最終回となった鎌倉殿の13人。
主人公北条義時の最後の描かれ方に、脚本家三谷幸喜の独特の義時愛が表現されていると、もっぱらの評判だった。
15分拡大枠で描かれた今日のエピソード。
今まで影に隠れて暗躍していた様々なキャラクターの本音とも言うべき事実が暴露される形に。
物語は、先週からの流れを受けて、承久の変がきっかけとなって描かれる。
そして、原則として重く用いたのが吾妻鏡。
この文献は、北条氏の公式記録として今でも多く用いられる。
今日描かれたドラマの中で特筆すべきは、次回の大河ドラマ『どうする家康』の主人公
徳川家康がしっかり登場してきた事。
鎌倉幕府がいかにして武家社会の始まりとして重要な役割を果たしてきたか、その内情を暴露する形で表現。
本来ならば、承久の変だけでかなりのスペースが必要だったはずだが、その部分は思ったよりはずっとあっさり描かれたと思う。
歴史を調べてみると、北条義時は承久の変の3年後に病死する。
さらに、その翌年には尼将軍政子も死去。
この後、鎌倉幕府は、義時の息子北条泰時が率いることになる。
目次
承久の変
この時代、朝廷に逆らうことがどれほど重大なことなのか、今とは全く違う温度差を考慮に入れる必要が。
武士にとって、朝廷はほぼ絶対的存在と思っていいだろう。
朝廷の命令には、逆らえないのが当たり前の受け止め方。
朝廷は、北条義時憎しで追討の院宣を発令。
鎌倉幕府は、これに真っ向から対立したのだ。
坂東武者たちは、決して都人の言いなりにはならないと心に決め、京都に向けて進軍することを決意。
その結果、起こった戦いが承久の変と呼ばれる。
これは、朝廷が起こしたことなので“乱”は該当しないのが正式だと聞いた。
朝廷は幕府に軽くお灸を据えるくらいのノリでやったことだったが、無骨な坂東武者たちはそのようには受け止めなかった。
総大将北条泰時
朝廷に逆らうことが決定した以上は、鎮圧のための軍隊を京都にまで派遣することになる。
それも、なるべく早く。
総大将は北条義時の命を受けて北条泰時が担う。
最初はわずかばかりの兵力しかなかったが、京都に行くまでの間に徐々に膨れ上がり、総勢19万人の大群に。
対する朝廷軍はわずか1万ほど。
勝敗は、数に勝る幕府軍の大勝利。
この後、イカダを作って川を渡る幕府軍。
このときの功績が認められて北条泰時は誰からも認められる幕府の重要なポジションに。
北条義時が歴史的に見ても相当な悪人とされるのに対して、泰時は「御成敗式目」など後世にも残る名君と誉が高い。
この物語では、北条義時と政子があえて世の中の批判を全て自分たちで受け止めようと画策する姿が描かれた。
そして、泰時には負の遺産を背負わせない心遣い。
後鳥羽上皇追放
後鳥羽上皇は、自らが出陣することで戦況を変えられると訴えられたが、彼自身は御所を離れる事はなかった。
彼の祖父にあたる後白河上皇の言い伝えを守った形になる。
上皇は御所を離れてはならぬ。
結果として、彼は島流しにされてしまう。
高貴な人に対しての懲罰は恐れ多いとのことで、実際にはひっそりとしか描かれない。
これは、テレビの歴史の特集番組で紹介された内容。
この事件の後、日本の支配権は貴族から武家に移った。
友情
三浦義村は最後まで北条義時の家来として振る舞うことがどうしても納得できなかったらしい。
物語の中でも、様々なエピソードの中で、裏切るような素振りも見せてきて、その都度バレそうになると巧妙な言い訳で逃げ伸びてきた。
今日のやりとりは小四郎と平六の幼なじみとしてのやりとり。
今までの様々な画策が今日ことごとく明らかに。
平六の本音も、今日、本人の口からはっきり。
今回採用したエピソードは義時の妻のえが毒殺を計画したエピソードなども採用されている。
この毒殺事件を採用して、どこを調達したのが三浦義村だったとの暴露話し。
しかし、義時はそんな状況もうすうす察していたと物語の中で語られる。
三浦義村は義時とのやり取りで、これ以降 北条泰時を支えていくことを誓うことになる。
彼は承久の変後も一番長生きするのでは。
執権北条泰時を支えて、長い間三浦1族を反映させた。
家族愛
北条義時は自分が毒を盛られていることに気がついていた。
そして、解毒のための薬も準備。
政子と2人だけになった時、いつになく苦しみだし、用意していた毒消しの薬を政子に持ってきてもらおうと。
その時 政子は義時の願いを拒否して、みすみす弟を死なせてしまうのだ。
そしてその時、息子の2代将軍源頼家が弟によって追討されたことを知ることになる。
あの時、殺し屋として暗躍していた善児とトウ。
トウは今日の物語の中にもしっかり登場して、殺し屋ではない仕事を仰せつかっていた。
彼女の姿が見られたことで安心した視聴者も多かったのでは。
義時と政子は姉弟として、お互いを気遣うようなエピソードで描かれた。
弟を見殺しにすることで、罪を後世に残すまいとした政子。
2人とも、鎌倉幕府を存続するために、自らを犠牲にしたのかもしれない。
三谷幸喜が歴史に残る鎌倉幕府の物語に作者なりの愛情を込めた瞬間でもある。