様々な意見が交錯する「どうする家康」
物語のポリシーとして、決して史実を曲げないとあるがそこはドラマとしてどうしても面白さを追求する必要が。
時代劇としてどこまで大勢の人たちから支持されるかどうか、脚本家を始め制作スタッフのギリギリの挑戦が続いていると見る。
今回、描かれたのは徳川家康最大のピンチにして、破滅的な敗北。
武田信玄と一騎討ちした家康軍は壊滅的な損害を被る。
主な家来たちを失い、軍勢は総崩れとなった三方原の戦い。
歴史的な事実として誰もが知る事件だったが、その実、関わった者達の胸の内がどのようなものだったかはあまり知られていないのでは。
武田信玄はこの時、織田信長包囲網の急先鋒として上洛を開始。
その途中にいる徳川家康の領土をまず平らげる必要が。
当時は武田の軍勢は当代随一とされた。
特に、武田信玄の有力武将、山県昌景の率いる赤備えは向かうところ敵なしで、誰もが恐れをなして戦うのを嫌った。
武田信玄は上京するに当たって、最近の研究で明らかになったことだが、若干の焦りがあったものと思われる。
それは当時の情勢として、安定した行政を求めていた。
戦国時代の末期にあたるこの頃は、戦をするのが当たり前。
1つ間違えば国は滅ぼされ、そして周りの国に隙ありと見れば たちどころに侵略してしまう。
武将も一般大衆も平穏無事な世の中を求める気持ちは、何物にも変え難かったに違いない。
目次
猛将武田信玄
武田信玄は、実はこの頃自分自身の病気の事で健康不安を抱えていたようだ。
実はずいぶん前に中井貴一が主演した武田信玄の題名の大河ドラマでは、この頃の信玄は夜寝汗をかくようになって微熱が続いていたと描かれていた。
流行病のような可能性も否定はできない。
武田信玄は50歳そこそこでなくなっているので、この当時としてはほぼ平均寿命には違いないが、時期はあまりにも悪かっただろう。
もし、武田信玄が歴史の通りではなく徳川家康を討ち滅ぼした後、織田信長と全面対決に及べばほぼ間違いなく勝っただろうと思われる。
実は、歴史を考えるとき、三方原の戦いと姉川の戦いはほぼ同時期なのだ。
織田信長は裏切り者浅井長政を滅ぼすために軍勢がどうしても必要だった。
そして家康は武田信玄と一騎討ちするしかなかった。
この時家康は、信長から3000の援軍を得ている。
しかし、それでも、武田の軍勢の3分の1程度だっただろう。
武田信玄の正面勢力とまともにやりやって勝てる通りなどあるはずもなく。
迎え撃つ浜松の思惑
武田信玄が攻めてくるとあっては、迎え撃つしかない。
どのように対応するかで意見が分かれたが、浜松城に籠城するのが一番の作戦だと思われた。
つまり、武田の軍勢を浜松城にこもって迎え撃つ作戦。
城攻めは思ったよりも厳しい戦いになる。
城を落とすことがどれだけ大変なのかは、歴史的にも伝わっていることで、今回も徳川軍は浜松城にこもる作戦を取るつもりでいた。
実は、武田信玄はそのことを見抜いていた。
武田信玄のポリシーの中に
勝者はまず勝ちてから戦を求める。
敗者は闇雲に戦ってから勝ちを求める。
武田信玄の様々な部下の中には、間者が山ほどいたのだ。
その中には千代のような女間者もいたとされる。
それらの者たちは、あらぬ噂を流して敵の戦意をそぐように働きかける。
エピソードの中でもそんな様子が描かれていたね。
武田信玄の常套手段として、様々な根回しをして勝つためのすべての条件を整えようとする。
そして、
『間違いなく勝てる』と条件が整った時に戦いを仕掛けるのだ。
そして、いざ戦いが始まれば圧倒的な機動力で相手方を一蹴する。
徳川家康の軍勢は、戦えば負けるかもしれないと誰もが考えていたようだ。
戦う前から意気消沈していたのでは、勝てるものも勝てないだろうと思うが、実際のところ、武田軍の強さは他の軍勢を圧倒していたと言われる。
特に正面勢力の赤備えは戦国時代の様々な軍勢の中でピカイチとされた。
こちらのオフショットが、この物語の武田の軍勢の最適な表現方法だろうと思う。
この猛々しさは、他の武将を完全に凌駕。
家康と信長
我々が知る歴史の中では、織田信長も徳川家康も戦いの結果しか記憶にない。
しかし、ドラマとして描かれると薄氷を踏む思いで戦を続けていたことがよくわかる。
この時、織田信長は将軍足利義光を担ぎ上げてはいたが、それがうまくいくかどうかは暗中模索な状態にあった。
とにかく目の前の敵をやっつけなければ、自分が潰されてしまう。
それは家康も同じ。
彼らは同盟として一心同体であることを確認していた。
特に、信長は家康の助けなくして、世の中の平定はできないと考えていたようだ。
周りには武田信玄を始め、北陸には上杉謙信、関東には北条氏がいる。
そんな状況で自分だけが吐出するなんてことが果たして可能かどうか。
目の前の敵を1つずつ潰す以外に明案などあろうはずもない。
決戦三方原
徳川家康は、遠江の領民の手前武田信玄を追いかけるしかなかった。
武田信玄は、家康の止むに止まれぬ事情を熟知していたようだ。
浜松城に籠城されてしまえば城攻めをするしかない。
それでは、時間がかかりすぎて、味方の兵力もそぐことになってしまう。
家康の軍勢を誘い出して一気に遅いかかれば一網打尽にできる。
武田信玄の老獪さが勝っていた。
それが証拠におびき出された徳川軍が三方原にたどり着いた時、武田信玄は
記録に残る「魚隣の陣形」で待ち受けていた。
家康がそこに来ることをあらかじめ完全に把握していた。
誘いに乗った家康は、突撃体制をとられて散り散りに総崩れとなる。
武田信玄の作戦勝ち。
早きこと風の如し
静かなること林の如し
侵略すること火の如し
動かざること山の如し
有名な文言が生きてくる。
そして、勝つための十分な下準備。
徳川家康など、赤子の手をひねるようなものだったのかもしれない。
物語の演出を評価
三方原の戦場の描き方だが、驚きを表現するための無音の状況が何秒か続いた。
これは実に巧みな演出。
驚きの気持ちがよくわかる。
そして、戦の様子は、ざっくりと省略。
結果、かちどきの声だけがこだまする中で、徳川家康の金蛇美具足が討ち取られた様子も描かれていたね。
これは史実に残っていることなので、結論から言っておくが、替え玉が家康の代わりに討ち取られたことになる。
家康は無事に生き延びるのだ。
では、誰が替え玉になったのか。
それは、夏目広次
さて、それにしてもおぞましいえぐい戦いになったはず。
そして、この負け戦は今週だけでは終わらない。
来週種明かしやその次につながるエピソードが描かれることになる。