第4週目に入ったカムカムエヴリバディーは1943年から1945年に至るまでが描かれる。
既に太平洋戦争は泥沼状態でほぼ勝ち目はないと思われた。
そんな中、国民は皆プロパガンダに踊らされて、ひたすら戦闘意欲をかき立てられる毎日だったのだ。
安子ちゃんは稔君の出征を見届けた後、妊娠していることが発覚。
物語はどんどん進んで、ついに赤ちゃんが生まれる。
既に出征する前に名前は決めていた稔君。
命名 るい
男の子でも女の子でも通用する名前でこのように決めていたが、
これはルイアームストロングから採った名前。
そのいきさつを知っている安子ちゃんは、ご時世柄この名前のいわれを明かす事はなかった。
目次
出征
カムカムエヴリバディを見ていて、物語の作り方がつくづく巧みだなと感じる点がある。
それは物語の性質上通常とは比較にならないスピードで話を進めねばならない。
そのためにはあちこちでストーリーをはしょらなければならないのだ。
わかりやすさを兼ね備えながら、王道の朝ドラの雰囲気を残しつつ、新しい試みで次々とストーリーを展開させる。
ドラマの制作スタッフの堀内礼次郎さんのコメントを読んだことがある。
朝ドラは病院で入院している患者さんが日課のように必ず見ているんだよね。
そういった人たちに分け隔てなく元気を与えられるような物語を作ってみたかったと。
そして第4週以降は人の生き死にをしっかりと描いていきたい。
実はこれを読んで私なりにいたく感動した。
朝ドラは時計代わりで見ている人が昔の人のタイプ。
しかし、最近のドラマは1回音を聞いたくらいではとてもストーリーなど頭に入ってくるはずもなく。
画面の隅々までしっかり目を凝らして感じ取らなければ本当の面白さは伝わってこない。
さらには朝ドラの宿命だがわずか15分で物語を作り上げる必要が。
私などそうだが朝7時半からハイビジョン放送で見て、その後8時からの地デジの放送を見る。
そしてお昼にもう一度見ると言う。
自慢じゃないがヘビーユーザー間違いなし。
世の中はインターネットが隅々まで行き渡って、自分の好きなものを好き勝手にいつでも見られるような状態が演出されるが、王道の朝ドラのパターンもぜひとも残してほしいと勝手に考えている。
勇君
勇ちゃんの立派だなと思うところ。
それは自分の兄嫁に対してきちんと「姉さん」と尊称をつけて呼んでいたね。
ついこの間までは“あんこ”だよ。
この時代の若者はみんな礼儀をわきまえているんだと今日のドラマを見て私は勝手にそう思っちゃったけど。
今のご時世の若者だって気立ての優しい子や気持ちの健やかな子が山ほどいるとは思うけどね。
さて、学徒出陣に関する法律は、開始年齢が繰り下げられたことがある。
つまり20歳から19歳へ下げられたのだ。
これで、ほとんどの若者が対象になってしまう。
平気検査で甲種、乙種、丙種の分類がなされるが、たいていは甲種で合格だったようだ。
結核などの既往症のある人が丙種だったと記憶する。
時代は、負けが分かっていてもそれを認めることができない泥沼の様相で多くの犠牲者がさらに増えることになる。
物語の中でさらりと語られていたが、そろそろ日本本土の爆撃も始まり始めた頃。
ミッドウェイ海戦で大敗した日本軍は海ばかりか空の制空権も失いつつあった。
グアムサイパンが陥落し、そこを基地としてB29の爆撃も始まる。
物語は岡山の空襲から、広島長崎の原爆に至るまでが今週中に語られるような気がする。
誕生


稔君が出征して2ヶ月経った頃妊娠していることがわかった安子ちゃん。
物語はとんとん拍子に進んで出産シーンは割愛。
生まれたばかりの子供と家族との対面の様子が描かれる。
自分の息子2人が戦争にとられてしまうのだ。
この時代、家族を戦争に送り出した家族が、お国のためだと喜び勇んで平気で居られた人なんているはずがない。
出征する者達はお国のために潔く命を差し出しますなんて言ってはみたが、送り出す方とすればたまったものじゃない。
冗談じゃないよ
生きて帰ってきてよね。
これは動かしがたい本音だろう。
そうした戦争に対する切なる思いがわずかな時間の中でしっかりと描かれているんだよな。
生まれた女の子の名前るいちゃん
この名前について家族みんなが勝手な想像を。
名前の言われの真実を知っているのは安子ちゃんだけ。
子守唄はサッチモのジャズ


ジャズを聴くことなど絶対に許されなかった時代。
しかし、安子ちゃんは子守唄がわりにサッチモのあの
on the sunny side of the street
稔君の手紙を手元に置きながら、聞き覚えのあるあの曲を毎晩聞かせてあげる。
物語は、誕生の嬉しさはどこかに消えて、これからきたるべき運命がどんなものなのかとビクビクしながら見守ることになる