るいとジョーの物語は種明かしも含めていよいよ核心に近づくことに。
2人にとって思った通り特別な曲だったんだよね。
on the sunny side of the street
るいにとっては、母親との思い出が蘇る。
さらにとっては自分の名前がルイアームストロングからとられていることも。
ジョーはやはり、岡山の進駐軍キャンプにいたあの浮浪児の少年だったことが明らかに。
少年の記憶の中にはサニーサイドの冒頭の高らかなトランペットと、当時歌手でもないおっさんが歌っていたジャズボーカル。
ジョーにとって人生の出発点がこのサニーサイドなんだと。
るいは忘れかけた名前の記憶をここではっきり思い出すことになった。
2人の記憶を突き合わせてみると、まだ曖昧な部分もあるがどうやらこの物語を最初から見てきたものにとっては、妄想がそのままになったと、内心ほくそ笑むのでは。
目次
るいとジョーの記憶
ジョーが問わず語りで語り始めた昔の記憶。
彼の1番古い記憶が岡山での米軍キャンプでのエピソード。
彼はキャンプで初めて聞いたのがジャズのサニーサイド。
冒頭のトランペットの高らかなファンファーレと、歌手でもないおっちゃんがマイクを横取りして歌い始めた力強いボーカル。
このときの生演奏が彼の人生の出発点、それ以前の事はあまり記憶にもないとの話。
このときの様子は以前のカムカムエヴリバディでも詳しく描かれていたよね。
これはまだヒロインが安子のころで、ちょうどロバートローズウッド中尉とのエピソードが語られていた頃の話。
ちなみにこの場所には、るいは同席していなかったと思う。
おはぎ売りに街に出たときに、クリスマスでなかなか売れなくて、残りを全部ロバートが買ってくれた。
そして案内されたのがクリスマスのパーティー会場だったんだよね。
このときの舞台袖にいたのがジョー。
ドリンクの瓶をトランペットがわりに盛んに調子をとっていた。
るいの記憶だと、母親はなぜか自分と一緒にいることを避けるようになって、そしてアメリカ人将校と恋をして、自分を捨ててそのままアメリカに渡ってしまった。
るいの記憶も、事実関係だけが断片的につながるだけでその当時の母親やアメリカ人将校の胸のうちまでは推し量ることができていない。
しかし記憶に残る事実をつなぎ合わせていけば母親とアメリカ人は恋仲になって、しかも自分の見ている前で抱き合っていたし、そのままアメリカへ行くのも事実として受け入れざるを得なかった。
自分は捨てられたと、激しい空虚感と悔しさ。
その忌まわしい記憶を消し去るためにわざわざ岡山から大阪へ。
このときのジョーの反応がなんともシュール。
るいちゃんはお母さんに会いたいんやなぁ🤪
みるみる怒りが湧いてくる るい。
人の話を1つも聞いとらん😤
ジョーへのダメ出しはとてつもなく手厳しい。
エピソードのバックグラウンド
物語の中で当時の状況を表すいくつかのアイテムが紹介されていた。
アイジョージのボーカルで「硝子のジョニー」は、これ 実は今の上皇后様の大のお気に入りの曲だったんだよね。
今聞いてみても驚くほど説得力のあるボーカルだね。
そして堀江謙一さんの「太平洋一人ぼっち」は石原裕次郎などが映画でも取り上げたくらい超有名だった。
さりげなくバックに使われているエピソードが当時の記憶を鮮明に蘇らせる。
思いがけない団欒
竹村夫婦が2人の様子をさりげなく見守っていたんだよね。
どうやらこの恋は本物っぽいと感じているのではなかろうか。
とんちんかんなジョーと男女の中に屈折した感情を隠し切れないるい。
2人は何かにつけて気をつけないと、ぶつかってしまいそうなピリピリ感も漂う。
ご夫婦はさりげなくかき氷を食べさせながら、さらには冷たいラムネなども差し入れ。
食事の誘いまでしてみせる。
お祭りなことを例に挙げて、賑やかな方が楽しいと。
この時、誘われるままにジョーが食卓に着くところが若い2人のこれからのことを不思議に暗示しているような気に。
やっぱりこの2人は周りも認めてくれるお似合いなんだなと見ている自分でさえも納得してしまう。
るいとジョー
今さら言う事でもないがこの2人はこの先一緒になるだろう。
そして子供が生まれると思う。
おそらくそういったエピソードで物語が続くような。
ジョーは子供の頃は浮浪児だった。
おそらく思い出すのも辛いほどの苦しい過去がたくさんあったに違いない。
るいも自分は親から捨てられたみなしごのような存在と自分を厳しく責めている。
この2人は私の目には似たもの同士に映る。
子供の頃に居場所がなかった。
ジョーはとんちんかんで天真爛漫。
るいはしっかり者でなんでもてきぱき。
でも、他の人に合わせることがとにかく苦手。
2人が奏でるエピソードはこの先どんな展開になると言うのか。