ちむどんどんの2週間目が終了した。
描かれたのは昭和39年当時の沖縄がどれほど貧しかったか。
やんばる地域に住む比嘉家。
週の冒頭で一家の大黒柱お父さんが亡くなる不幸が。
お父さんがいなくなったことで一家の家計は火の車。
育ち盛りの4人を抱えるお母さんは、お父さんの後を継いで何とか生活を切り盛りしようと試みるが、当時の沖縄は、アメリカ軍に接収されていて、豊かさとは程遠い。
お母さんの必死の頑張りと、自分たちもしっかりしなければと健気に頑張る子供たちの様子が描かれる。
しかし、みんなが頑張って乗り切れるのなら苦労はないが、残念ながら物語はそんなに甘くは無い。
家族それぞれに厳しい現実が突きつけられることに。
そんな中、東京の親戚から届いた1通の手紙。
柔らかな物腰で、さらに丁寧な言葉遣いで4人の子供のうち1人を引き取っても良いとの申し入れ。
動揺を隠しきれないお母さんだったが、やがては親戚にも知れ渡ってしまう。
比嘉家では生活もさることながら、お父さんと一緒に暮らし始めた頃から借金があった。
借金返済を考えると、果たして生活が成り立つのかどうか。
様々な苦難に直面しつつ描かれる沖縄の家族の物語。
目次
比嘉家を襲う悲劇
お父さんがこんなにも早く物語から退場してしまうなんてね。
しかし、働き盛りの男性が突然亡くなる事は全国でも一定数見られたと思う。
特にこの年は1964年、東京オリンピックが開かれた。
沖縄は、まだアメリカ軍の統治家にあって車は右側通行、流通している貨幣はドル。
沖縄の人たちは沖縄から北の本州方面のことを本土と呼んで、自分たちとは1線を引いた違う世界だと認識していたと思う。
ちょうど北海道人が本州より南を、内地と呼ぶのと似ている。
こちらのお父さんは、中国戦線の生き残り。
つまり戦争を経験した世代。
この世代の人たちに共通なのは、私が思うにフロンティア精神。
自分たちの住む世界は自分たちで作るとの思いが、他のどの世代の人たちよりも強かったのではと推察。
比嘉家のお父さんは借金をしながら自ら自分の家を建て、さとうきび農家として家族6人の生活を支えていた。
心筋梗塞で突然亡くなってしまうまでは。
借金を抱えて子育てをすること
お父さんがいなくなったことで、比嘉家の家計はお母さんの肩に重くのしかかることに。
こちらの家では普段はさとうきび畑で収入を得ていたので現金収入と言えばお父さんが必要な時に那覇まで出稼ぎに出る程度。
お母さんは家の仕事をしながら子供たちの世話をするのが生活パターン。
しかし、これから先はなんとしても現金収入が必要になる。
子供たち4人を食べさせること、さらには借金返済。
工事現場のまかないや、人夫として働き始める。
慣れない仕事で体はボロボロ。
子供たちに満足な食事も提供できないまま、学用品や、着るもの履くものにお金がかかる。
考えてみれば沖縄ではこういった家族が大多数。
豊かで何不自由ない暮らしをしている人は限られた少数派。
ほとんどの人は生活のために頑張ってお金を稼ぐしかない。
借金を抱えているとなればなおさらのこと。
生活をすることがどれだけ大変かは実際に経験したものでなければわからない。
お母さんは少しでも現金収入の多い仕事をと考えてはみるが、実際にやってみれば体力は簡単に限界を超えてしまう。
周りの人たちに迷惑をかけることはできないと思いつつ借金の返済も滞りがち。
女手1人で子育てとなればこれが現実なのかと、改めて思い知らされる。
お母さんと子供たち
子供たちはお母さんがギリギリの思いで頑張っていることをよく知っている。
自分たちにできる事はと必死で頑張ってはみるが、そこはやはり子供。
頑張れること、途中で挫折してしまうこと、多々あったりしてなかなか思い通りのことにはならなかった。
そんな中、お母さんに借金返済を迫る親戚からの厳しい申し入れも。
家を売ることなど家族の気持ちを無視するような申し入れ。
また、せっかくお金を工面して子供たちの運動会の品物を買ってはみたものの、アクシデントがあって使えなくなってみたり。
子供たちにとっても、貧乏で暮らすことがどれだけ厳しい現実なのか思い知らされる日々が続いた。
東京行き
ある日、借金返済もままならないまま東京から1通の手紙が届く。
亡くなったお父さんの親戚だという人から届いた手紙は、丁寧な言い方で4人の子供のうち1人を引き取りたいとの申し入れ。
受け入れれば、比嘉家の家系は食い扶持が1人減ることでそれだけ楽になるのかもしれない。
子供たちにしてみれば誰かが東京に行かねばならないと考えてはみたが、自分がいかねばならないと考える割には、やっぱり躊躇せざるを得なかった。
そんな中みんなの気持ちを察してか、自分のやりたいこともあった暢子が名乗りを上げる。
私が東京へ行く。
東京でおいしいものをいっぱい食べる。
東京に行きたい。
ストレートな申し入れだけど、内心は不安なこともいっぱい。
民俗学を大学で教える青柳先生は、民俗学は1銭の得にもならないけれど、自分たちがこの土地で幸せに暮らせることこそ1番嬉しいことなんだとわかりやすく説明。
この先生と、息子の和彦くんが暢子にとって、支えてくれる大切な友人に。
金曜日のエピソードで、沖縄から東京へ出発するまさに当日。
感極まった子供たちは、誰も東京へは行かないことを宣言。
家族の絆は、バラバラになることを決してよしとはしなかった。
全員沖縄に残留そして7年後の物語
さて金曜日の最後に、物語は一気に7年後が描かれ始める。
高校3年生になった暢子。
この翌年には社会人として旅立つことになるんだろうか。
物語はここからいよいよ黒島結菜が登場。
朝ドラではお馴染みの顔だけど、まんをじしてヒロインとしてお目見えする。
予告編では、いかにも沖縄らしいセリフ回しや、伸びやかでおおらかな性格はそのままに描かれているような。