終戦間際になるとB29による空襲は日本全国に及んだ。
少しずつ、あちこちから飛んでくるようになってきたが、3月10日に東京大空襲があった。
その後関東地方から関西にも波及。
既に制空権 制海権両方失っていた日本は、アメリカ軍の攻撃にさらされるがまま。
戦争が始まって終戦に至るまで、全国でおよそ310万人が亡くなった。
特に1944年と45年で数多くの人が亡くなったことが特徴。
日本本土をいたぶるかのように、飛来する爆撃機は民間も軍属も区別なく皆殺し作戦を敢行してきた。
よく言われることだが、これは本来『ハーグ陸戦協定』で一般市民に攻撃に加えてはならないことになっているのだが、戦時中ではそんな約束事など守られるはずもなく。
物語で描かれたのは6月に入ってからは、岡山などの地方都市にも爆撃の嵐は襲ってきた。
目次
里帰り
物語は1945年の6月末と思われる。
るいちゃんが生まれてほんの数ヶ月。
まだ乳飲み子の赤ちゃんを抱いて里帰りした安子ちゃん。
出迎えた橘家は、既に店は閉鎖状態で父金太は市内の軍需工場で仕事をしているような。
お母さんとおばあちゃんが大歓迎で迎えてくれる。
そうこうしているうちに父も帰宅。
久しぶりの里帰りは厳しい生活の中、嬉しくもあり。
この頃商店街では商売ができているところはほぼなかっただろう。
幼なじみのきぬちゃんは女子挺身隊として忙しい日々を送っているとの設定。
道端で会って話してみたところが、彼女は家族全員で京都の親戚のところに疎開すると言う。
この当時は、東京大阪を始め、大都市圏に住む人たちは田舎へ逃避行を始めていた。
アメリカ軍の爆撃がいつ始まるともわからない。
特に地方都市といえども軍需工場などが近くにあったり、兵舎があれば攻撃目標にされた。
懐かしい商店街も、今や開店休業状態だが、空襲の時は迫っていた。
空襲警報の発令されない空襲が!
調べてみると岡山市の空襲は1945年6月29日の未明。
140機のB29はあのサイパンのテニアン島から出発(広島長崎の原爆機が出発したのもここ)
紀伊水道を通って岡山市内に空爆を。
最初は軍事作戦で主要な目標に対してピンポイントの予定だったが、結果としてはほぼ無差別爆撃に。
市内のおよそ6割が消失したとされる。
降り注いだ爆弾は焼夷弾。
これは、日本の家屋が木造建築であることをあらかじめ想定した“全てを焼き払うために専用にあつらえた爆弾”
原爆などとは違って恐ろしく安上がりな爆弾だが、その効果は著しいものだった。
このときの岡山市内は、建物では岡山城が完全に消失していて、1番被害が大きかったとされる。
また、市内でも1737名が爆撃によって犠牲になった。
かなりの枚数の写真がネットで検索できるが、東京や広島長崎と変わらない被害が見てとれる。
人口がわずか16万人程度の小都市ながら、空襲警報も何も発令されないまま突然の爆撃に襲われた市民の恐怖はいかばかりだったろうか。
防衛線もあってないようなものだったので、人々は逃げ回るばかりだったと想像する。
大勢の犠牲者
懐かしい商店街もしっかり焼失。
大勢の犠牲者が出たことを描いていた。
物語の中のエピソードで赤螺荒物屋一家の様子も描かれていた。
どうやら息子の吉右衛門くんだけが生き残ったような。
街の中にとどまった人たちは大勢亡くなったことが見て取れた。
普通、市民たちは自分の家の敷地内や町内会で防空壕を設置していた。
爆撃から必ず命が守られることを約束できたわけではないが、とりあえず避難所と言うことで。
運がよければ生き延びることができる。
橘家では、金太が空襲の最中に消火活動に合流していた。
そして彼の指示で、妻と母親に防空壕の中に入っていろ!と。
しかし、この指示は命運を分けることになる。
母と祖母の死
ついこの間安子ちゃんの里帰りを喜んでいたばかりだったが、たまたま2人の入った防空壕に焼夷弾が直撃。
この当時の防空壕は、地面に軽く塹壕のようなミゾを掘って上を被っただけぐらいのもの。
爆弾の直撃には到底耐えられない。
案の定 このときの直撃で防空壕内にいた人は全員焼け死んでしまったとのこと。
物語は制作スタッフがコメントで残した通り、命の生き死にを克明に正直に描いている。
そうなると心配なのは出征している稔君や勇君。
彼らは兵隊として任務に就いている。
当時の日本軍は特攻作戦など、命を無視した無謀な作戦行動があちこちでまかり通っていた。
既に物語では、概略のあらすじがNHKの公式ページからいくらでも確認できるが、結果は相当凄まじいものが想定される。