでいてもお互い良好な関係が築けていることもよくわかったね。
そして昨日からの流れで母亜哉子さんがどうして学校の先生を辞めてしまったかが、少しずつ明らかになる。
内容は、いつものことながらセリフには現れてこないけれどあまりに切なく辛い過去だった。
目次
モネと菅波先生
永浦家ではみんなそれぞれが苦しみや痛みを抱えていた。
5年以上家を離れていたことで、モネには他の人には見えないことも新鮮に見えてきちゃう。
しかし、家庭内の様々なことに対してはとても自分からは言い出せない。
そこで菅波先生に電話で相談をしてみることに。
結論から言うと先生は驚くほど頼りになるのだ。
5年以上、家を離れていた者に口出しなんかされたくないでしょうしね!
言い方はいつも通りキツい部分もあったりしてね。
しかし、医者として鍛えられている先生は本質をついてアドバイスができる。
ここが痛いと言わせてあげることこそが一番。
たとえ解決に至らなくても、そこからきっかけとなる糸口が見つかることだってある。
あまりにも的を得た先生のアドバイス。
私には先生が絶対に必要❣️
2人のこのやりとりはとても好ましくほほえましくも映った。
モネからのメッセージ
気象ひと口メモとして季節の変わり目で起こる体調の変化について説明をする。
季節の変わり目では体調が悪くなったりする人も。
頭が痛くなったり、体の節々が痛くなったり。
それは体だけではなく心にも起こる場合が多い。
そんな時はどうか周りの人にここが痛いと告げてみてはどうですか。
もし、周りに話す人がいなければどうか私に聞かせて下さい。
さりげなく優しい問いかけはラジオの放送ながら聞いている人の心には間違いなく届く。
とりわけモネの家族には届いたに違いないのだ。
石井あかりちゃんの思い出
ラジオの放送が終わった直後ブースを訪ねて来てくれたのは以前訪ねてくれた女の子
あかりちゃん。
あまり大きな声では言えないが、彼女はなんとなく問題を抱えているような雰囲気があって時々学校をサボる。
どうやら今日もそんな雰囲気だが、モネに話しかけていた。
永浦百音さんって永浦先生の娘さんですよね。
ここで分かった事はあかりちゃんは母亜哉子さんの教え子だったこと。
モネの呼びかけに、自分が今、かなえたい願いは先生に会うことだと。
そこで自宅の方に連れて行くことにした。
まだ詳しくは話してはいないけれどどうしても会いたくてここまでやってきたとのこと。
かつての先生と教え子で昔話に花が咲く。
今から6年前と言うと、ちょうど地震の時。
それ以降あかりちゃんは気仙沼を離れて別な街に引っ越していて、最近こちらに戻ってきたとのこと。
中学生になった今、学校は楽しいし友達もできたけれど時々学校をサボったりすることも。
その理由については語られてはいなかったけれど。
理由もなく学校をサボったりはしないはずだよね。
亜哉子さんはもう先生ではなくなったし、石井あかりちゃんもかつての教え子と言うだけで、学校へ行く行かないは本人が決めるべきこと。
周りの人は強制はしないけれど、なるべくなら学校へ行ったほうが穏便に事は済むので、学校をサボることを勧めたりはしないのだ。
亜哉子さんの地震体験
「おかえりモネ」は東北大震災の体験で、心に傷を負った人たちの物語になっているが。
どちらかと言えば主人公を中心とした若い世代の人たちの物語と取られがちだが、実際はこの時住んでいる人たち全員がこの地震に遭遇している。
地元で津波の被害を直接被った人や、当日 現地にはいなくて出先で地元の大変な被害を知ることによって、そこに自分が居合わせなかったことを激しく後悔する人だっている。
モネは後者の方。
実は大人の世代もこの地震によって心に大きな傷を受けた人たちが。
亜哉子さんは地震のあった日の夜、子供たちを何が何でも守ろうと決意していたようだ。
静かになった後車で1人待機していると家族のことが思い出されてしまう。
それはほかならぬ百音と未知 2人の娘のこと。
地震が起こった時は家族はバラバラだったのだ。
母親の自分はちょうど仕事先だったので、学校の先生として生徒たちを真っ先に守らなければならない責任があった。
自分の仕事をしながらも娘たち2人のことが心配でたまらなくなってしまった彼女は学校を出ようとしたらしい。
実はそのことをいまだに悔いている。
自分は生徒を守る責任を放り出して自分の家族のために持ち場を離れようとした。
そのことが許せなくて、自分で自分を責め続けていまだに苦しんでいるのだ。
学校の先生を辞めた理由はここにありそうだ。
こんな責任を放棄するような自分が学校の先生でいられるわけがないと自分で自分をさばいた結果になる。
昨日は達己さんが雅代ばあちゃんの看病の為と推測していたが、実際は違う。
自分自身を許すことができなかったのだ。
それにしても、東北大震災の爪痕はとんでもなく深い。
そして物語では一体どれだけ多くの人の苦しみが語られるのだろうか。