三河一向一揆は先週と今週の2話で描かれる。
松平家康にとっては、成長するための大きな事件だっただろう。
本證寺を敵とみなし謀反人として成敗する事は、必ずしも得策とは思えなかった。
何よりも家康はこの当時のしきたり
「お寺への不入権」を致命的に犯してしまったことがある。
家康は自分でも大きな過ちを犯したと認識。
この戦は家康の家臣たちが仲間割れをすることも示唆していた。
一向宗、つまり浄土真宗本願寺派の信仰は、当時最も人気があった教え。
世の中は、戦国時代の終盤で乱れに乱れていた。
当時暮らしていた人たちは、およそ未来に希望など持てなかった。
希望を失った人たちの唯一の救いが、来世の成仏。
来世は極楽に生まれるという信仰はなににもまして魅力だったようだ。
一向宗は様々なお寺の中でも当時最も力があって領国の支配の及ばなかった勢力。
家康はどのようにして一向一揆を収めたか。
この後も、彼の人生において生き死にがかかる重大な局面が何度も訪れる。
彼自身の強運はもちろんだが、それ以上にその時々で選んだ選択は周りの人たちにも支持され、後の天下人までつながることになる。
目次
知られざる過去“本多正信”
本多正信は家康の家臣団の中でも周りからの嫌われ者。
それは、彼が卑怯者との噂が信じられており彼自身そのことを否定しようとはしていない。
ただ、誰もが認めるのは、驚くほど頭が切れて、悪知恵が働く。
彼は小久保忠世と過去に行動を共にしたことがある。
今日描かれたエピソードでは、本多正信は自分の考えを単刀直入に家康にぶつけていた。
彼は、本證寺の軍師として家康に反旗を翻ししていた。
1度は家康の命すら狙っていた。
それというのも今回の一向一揆は全て家康の責任だと本人に向かって厳しく断罪。
家康を“お前呼ばわり”
間違いは、お前が犯した。
生きることに苦しんでいる民百姓から最後の望みの信仰すら奪ってしまった。
それは大罪に値する。
大馬鹿者😤
激しく罵倒する正信。
返す言葉もなく、うずくまる家康。
この辺のやりとりは、脚色そのものだと思うが、本多政信の持ち味が遺憾なく発揮され
松平家康が犯した過ちをどのように挽回するのか、詳しく描かれることに。
大抵の家来は、謀反を起こしても家康は許すことにしていた。
本田政信だけは、三河追放に。
しかし、彼は後に許されて徳川幕府の重要な家臣として権勢を振るうことになる。
彼が再び徳川家の家臣になる事をとりなしたのが大久保忠世とされる。
それは家康の後、2代将軍秀忠の時代。
一揆鎮圧
一向一揆は和議を結ぶことで鎮圧されることとなった。
今まで通り不入権を認め、寺を元に戻す書状もお互い取り交わす。
しかし、老獪な松平家康は本多正信の助言を受けた形で、寺を元通りにする事はつまり何もない野原にすることと、結局は寺を全て撤去する。
さすが家康と言わざるを得ない。
物語の中では、本多正信の最後の知恵とされていたよね。
歴史的に見て、一向一揆をそのまま許すなんて事は歴代のどの武将もしてこなかったこと。
逆らったら必ず潰される。
空誓は口約束は信じられないと語ったが、まさにその通りになってしまう。
家康の裁定
家康は謀反を起こした家臣たちを粛清してしまえば、その後の政に大きく支障をきたすことをよくわかっていた。
さらに謀反人といえども同じ家臣の一人ひとりなので、助命嘆願もずいぶん出ていたようだ。
それらの意見に沿う形で裁定がなされた。
これは、幸か不幸か家康の懐の深さが出た形で後の世に語り継がれる。
家康がこの後様々な苦難を経験することになるが、それらをことごとく乗り越えて天下人になるためには、幾度と無く失敗を繰り返すことになる。
三河一向一揆は最初の失敗だろう。
厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)
徳川家康が阿弥陀信仰を自らの信心としていたことはよく知られる。
ただしここでもただでは起きない家康のしたたかさが見え隠れする。
浄土真宗の本願寺派をそのまま残しつつも、対抗勢力として東本願寺を設立させ、違いを競わせる形にした。
そして、彼自身が東本願寺の信者として後世にも伝わることに。
物語の最後の方で登場していた武田信玄は松平家康がどんな将なのかと千代に尋ねていた。
今まで見てきたどの武将よりも臆病。
力量もまるでたかが知れている。
しかし、自分の弱さや力不足は誰よりも彼自身が知っている。
自分の弱点を知っているものほど強いものはないと普通に考える。
松平家康はたとえ間違いを犯し後悔したとしても、それを挽回するだけの修正能力がずば抜けていた。
決して穏やかにおとなしく辛抱していたわけではない。
ある意味誰よりも血の気が多くて、喧嘩っ早かったこともよく知られる。
「鳴くまで待とうホトトギス」は後世の絵空事かもしれない。
来週は早速側室に関わる物語が描かれそう。
戦国時代の3英傑の中では、家康と信長が驚くほどの子沢山なことも事実として伝わる。