青天を衝けでは、現在 渋沢栄一の本当の値打ちが語られつつある。
彼は激動の幕末と明治維新を生きて、日本の資本主義の祖とされるが、それは商業などを始めとする産業だけには留まらない。
どんな国でも社会福祉に関わる事業を展開しているが、日本で初めて福祉の事業を計画したのが渋沢栄一。
私が彼を最も評価する点がここにある。
今日語られるエピソードはその点も含めて、
栄一と岩崎弥太郎との最初の会談の様子が描かれていた。
結論から言えば、決定的なもの別れ。
今日の物語の中で語られていた様子を見ると、どちらも間違ってはいない。
むしろ岩崎弥太郎の方が商売をやる人の側には立っているような気がしないでもなかった。
しかし岩崎弥太郎の思想には致命的な弱点がある。
それは勝者と敗者がはっきり分かれてしまうこと。
戦争と同じ結果になってしまうのだ。
渋沢栄一は誰もが勝者になることを目指していたと言える。
決定的な差が、今日明らかにされる。
目次
東京商工会議所
商人同士の話し合いの場を持つように申し入れしてきたのは政府。
こういった催し物は大抵の場合、政府から話が出される場合が多かったようだ。
今日の物語の中で政府の連絡担当を行っていたのが伊藤博文だった。
彼は外国留学の経験もあって外国との折衝の場合は通訳もしていたような雰囲気。
彼が商工会議所設立の話を持ってきた時、居並ぶ商人たちは皆めんどくさそうな表情。
ただ1人渋沢栄一だけが、その有用性をいち早く察知。
ぜひやろうと言うことになって、メンバーの中には岩崎弥太郎の名前もピックアップされる。
民間の中での意見交換がどうしても必要な事は今では常識とされることだが、この時代は何もかもが始まったばかり。
誰かが言い出さなければそれぞれが暴走しかねない可能性も。
渋沢家
この時期、渋沢邸では書生も何人か入っていたようだ。
勉強を中心とした弟子みたいなもので、基本的に仕事は雑用を始めお手伝いさんのようなもの。
明治は作家を始め様々な仕事で書生として住み込みで働く人も結構いたりした。
さて、この若者たちに対して千代さんの訓示があったよね。
いつの時代も若者はのほほんとしていて批判だけは一人前だが自らの行動力はからっきし。
そのことを厳しく指摘していさめていた。
また小さい子供たちには本を読んで聞かせることもしていたようだ。
古い書籍だが「里見八犬伝」の本が紹介されていたね。
この頃になると渋沢家では、家事等は奥様たちが直接手を下すことも少なくなっていたと思われる。
住み込みのお手伝いさんをはじめ、多くの人出があったものと推察される。
栄一対弥太郎
岩崎弥太郎が渋沢栄一に招待状を送って、いっぱいやろうと言うことに。
そこでお互いの胸の内を忌憚なく明かすことになる。
岩崎弥太郎は、どこまでいっても優れた指導者が命令直下で行動できる商売こそが一番優れていると譲らない。
それに対して栄一はあくまでも合本で事業を起こして、利益も全て折半すべきだと。
弥太郎はそれに対して
まどろっこしい!と一喝
栄一も負けてはいない。
1人の人間が日本の商い全てを牛耳るようなことになってしまっては、国自体は決して豊にはなっていかないと盛んに力説する。


平岡円四郎の奥さんだったやすさん。
彼女もこの物語には三味線の師匠として登場しているね。
芸者さんが大勢出かけていくのを見て、一体誰のおもてなしなのかと聞いて渋沢の名前に反応。
かつて一橋慶喜の側近だった頃の思い出が蘇る。
さて、岩崎弥太郎と渋沢栄一は、水と油の存在だったかもしれない。
歴史的にはどうかと言うと、岩崎弥太郎は50歳そこそこでガンで不本意な最期を遂げているのだ。
そして現在の彼の評価は業績のあった1商売人。
それ以上の評価は得られていない。
渋沢栄一と伍代友厚は今彼らがどれだけ大勢の人に支持されているかを見れば評価は一目瞭然だろう。
養育所(福祉事業)
渋沢栄一を語るときに私が絶対に外せないと思うのが、
彼の福祉事業に対する思い入れ。
今日のエピソードの中では、奥さん共々養育所を訪問していたことが描かれていた。
おそらく史実に基づくエピソードだろうと思われる。
千代さんは誰に対しても分け隔てなく母性を発揮していたものと思われる。
そんな妻の様子をこの上もなく愛でていたであろう栄一。
そういった夫婦の絆がしっかりと描かれていたね。
ただし、歴史的に見てこの時間は長く続かなかったはずだ。
千代さんは42歳でコレラでなくなってしまう。
その翌年、渋沢栄一は再婚をすることになる。


今日の物語では後半にほんの数十秒間出演していたね。
これは番組の公式サイトの発表なので間違いはなさそう。
渋沢栄一の人となりを知る上ではどうしても外せない人になるだろうな。
今日の物語はまだこのエピソードのずいぶん前になるが、そう遠くない将来、千代さんは物語からも退場することになる。