この間たまたま英国王のスピーチを見る機会が。
映画はよく知っていてすでに何度も見た記憶。
そして俳優コリン・ファースが主演男優を賞受賞したことも記憶に新しい。
考えてみれば2011年度アカデミー賞を総なめにしたこの映画は、
このたびなくなられたエリザベス女王の父君「ジョージ6世」について描いた作品。
当時の記憶が蘇ると同時に、イギリス王室の歴史に果たしてきた役割や、これから向かうべき方向など考えさせられることがいっぱい。
日本では奇しくも凶弾に倒れた安倍元総理の国葬問題が世論を賑わせる。
日本とはまるでお国の事情が異なるイギリス。
世界史で歴史を少しでも学んだものならこの国の特異性が納得できると言うもの。
特に亡くなられたエリザベス2世は、父親だけではなく今に至る子供の時代や孫の時代でも多くの諸問題に対応を迫られてきた。
考えさせられることが多くはあっても、人の死を痛み悲しむのはどこの国も共通。
私なりに感じたことをまとめてみたい。
目次
主役コリン・ファースが描くジョージ6世
映画は、思った以上に史実に忠実に基づいていたと思われる。
ジョージ6世は、子供の頃から泣き虫で知られていたようだ。
そして王室特有の教育方針。
つまり親は教育には関わらないのが普通で彼はその結果吃音症になったと言われている。
ドモリはそののちの彼の人生で大きなウェイトを占めるように。
本来ならば国王に即位する立場にはなかったが、様々な紆余曲折を経た後、ジョージ6世として即位することに。
この時代のイギリス王室は、揺れに揺れていた。
伝統的な王室は、不倫で王室メンバーが結婚することを認めない。
それは国民のコンセンサスが得られない上、誰からも認められないからに他ならない。
その結果、彼は直ちに王位を返上して、次期王は弟のジェームズ6世に。
演じていたコリン・ファースの自然で、それでいて熱意のこもる演技は見ていて大いに納得するものがあったと思う。
もともとイギリスは俳優も女優も有名人が多いのでは。
アレック・ギネスを始めローレンス・オリヴィエとか、様々な名優が存在。
演劇を始めとする芸術に造詣が深いのもお国柄と言える。
脇役ジェフリー・ラッシュの存在
彼が演じたのはセラピストライオネルローグ。
もちろん実在の人物。
ジョージ6世の吃音を矯正すべく、国王のお妃から縁があって選ばれた。
ジェフリー・ラッシュは96年度の映画「シャイン」でアカデミー賞主演男優賞を受賞。
しかし我々日本人でなじみが深いのはパイレーツオブカリビアンのバルボッサ提督だろう。
役者としての実力のほどが伺い知れる。
あらゆる役柄を何の問題もなくこなせる役者こそが役者としては一流なんだと。
そのことを地で行くような俳優が彼だと言える。
英国王のスピーチで演じたライオネルローグは彼だからこそ、演じられたのかもしれない。
実在のローグは国王になってからのジョージ6世から民間人としては最高位の勲章をもらっている。
国王の家来という立ち位置ではなかったようだ。
それは友達同士そのもの。
彼の存在があったからこそ、ジョージ6世は当時のイギリスでは明君として国民から称えられた。
ジョージ6世と娘エリザベス2世
1952年に即位したエリザベス2世。
彼女は当時のイギリス人女性としては思ったより長身で、160センチを超える位の背丈があったと聞いた。
若いときの初々しさは見事としか言いようがない。
即位の直前に長年連れ添ったフィリップ殿下と結婚して子供も設けている。
イギリス王室も日本と同様、国王は政治には口出ししないのが決まり事となっている。
そして、何よりも国民から慕われることこそが王室にとって望まれることなのも同じかもしれない。
国民からそっぽ向かれるようでは、立場を維持できなくなる可能性も。
イギリス王室は日本の天皇家ともつながりが深い。
後の昭和天皇は、彼から立憲君主国家のあり方を学んだとも言われている。
ジェームズ5世はジェームズ6世の父親。
このときの外遊以来、日本は英国王室とは深いつながりが。
平成天皇も、今の今上天皇もイギリスとは切っても切れない関係にあるだろう。
エリザベス女王告別式
実は、この告別式は何十年もかけて綿密に計画されていたものだと聞いた。
日本では安倍元総理の国葬問題がその場の成り行きで思いつきで決められたのとは大違い。
テレビで見ていても極めて大掛かりな行事なことがよくわかったが、予算的には日本の計上したそれよりもはるかに少ない。
日本の皇室同様、引き継ぐべきアイテムがある。
正面の下に巨大なダイヤをはめ込んだこの王冠は、推定される値段を調べてみたところ、
およそ日本円で600億円。
もっとも、お金を出したところで買えるはずもないが。
ダイヤは曰く付きで、男性はつけない方が良いとされる。
女性のみ限定の宝冠とされているらしい。
さて、日本での安倍元総理の国葬は明後日に迫ってきた。
志のある人は黙祷を捧げるなり、お弔いの気持ちを表しても良いのかも。