物語はネタバレ情報がしっかり出回っているので、たいていのストーリー展開はあらかじめ知ることができる。
今日の放送で触れられていたアメリカ視察旅行もご多分にもれず。
しかし、今日の放送を見て驚いた。
なんとアメリカでのエピソードは映像その他一切なし。
日本に帰国したところからの物語の展開。
考えてみれば、アメリカでロケなどありえないことなので、こういったことになるのもやむ得ないかなとも思う。
そういえば、何年か前の大河ドラマ「青天に衝け」でもアメリカ視察はとても大切な場面だと思われたが、実際の映像が流れる事はなかったと記憶。
やはり映画とは事情が違う。
さて、今週の物語で描かれるのは猪爪家の家族のそれぞれの振る舞い。
寅子は目標に向かって全力で突っ走るキャラクター。
対する家族は寅子の期待に応えようと 死に物狂いで体裁を整えるような有様。
当たり前のことだが、そんなやり方では疲れ果てるんだよね。
トップを走っているものは風を切って進んでいるので、意外と向かい風が心地よかったりする。
この心地よさの本体は優越感。
自分が先頭を走る❗️
物語が描き世界では、寅子がいかにして自ら陥ってしまう挫折を受け止めるか。
そして、物語の中でそれら寅子に感じる違和感にいち早く気づいたものがいた。
かつて寅子をお嬢ちゃんと呼んでいた新聞記者竹中
今や彼はフリーのライターとなって、ひとかどのジャーナリストとして活躍しているらしい。
彼は寅子の周りの人たちの称賛の言葉を鵜呑みにはできないと捉えたようだ。
目次
アメリカ視察から帰還
物語の設定は昭和26年10月とあった。
この頃は、終戦から6年経ってそろそろ日本の発展も軌道に乗り始めた頃。
物語は家庭裁判所視察団に加わった寅子の報告の様子が描かれていた。
つまりこちらの裁判所からは彼女1人だけで、他は別のメンバーとか通訳とかの中に加わった形に。
この辺の描き方からみると寅子が浮かれているような印象が。
ちなみに昭和26年当時のオードリー・ヘプバーンはまだ売り出し前だけど、それなりに有名だったと思う。
ローマの休日は、1953年の映画なので、私の生まれた年に相当する。
撮影は前年に終わったと思われるので、ちょうどこの頃だろうか。
猪爪家のそれぞれ
物語の描き方を見ると、寅子はすでに猪爪家では浮いているような存在。
みんな寅子の前では緊張して良い子に振る舞ってしまう。
くつろげない家族と言ったらズバリ言い得て妙だと思う。
やがては崩壊する運命なんだけどね。
みんな全力疾走する寅子にはついていけないと思っているんだろうね。
猪爪家を取材
アメリカの取材が終わった後、かつてお世話になったフリーライターの竹中から取材の依頼が舞い込む。
寅子は今、世の中で1番有名な女性と言っていいだろう。
フリーライターにとっては申し分のない素材だったが、竹中にしてみれば普段の寅子にどれだけ肉薄できるかが目的でもあったろう。
彼自身取材しながら猪爪家には違和感を感じていたような。
だってみんなあまりにもいい子すぎるしね。
そして、なぜか寅子を死に物狂いで持ち上げている。
これは家族のバラバラ感を描いているのではなく、私が思うにはこの頃の日本人は世の中に遅れまいとして必死に周りに合わせていたのかもしれない。
スーパースターのいる猪爪家では寅子の有名具合になんとしても合わせる必要があると考えたようだ。
寅子も自分勝手で能天気にやりたい放題だが、周りの人達も自分のマイペースを完全に崩してしまっている。
竹中はその辺の違和感をいち早く感じ取ったに違いないのだ。
ただし、記事にした場合、どこまでの内容になるかは想像しにくい部分もあるね。
寅子の周り
寅子には後輩もできたようだ。
寅子の活躍に感動した志ある女性たちがこぞって法律家を目指そうとしている。
既に男女同権の世の中なので、女性の活躍はどうしても求められるところ。
寅子がスーパースターな事はよくわかったが、周りもちょっと持ち上げすぎではなかろうか。
今と違ってそれぞれ自分自身のアイデンティティーがまだしっかりと確立されていない日本人の精神性がちらっと見えたりもする。
アメリカから取り入れた資本主義は基本的には自由主義を標ぼうする。
個人個人はそれぞれのパーソナリティーを周りから認められ尊敬されることに決まっている。
特に、人種差別なので苦しい思いをしてきたアメリカではそこら辺の取り決めは日本とは比較にならないほど厳しい。
残念ながら日本では人種差別という言葉すらあまり認識できていなかっただろう。
この時代の日本の法体系を変えるのは担当者も一般国民も暗中模索だったと思う。
そして、寅子の様々な発言は誰もが皆注目しつつ一切の失言が許されない状況でもあったはず。