くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

鎌倉殿の13人 源頼朝死す

 

そろそろ物語からの退場が近い源頼朝。

ついに今日の放送で物語から退場となった。

頼朝が死に至るまでのいきさつが原作「吾妻鏡」に基づいて詳しく描かれる。

物語は1198年の12月末。

歴史的には翌年1199年の1月末にはなくなっている。

つまり、亡くなる頃のおよそ1ヵ月間の様子をドラマに仕立てたもの。

物語の中で語られていたのは、疑心暗鬼の塊のようになってしまった頼朝は、既に正確な判断などできない状態に。

もともと誰かを信じ頼らなければ武将としては成立しなかった部分が。

信じるものが信じるに足るにふさわしいかどうか繰り返し湧いてくる疑念。

脚本家の描き方によって、ユーモアたっぷりに描かれる部分もあるが、実際のストーリーは驚くほど史実に忠実。

頼朝の疑心暗鬼ばかりではなく、源氏の側近とされる比企と北条には跡継ぎをめぐっての争いがあったと聞いている。

その様子が、比企能員と北条時政の妻りくとの勢力争いの形で描かれる。

時代背景を考えると、およそ科学的な根拠などあてにはならぬ。

もののけも怨霊も全て実在とされた。

このような背景をもとに、

頼朝は言い伝えの通り橋の普請に出かけた後、落馬して命を落とす

物語をじっくり見ていてわかったのは、落馬する直前、どうやら脳梗塞か何かで右半身の自由が利かなくなったような描かれ方。

なるほど、これが種明かしなのかと思うことしきり。

人と人を結ぶ力は北条義時が1番

目次

お名前.com

不安にさいなまれる頼朝

義時に心配事を訴える頼朝

頼朝がこの世を去るおよそ1ヵ月間の様子として物語を見てみると、普通ではありえないような体験をしているように描かれている。

特に、幻聴等、他の人には聞こえない音が本人にはよく聞こえるとされる。

自分自身にひょっとしたら何かあるのではと思ったとしても不思議ではない。

不安に駆られた頼朝は弟の全成にあることないことを必死に聞いて回る。

いっぺんにアドバイスを求められてもねぇ😓

全成のアドバイスは基本的に全て思いつき。

いかに陰陽道などを駆使しても、それらしい理由などあるはずもなく。

実衣には嘘をついていたことを告白する

不安に駆られた頼朝がどんな行動をとったが、ユーモアたっぷりに描かれていた。

比企と北条

息子源頼家に嫡男誕生 比企一族の出

源頼家のそばにいた女性は比企の出身。

頼朝の嫡男の子供だから、流れから言えばそのまま源氏の頭領を受け継ぐような雰囲気。

しかし、これらの事ははっきり言って頼朝側近の勢力争いの種でしかなかった。

比企一族は頼朝亡き後は北条によって滅ぼされることに。

鎌倉幕府は形こそ整いつつあったが、その中では勢力争いと足の引っ張り合いが常態化。

北条時政は妻りくにそそのかされる形で比企と対決姿勢を

歴史には様々な記録が残るが今物語に登場するメンバーは北条氏以外は概ね退場する運命にある。

すべて、疑心暗鬼に基づく行動で粛清されるのだ。

伊豆へ

巴御前と面会

巴御前と面会することでかつての木曽義仲との1件を謝罪する頼朝。

本当は、ここへ立ち寄るはずではなかった。

目的地は鎌倉から現在の茅ヶ崎市の辺。

そこへストレートに行かずに一旦別方向に赴いてから目的地へ向かうことを

当時の習慣で“方違え”と呼ぶ。

これは方位学で吉凶を選ぶためにわざわざ遠回りを選ぶやり方。

遥か昔古文の授業で習ったような記憶が。

この時は、目的地とされる茅ヶ崎で橋の普請工事が行われた。

その行事に出席するためのもの。

喉に餅を詰まらせて四苦八苦する頼朝

頼朝を中心に世の中回っているように見えたが、問題は跡継ぎをどうするか。

その事は頼朝本人ばかりじゃなく、周りの者皆が疑心暗鬼の中で様々な方法を模索していた。

源氏の血筋

源頼家は源氏の嫡流から正室を迎えようと

源頼家には嫡男一幡が誕生。

歴史を知っているものなら、この辺の事情も歴史書にはよく載っているのでなんとなく理解できるだろう。

ちなみに一幡の異母兄弟“公暁”が3代将軍実朝を暗殺している

一幡自身は6歳になった時、比企能員の変に巻き込まれ、北条義時の郎党に差し殺されたと歴史に残る。

ちなみに、源頼家も歴史書には病死することに。

その時には、なんと母親の政子が暗躍したと記述もある。

源氏はあまりにも大勢の人の恨みを買っている。

およそまともに家系がつながっていくようには見えない。

頼朝の死

馬上で脳梗塞⁉️

伊豆からの帰り、頼朝は馬上で脳梗塞かなにかに襲われたような。

右腕が動かないことに気がつき、そのまま体は右側へ傾いて落馬。

このときの様子も詳しく描かれていたが、これは脚本家のストーリーによるもの。

実際にどんな原因があったのか全く以て不明。

北条義時は物語の主人公に相当するが、彼の本来の値打ちはここから発揮されるものと思う。

鎌倉幕府の2代目執権としてへ様々な業績を残しているが、彼は源頼朝から政治的な手腕を厳しく学んでいたものと思われる。

それは義時が頼朝に全面的に信頼されていたこと、義時は源氏が栄えてこその北条であることをよく自覚していた。

ここからいよいよ彼の真骨頂が始まるのかも。