先週木曽義仲が頼朝の軍勢に討ち果たされたあとの後日談。
木曽義仲は打倒平家でその姿勢は生涯変わらなかった。
しかし、鎌倉殿となった源頼朝は木曽義仲のような単純明快な考えなどあり得なかったのだ。
打倒平家は頼朝も同じ。
しかし同じ源氏といえども、生まれも育ちも大きな差が。
源頼朝は都育ち。
物語の中では武家の棟梁として振る舞ってはいるが、その胸の内はお公家さんと変わらないのかもしれない。
公家の世界では、様々な策略や謀略が暗躍。
今目の前にいる味方が本当に味方かどうかも定かではない。
頼朝の疑心暗鬼は都育ち故なのかもしれなかった。
木曽義仲は一人息子義高は人質として頼朝に差し出されていた。
木曽義仲なき後は義高は殺される運命に。
今日の物語では、鎌倉幕府がどのような力関係で、どんなことが画策され行われていたかが詳しく語られる。
それは一言で言えば
鎌倉はすなわち伏魔殿👹
目次
木曽義高討伐
いけにえの運命として不手際があった場合は命を奪われる。
木曽義仲が討ち果たされたことで息子の立場は謀反人の息子ということに。
源頼朝は自分自身が平家に父親を殺されたことを20年以上も恨み続けてきた。
したがって木曽義高は必ず父親の敵を打とうと挙兵するはずと見抜いていた。
実際、この物語の中ではそのとおり義高は頼朝ばかりか義時も絶対に許さないと宣言。
源頼朝は3日以内に木曽義高の首をはねるよう義時に命じる。
さて物語の中では、ここから紆余曲折がある。
頼朝の命令にとてもじゃないが従えないと感じた義時は義高は助けるべく様々な手段を講じて逃がそうとする。
今日の物語を最後まで見ればわかるが、脚本家は様々なエピソードを巧妙に織り交ぜながら、それぞれの思いが逆の結果になってしまう非情さを描ききった。
頼朝と政子
頼朝が義高の首をはねる命令を出した事はすぐ周りにばれてしまう。
政子が動くことになる。
長女の許婚としての義高の助命を嘆願するのだが、頼朝は頑として受け付けない。
物語の中で描かれるけど、幼い大姫がわざわざ父親の前まで赴いて許婚の助命を願い出るのだ。
幼いながらも命をかけた訴え。
頼朝は娘の達人の願いを拒否することにはならなかった。
わざわざ証文まで認めて、決して手を出さぬことを約束するのだが。
この物語の凄まじいところは、皆が必死になって努力したことが簡単に裏切られる。
最初は討伐命令が出た。
その後、討伐の中で生かして捉えるようにと命令が変わる。
このあとからの指示がうまく伝わらなかったのだ。
それは、この物語が本質的に抱える悲劇性をそのまま描いている。
甲斐源氏との関わり
武田信義は源頼朝にとって変わって自分が源氏の棟梁として振る舞いたかった。
彼は武田信玄の先祖にあたる存在。
跡取りとなる息子がいて、鎌倉まで先程の平家討伐の戦いの恩賞がまだだと無心にやってきたのだ。
この物語の中では自分の利益だけを追求する自分勝手な武将として描かれている。
恩賞欲しさにとった行動は義高が幽閉されていることを利用する。
実はこのことも裏目に出る。
このときの企ては全てばれてしまうことに。
そして責任は息子が取らされることに。
これは、北条義時の言葉を借りれば警告とのこと。
決して鎌倉のやり方に逆らってはいけない。
疑いをもたれるような行動をとればこのような犠牲が出ることを思い知らされたのだ。
そして、静かにしていれば消して甲斐には攻めいらないと。
それにしても、強烈なダメ出し。
源氏の勢力はどこまで行っても、人の恨みが蓄積するような運命が続く。
木曽義高死す
北条義時らの計画では伊豆まで逃げ延びさせようと言うことだったが、残念ながら義高本人はその申し出を信用していなかった。
自分の故郷まで辿りつこうと単独で逃避行を。
その途中、源氏の追手に見つかってしまい、首をはねられてしまう。
物語の中で描かれていたのは左の脇の刀に手をかけた時、大姫からもらったまりの紐が絡まって刀を抜くことができなかった。
そのもたつきの後切り殺されてしまう。
彼は現在の埼玉県入間市付近で殺されたと聞いている。
まだ10代の若さで。
源氏の勢力は着々と整いつつあるが、内情は疑心暗鬼で満ち溢れていた。
何よりも鎌倉殿源頼朝はよほどでなければ人を信用することができない。
信用に値するかどうか様々な命令を下して試そうとする。
今日は北条義時も何人かの殺害を命令されていた。
それは義時にとっては、よほどの覚悟がなければ行動に起こせないほどの厳しい命令。
それはつまり、小四郎も北条も試されている。
義経が辿る道
この物語で描かれる源義経は一般的なイメージを一新したと思う。
彼は殺戮こそが生きがいのサディスト。
結果を得るためには手段などどうでも良い。
そして鵯越の戦いに彼自身の見解も。
最新の研究では鵯越の戦いと一乗谷の戦いは場所が違うとはっきりしているにもかかわらず、
鵯越の言葉の美しさで採用したと、事実を簡単に捻じ曲げる。
そして言葉巧みに後白河法皇に言いよるが、実はこの時の様々なやりとりが後の義経の運命を決めることに。
また物語の性質上、義経とその愛妾静御前も登場してくる。
彼女は芸名そのものが静御前。
父親は俳優の石橋凌、母親が原田美枝子。
物語で描かれる義経はサディストだと紹介したが、実は筋金入りの女たらしでもある。
歴史の表舞台には出てこないが、あちこちで浮名を流しているようだ。
ちなみに静御前は正室ではない。
来週はいよいよ、義経の身の上に不幸が。
そしてそれは日本人なら誰もが知っているストーリー。