くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

どうする家康 三方原の真実

大河ドラマでしかも徳川家康が主人公となれば、歴史を知っている人が数多くいる中で描かれる物語は、おのずと制限を受けるのも事実だろう。

「どうする家康」が描き出す「三方原の戦い」はわざわざ2週続けて描かれることになった。

もちろん、1話分45分で語り尽くすにはどうしたって無理がある。

徳川家康が致命的な敗北を喫するという点で誰もが知っているが、その裏にどんなドラマがあったかは意外と資料が少なかったりしてわからないことの方が多いのかも。

我々がよく知るのは、逃げる途中の馬上で恐怖のあまり脱糞してしまったことぐらいだろうか。

そして、あまりの屈辱と不本意さを忘れないために、無様な姿を絵に残して生涯傍に置いておいたと言う。

最近の研究では、どうやら嘘らしい。

さて、三方原の戦いは武田信玄の罠にはまってしまった家康がボロ負けする

それにしても武田信玄の周到な戦い方は、物語にしても背筋が震えるほどの凄まじさを感じる。

戦う前に勝っている。

この時代でもそのように噂されていたようだ。

徳川家康の敗北を受けて、信玄との一騎討ちを覚悟した織田信長。

個人的な思いだが、もし武田信玄が無傷で信長と戦ったならば十中八九信長は負けたと思う。

しかし、歴史の流れは、そのような筋書きを決して許さなかった。

三方原の戦いの途中、体調を崩した信玄は半年たたないうちに命終を迎える。

歴史の転換点の1ページとなった。

主役の松潤は様々なイベントにお声がかかる😅

目次

鬼神武田信玄

家康とされた首級が偽物なことに気がついたはず

武田信玄は、戦いの時は十分な下調べをし準備をする。

絶対に勝てる自信が生じるまでは、決して戦を仕掛けない。

まず勝ちてから戦を仕掛ける。

本人が言っている通りだろう。

三方原の戦いは籠城作戦を取ろうとしていた家康を誘い出すための罠を仕掛けた。

遠江の国中に家康が臆病なことを吹聴し、戦わずにはいられないような状況を演出。

そしてその作戦は見事にはまる。

地元の利を生かして、後から攻めてくると踏んでいた信玄。

待ち構えるかのように、鱗形の陣で突撃体制をとっていた。

追いかける家康は鶴翼の陣と言って、左右から敵を覆い隠すような陣形。

突撃されれば、兵力が寸断されてたちまち身動き取れなくなってしまう。

ドラマの中でも、まさにそのような状況が描かれることになる。

壮大な戦闘シーンは、物語の中ではほとんど描かれない。

個別の鍔ぜり合いの様子だけがエピソードとして紹介される。

武田の機動力がこの時代最強とされる所以がここでも証明される。

三方原の負け戦

家康は逃げ場すら失って万事休す

物語の中で描かれていた家康の采配ぶり。

このままぶつかれば負けるとの進言に退却命令を出していたね。

その後から追いすがるように、

武田信玄のかかれ〜‼️の掛け声。

戦いは、徳川家康が浜松城を出た段階で勝負あった。

もし、当初の予定通り浜松城での籠城作戦を決行していたならすぐに負けることにはならなかった。

うまくいけば1ヵ月程度は持ちこたえられた可能性が。

それをさせないような武田信玄の老獪さが際立った戦いだった。

夏目広次こと夏目吉信

本来は夏目吉信 徳川家に2度命を救われた

夏目広次は徳川家に使えて、2度ほど命を助けられたようだ。

家康にはなかなか名前を覚えてもらえずに、いつか恩返ししたいと心から思っていたようだ。

そのエピソードを巧みに利用してドラマが構成されている。

果たして描かれたようなことがあったかどうかは不明だが、どうやら彼は三方原の戦いで命を落としているのは間違いなさそう。

逃げ場を失った家康の身代わりになって、武田の軍勢に突入したのだ。

家康の甲冑をつけて、飛び出せば武田の餌食になる

考えてみれば、この時代は写真も何もないので、誰が本物で偽物なのかははっきり言ってわからない。

敵の大将首を取ったなどの場合は、大抵持ち物で判断するしかなかったのだ。

家康の金茶美具足はかなり目立つ甲冑なので、顔を知らない兵隊にも見分けがつきやすかったかもしれない。

広次は自ら身代わりになることで、家康の命を助けた形になる。

遥か昔から徳川家に使えてきた広次。

自分の不始末から2度ほど手痛い失敗をしたようだ。

そのたびに罪を問われることなく許してもらっていた。

その恩に報いたいと考えたようだ。

また、今回の戦いでは、家康の勇猛果敢な家来本多忠勝の叔父本多忠真が甥を守る形で戦死

自分の甥を助けるために自ら犠牲になる

徳川家康の手痛い負け戦は、大勢の家来たちの犠牲の上に成立した。

彼らの働きがあったゆえに、徳川家康は生き延びることができた。

歴史の転換点

武田信玄が諏訪に引き返したことで織田信長の首がつながった

三方原の戦いは、12月22日に起こったことなので、まさにクリスマスとか年末の頃。

物語の中でも、雪がちらつく場面が描かれていていかにも寒そうな印象を受ける。

しかし、年が明けた4月には武田信玄は諏訪に引き返すことになる。

武田勝頼は見事に騙されてしまう

そして、5月には死亡してしまうのだ。

吐血するなど、病状はかなり重かったようだ。

様々な憶測がなされるが、多分胃がんだろうと言う意見が信憑性が高いと思う。

武田信玄が歴史の表舞台から姿を消すことで、全国統一の様々な思惑は若干のタイムラグが生じてしまう。

このまま彼が上洛してしまえば、間違いなく信長は蹴散らされたはず。

歴史は、この先織田信長が畿内を統一し事業計画は豊臣秀吉に受け継がれることになる。

来週はいよいよ武田信玄の死去が描かれるようになるようだ。

徳川家康が本格的に、歴史の表舞台に出てくる日も近い。