物語を見ていて、牧野博士とジョン万次郎が出会った事は多分フィクションなんだろうと思ってはいたが。
描かれた内容によれば、それぞれの世代がはっきりわかると言うもの。
この時、万次郎はすでに晩年に。
昔のことを述懐する形で万太郎と会話していた。
万太郎と万次郎は名前があまりにも似ているので、ひょっとして兄弟なのかもと思ってしまうぐらい。
ジョン万次郎のところで、万太郎は一晩中語り明かしたような雰囲気。
もともと漁師だった万次郎は15歳で遭難して23歳で日本に帰ってきたそうな。
どうやら捕鯨船に乗っていたようだ。
19世紀のこの時期、欧米では捕鯨が盛んに行われていた。
今では考えられないことだが、クジラの場合、鯨油を取るのが目的。
日本とかアラスカの方のイヌイットだけが食用にしていた歴史がある。
万次郎がアメリカで暮らした自由な社会について懐かしさと共に日本に帰ってきたことを後悔していると語っていた。
万太郎は自分がやるべきことがはっきりわかったにもかかわらず、そこへ向かっていくことができないもどかしさに苦しみ続ける。
そして物語は昨日と同様、もう一つのエピソードが語られていた。
それは竹雄と綾の関わり。
2人の関係がこの先どうなっていくのかしっかりと見守る必要がある。
目次
万太郎とジョン万次郎
アメリカで暮らした経験のあるジョン万次郎にとって日本の今の暮らしは自由を捨てたようなものだと認識しているらしい。
アルファベットの文字を恨めしそうに見上げる万次郎の気持ちは思い通りの人生が歩めてなかったことを意味している。
万次郎の言った言葉は奥深い。
人生は短い。
やるべきことを躊躇なくやるべきだと。
彼は貧しい漁師の出だったけれど、幕府に取り立てられて武士として記録に残る。
本当は日本になど帰らずにアメリカで捕鯨船に乗って暮らしていたほうがよかったと考えているらしい。
万太郎に対して植物学の本をプレゼントしていた。
それは、かつて名教館で英語を学んだことのある万太郎には、懐かしいシーボルトの本。
そして、その本にもダメ出ししていた。
植物を記録するためには、1時だけの模写では役目をなさないと。
芽吹いた時から最盛期そして枯れたときまできちんと記録してこそ価値がある。
その仕事をするのは自分しかいないんだとここで初めて自覚する。
学ぶべき自由
自由に生きられることはたやすいことではない。
世の中には、様々な約束事があって、さらには昔から受け継いできた伝統や習慣等もある。
そこから大きく外れる事は、すなわち自由に奔放に生きられないことを意味する。
それでも、自由を求めるならば、相応の覚悟と努力が必要になる。
万太郎は、自分自身が進むべき道と、生まれ持った自分の境界とを重ねあわせると、どうしても取捨選択が必要になることを強く自覚せざるを得なかった。
綾と竹雄
昨日からこの2人のエピソードはかなり切ないものがある。
綾はわずかな時間ながら幸吉への未練を断ち切ることを決意したようだ。
そして竹雄に、今更私や弟の世話をするのではなく、自分の人生を生きるべきだと進言。
先進的な考えのようにも見えるが、実は竹雄のとっては別な意味でとても厳しい申し入れだったように感じた。
本当は、このお土産を提示しながら綾に告白したかったに違いない。
しかし、流れはそんなおどおどした行動は許されなかった。
綾は竹雄に自由に生きろと言い放つ。
竹雄の純真さに切なさが募る。
この時代はどうしてもこんな感じにならざるを得ないのか。
この2人は身分も違うしね。
方や、跡取りの姉として自由奔放に振る舞うことができる。
対する竹雄はどこまでいっても奉公人。
この2人が垣根を乗り越えるためには、多少なりとも時間をかけるしかなさそう。
万太郎の決意
万太郎は自分がやるべきことをしっかり自覚したようだ。
日本の植物学がきちんと成立するためには、自分しかできないことがあると強く決意した。
予告編も何もなしで想像するしかないが、万太郎は峰屋を出る決意をしたような気がする。
峰屋の当主は綾が婿をとって後を継ぐしかなくなる。
ただし、若者たちがそんな考え方で納得できたとしても、現在の当主タキがどんなふうに反応するだろうか。
はい、分りました。なんてことには到底ならないと思うが。
さて、今週のエピソードはここまで。
来週物語は進展して次の段階に進むしかない。
万太郎は東京に出て植物学を志すしかないはず。
そして、さらに寿恵子ちゃんと一緒になるエピソードが控える。
見ているものとしては、その辺に注意が向かざるを得ない。