「虎に翼」は最近の朝ドラの中では視聴率の好成績が続いていると聞いた。
ドラマは、脚本家 制作スタッフ、そして俳優たちの自在な演技によって巧みに作られているが、とりわけこの1〜2週間で大きく盛り上がってきた。
今週のエピソードの中で中心となって描かれたのは、
かつて寅子の仲間だった大庭梅子の家族の物語。
戦後すぐのエピソードを取り上げながら、現代人にも通じる“人間が持っているエゴ”について詳しく語られた。
感心したのは理不尽な状況に陥った時、人はどんなふうに助け合いどんなふうに受け止め行動するのがベストか。
物語の登場人物にかぶせて、視聴者それぞれが考えることができる。
さらには登場人物の振る舞いに称賛する気持ちが湧き起こる。
今週の見所だったものの1つに、
前作の朝ドラブギウギの登場人物茨田りつ子が物語をまたいで登場したことだろう。
りつ子を演じた菊地凛子の存在が物語の信憑性とフィクション性を同時に満足させてくれたものと思う。
虎に翼は、最近のドラマでは画期的に感情移入しやすい作りになっている。
今週だけでなく来週以降も主人公寅子の波瀾万丈の人生が示される。
目次
大庭梅子との再会
大庭家で起こったことが詳しく語られた。
梅子は三男光三郎を連れて家出したようだ。
しかし10日ほどで連れ戻されたと語っていた。
クズ夫大庭徹男はすぐに病に倒れ、梅子は夫の介護を10年以上続けたと聞く。
しかし、夫の愛人を名乗る女から遺言書の捏造を企てられ、こともあろうに三男光三郎も騙されて恋仲にされてしまう有様。
この物語は明らかな悪役が設定される。
そして不思議なことにその悪役にも感情移入してしまう我々視聴者
世の中を見回したときに、こういった女性は山ほどいるんじゃなかろうか?
もちろん相手のある話なので、誰が良いとか悪いとか言う問題ではない。
当事者たちの問題は必ずと言っていいほど周りに伝播する。
梅子の家族のそれぞれがどれだけわがままなのかなこの物語の主要なコンセプトになっていた。
そしてその特徴はすなわちドラマを見ている私たち自身にも当てはまると思ってしまう。
要するにこの物語で描かれるそれぞれの人たちは他人じゃない。
猪爪家の家族の今昔
猪爪家の日々の生活は物語の重要な設定にもなっている。
寅子の娘優未は花江たちのお世話で暮らしている。
花江が物語の中できちんとしたエピソードとともに描かれていることがとても好感度アップ。
母親の再婚関係に一喜一憂する子供たちの様子は今でもあり得る話じゃなかろうか?
私たちは普段生活する上で、家族といえどもまっすぐ顔を向けて目を見ながら話するなんて事はあまりしない。
しかし大切な事はきちんと目を見て話さなきゃいけないだろうと。
日本人は特に親しい中でも直接目を見て話すことが少ない民族なのではなかろうか。
ジロジロ見るのは失礼だと思う気持ちと同時に自分も見られるわけだから恥ずかしいと思ってしまうのかもしれない。
ドラマの様々な場面が自分の日常とダブってくるようでいろんなことが考えさせられる。
大庭家の本質
大庭家の家族それぞれの問題は、現代人の私たちを象徴しているのかもしれない。
もちろん、物語は登場人物それぞれの性格をデフォルメしてあるので、わかりやすく描いてはいるが、私など自分の胸に手を当ててみてクズ夫徹男の振る舞いや考え方が自分の中にもあるのではと少し怯えて受け止める。
さらには女性たちも祖母常やすみれのような自分勝手さが心に潜んでいるのではと振り返った人も多いのでは。
何度も繰り返すが、登場人物たちのそれぞれがすなわち自分自身だと思うと 内心穏やかではなく感情移入させられる最大の理由かもしれない。
愛のコンサート🎵
私は正直福来スズ子の登場に期待を抱いていた。
さすがに俳優たちのスケジュール調整にも気配りが必要なわけで、今回は菊地凛子がうまい具合に該当したんだろう。
この当時の史実を振り返ると「虎に翼」は実際のエピソードをほぼ踏襲していると思われる。
特にラジオのインタビューの場面があったが、当時の和田嘉子さん(後の三淵嘉子さん)にインタビューをしたのは、ラジオのおばさんこと村岡花子さん
「花子とアン」のドラマが思い出されるよね。
吉高由里子が役になりきって、“お小さい方々”と呼びかけるアナウンスが、今でも耳に残る。
当時も同様のコンサートが催されて登場した歌手は淡谷のり子ではなかった。
調べてみると、当時売り出し中の「二葉百合子」や初代「水の江瀧子」が登場して大盛況だったと伝わる。
虎に翼は波瀾万丈に描かれているが、史実の方もそれ以上に波瀾万丈だったことがうかがわれる。
さて物語は来週の予告編も。
あえて史実を紹介するなら寅子の再婚相手が登場するはず。
我々がよく知る三淵さんは再婚後の苗字。
今名乗っている佐田寅子は当時の和田嘉子なことを知っておきたい。