今週は源氏対平家の決戦に決着が。
壇ノ浦の戦いで義経は見事に平家を打ち破る。
物語の中で描かれた源義経は戦いの申し子。
勝ちにこだわる義経は過去から伝わってきた戦いのセオリーなどまるで関係なく、勝つためだけに邁進。
壇ノ浦の戦いで義経がとった方法は、平家の船の漕ぎ手を矢で射殺すこと。
本来は兵士ではない漕ぎ手を攻撃の対象にするのは卑怯な方法とされる。
今、世の中ではロシアがウクライナに攻め入っている話を誰もが見聞きしているが、そのロシアは無抵抗な一般人も攻撃対象にしていると聞く。
義経のとった方法がまさにそのようなもの。
義経の勝利は、源氏の勝利だったが、そこには朝廷を始め幕府などの様々な人たちの立場で必ずしも喜びをもって向かい入れられたわけではなかった。
朝廷は後白河法王が巧みに義経に取り入り、頼朝のいる鎌倉へ戻ることを許さなかった。
物語で語られる後白河法王はくわせもの。
周りにいる武士たちは自分に都合の良いように利用するだけ。
当初、平家の庇護の下にいたが、平家の形勢が危うくなると源氏の方に寝返る。
実はこの後白河法王は源頼朝亡き後、今回の物語の主人公北条義時と承久の乱で会いまみえることになる。
今日は、義経の伝説的な活躍と同時に、彼がいかにして鎌倉からホされてしまったかが詳しく語られる。
目次
源義高亡き後の大姫
木曽義仲の息子源義高は頼朝の長女大姫の許婚。
しかし、木曽義仲が謀反の疑いで討たれたことで息子も命を落とすことになる。
先週語られた切ない物語。
大姫の命をかけた訴えで頼朝の命令も替わったと思った直後だったが、時既に遅し。
義高は首桶の中に収められて変わり果てた姿で鎌倉の御所へ。
実際に、義高の首を見たわけではなかっただろうけど大姫は自分が心から慕った義高の死を幼いながら理解したようだ。
政子達はそんな娘の様子が気がかり。
この頃ちょうど八重が保育園のようなものを開いていた。
そこで面倒を見てもらおうと言うことに。
しかし、一旦閉ざした大姫の心が開く事はなかった。
義経伝説
源義経の伝説が語られる。
戦は勝たなければ何の意味もないと信じて止まない義経。
勝つためには手段を選ばない。
たとえ卑怯だと言われるような方法でもそれが勝利に貢献するとなれば迷うことなく採用。
壇ノ浦の合戦でよく知られているのは、平家軍500艘、源氏800艘の船による戦い。
平家の船団はこの当時最強とされていた。
源氏が数字的に勝った勢力で戦いを挑んでも勝ち目は薄かったようだ。
義経はその戦いに勝利するために、禁じ手とされる船の漕ぎ手を狙った。
兵士ではない人間を殺す事は卑怯なこととされるが、戦いに勝つためには容赦ない無慈悲な戦法。
さらには、義経本人が人並み外れた身体能力で今にも伝わる様々な武勇伝が。
船から船と軽々と飛び移り、敵の兵士を切り殺していく。
意外と知られていないことだが、この当時の武士が身に付けた鎧甲。
総重量は30kgほど。
これが一体どれほどの重さかと言うと、今農家の人が米を出荷するときには30キロを2袋で60キロそれを1俵と数える。
この30キロを何度も運んだことのある私から言わせてもらえば、これだけの重さを身体にまとわりつかせてまともな動きなど絶対に不可能だろうと。
それぐらい厳しい重さ。
なおかつ、この当時の平均的な男性は身長150センチ代、体重も50キロそこそこだったろうと推察。
源義経は当時の平均的な男性より小柄だったと言われている。
そんな男子が30キロの具足を身に付けて軽々と船から船へと飛びまわるのだ。
伝説が生まれたとしても何ら不思議は無い。
平家滅亡と安徳天皇の最後
壇ノ浦の戦いで敗北する平家。
平宗盛はかろうじて命を長らえることができたが、この時安徳天皇を始め何人かの女官たちは入水。
その時3種の神器のうちの1つ、「草薙の剣」はそのまま海の中に沈んでしまった。
この後必死で探したようだがこの辺は、海流がとてもきつくて、およそ探しきれるものではなかっただろう。
源氏が平家に勝った戦いとされているが、天皇を死なせてしまったこと、さらには3種の神器をきちんと取り返せなかったこと等を考えると本来の意味の勝利とはほど遠かった。
朝廷と鎌倉に弄ばれる義経
義経は平家を滅ぼすことには成功したが、その勝利は後白河法皇にいいように利用されることになる。
法皇は義経が気にいったとして鎌倉に帰ることを許さなかった。
実はこれが、頼朝にとってはとにかく気に入らない。
頼朝の周りにも義経との間に亀裂が入るように仕向ける勢力が。
実はこれ、この時義経の後ろ盾になっていた後白河法王が目指していた策略だった。
頼朝と義経を仲違いさせるために策を用いたと考えられる。
後白河法皇の思いのままに鎌倉は義経追放を決めるようになる。
義経は平宗盛の護衛として鎌倉に向かうが御所に入る事は許されなかった。
さらには物語の中で語られていたが平宗盛に手紙を代筆してもらっていたが、それがまた逆効果。
頼朝と義経の不信感を解消するどころかむしろさらに関係は悪化することになる。
義経はその手柄ゆえに源頼朝に取って変わるような勢力として見られていた。
そんなことを頼朝が許すはずもなく。
鎌倉幕府の影で暗躍する勢力
頼朝に義経追放を進言する梶原景時。
彼の意見を聞き入れて頼朝は義経を鎌倉から追放することを決めるのだ。
この行為はさらにエスカレートして義経を木曽義仲同様討ち滅ぼすまで継続される。
物語が巧みに構成されているので、それぞれの登場人物たちの胸の内が違和感なく伝わってくる。
義経は勝利のためには手段を選ばない非常なサディストとして描かれてはいるが、何人かの周りの人にはきちんと心を開いている。
平宗盛の願いも聞き入れて親子の対面を果たしている。
また、かつて世話になった農民たちにもきちんと礼を尽くしていた。
今日描かれたエピソードは、疑心暗鬼の中身内といえども信じられなくなれば殺し合うしかないと言う日本の歴史の中のドロドロした部分が脚本家の優れた手腕によって描かれきった。