ちむどんどんは今週沖縄の貧しさをテーマに深く掘り下げた内容で描かれた。
エピソードは明日1日分の放送を残すが、今週のテーマは全て出尽くしたような気がする。
週の初めで描かれた父賢三の死。
そして昨日あたりから少しずつ察しはついていたが、東京の親戚から手紙が1通。
手紙の内容も今日明らかに。
それは父をなくした母子家庭の子供4人のうち1人を東京で引き取りたいとの申し出。
昔風の言い方をすれば、食い扶持を1人減らすと言うこと。
詳しいいきさつが語られたが、この親戚は沖縄とは基本的に親戚付き合いはないらしい。
ただし、お金の亡者と呼ばれるくらいの仕事ぶりで、お金に不自由するような生活はしていないとの事。
どうやら賢三の親戚のおばさんらしい。
母優子は子供たちには話さずにおこうと心に決めていた。
しかし、心配で自分の周りの人には1人2人相談したようだ。
相談すれば当然のことながら、様々な意見が出てくることになる。
4人の子供たちは、どうやら自分たちの誰かが東京に行かなければならないとうすうす感じ始めている。
今日は東京行きを誰にするか、切ないエピソードが描かれる。
最後に決断するのは誰なのか。
脚本羽原大介の鬼脚本👹ぶりが今日も遺憾なく発揮される。
目次
東京の親戚からの申し入れ
手紙が来てもそのことを誰にも話さずにいたお母さん。
申し入れは確かにこちらの家族を気遣ってくれたことには違いないが、お母さんとしてみればお父さんの形見とも言える4人の子供たち。
どんなに厳しくても子供たちとは決して離れたくは無い。
演じている仲間由紀恵の表情から胸の内がよく見てとれる。
仕事の疲労も既に限界を超えていて、仕事場での働きぶりもほとんど役に立っている風ではなさそう。
運動会の時に3ドルくれた親方も、お母さんが話す内容にほとんど心を動かす事はなかった。
自分自身が9歳の時に出稼ぎに出されたこと。
子供の多い沖縄では誰か1人が(それ以上の場合もあったかも)よそへ働きに出ることなど珍しくはなかったとのこと。
改めて、この物語は昭和39年の沖縄を描いていることをしみじみかみしめることになる。
沖縄に限らず全国どこでもこういった状況は見られただろう。
東京の下町などでは「金の卵」と言って中卒の少年少女が貴重な働き手としてもてはやされる時期があった。
そういったことを考えると、自分が育った境遇がどれだけ恵まれていたかを思い知ることにもなる。
おじさんたちの提言
手紙の申し入れを知ったおじさんたちの答えは決まっていた。
東京の親戚の申し入れを受けなさい。
誰か1人が東京へ行って幸せになる。
それだけのこと。
5人沖縄に残っても、共倒れになるだけ。
確かに、言われてみれば妥当な判断だろう。
ここには、残念ながら親子の情愛とか兄弟愛とかそんなものはどこにもない。
おじさんの心配事は自分が貸している100ドル。
さらには400ドルの保証人にもなっているんだろう。
返済できなくなれば自分に被害が及ぶ。
親戚といえども、お金が絡めば、情け容赦のない振る舞いになってしまう。
物語は昭和39年の沖縄が舞台で描かれているが、この描き方は事実を述べるだけでなくおじさんのキャラクターを借りて、高度成長期に差し掛かる日本人がどんな心でいたかが推察できるのだ。
物語はおじさんを悪人のような描き方で表しているが、これはおじさんが悪者と言うことでは無い。
対応しなければ、皆が被害を被る厳しい現実が突きつけられていることを表しているのだ。
母優子の苦しみ
お母さんはどんなに苦労しても子供を選んでどこかに渡してしまうことなど決してしたくない。
家族はどこまでいっても家族で、一緒にいること以外の選択肢は到底受け入れられないのだ。
特にこちらの家庭ではお父さんがついこの間亡くなったばかり。
その事実は家族全員に重くのしかかっている。
お父さんがいなくなったことに家族全員で立ち向かっているときに、お金の為とは言え1人差し出せと言われるのはどうあっても承服できない。
物語の流れから見ても、お母さん1人では到底決められないだろう💦
子供たちのそれぞれ
子供たちはお母さんが内緒にしていた手紙の内容をあっさり知ってしてしまう。
自分たちの誰かが東京にいかねばならない。
そう思った時に健気な子供たちは自分が行かなければと考えるのだ。
物語の描き方が冷酷だなと思うのは、皆それぞれが自分が東京へ行くと心に決めたにもかかわらず、いざ誰か1人をおじさんたちの前で決めねばならないとなったときに、残念な及び腰。
皆しどろもどろに言い訳して、『私が行きます』とは言えないのだ。
暢子の決意
暢子は学校で民俗学者の青柳教授の講義を聞くことになった。
民族学は、お金を儲けることもできないし、それだけでは何の腹の足しにもならない。
しかし、この学問は人々が故郷を思い、それぞれが幸せになることを願って生きるために必要なものだと。
実はこの青柳先生の話しているセリフを聞きながら、今世界中を席巻しているウクライナとロシアの戦争を思い浮かべた。
自分たちの故郷で暮らしたこと、そこで生きてきたこそが必ず自分たちを幸せに導いてくれる。
今のウクライナの人たちがまさにそのことを思って戦っているのではと考える。
世の中は偽のニュースが飛び交う中で、どれが真実なのかいまひとつ判断できにくい状態だが、今自分が住んでいる場所、一緒に暮らしている家族、仲間は間違いなく幸せの1つの表れだと実感できるはず。
暢子は涙を流しながら、それでいて微笑みを浮かべながら自分が東京へ行くときっぱり。