描かれた内容は、裁判事例と言うよりは裁判担当者の身分の補償等いわゆる労働問題について。
会社勤めの長かった私にとって労働問題はかなり身近に感じる話題。
働くものの権利とか主張とかは法律で様々に規制されている。
今はほとんどが網羅されている法規制は労働者と経営者双方が果たしてきちんと生き残れるかどうかの別な問題も提起。
物語で描かれたのは昨日裁判所内で行われた勉強会について。
あの発芽玄米の小橋が爆弾発言すると思われた意見は最後まで聞いてみると素晴らしい内容だったことが明らかに。
傍若無人な質問をした中学生の男の子もうなずいて納得する。
ここで寅子は後輩秋山から妊娠の報告を受ける。
この頃働く女性は、今のような産休制度などあるはずもなく出産や子育てのために職場から長期離脱を余儀なくされると、休み明けの職場復帰が不可能に近いほどのハードルの高さだったようだ。
現在は妊娠した場合、その前後でおよそ2年ほどの産休が認められる。
もちろん職場復帰が約束される形で。
ただし現場を運営する側にとっては長期離脱した職員が再び戻ってきて、同じような職場を提供する事はかなりに苦痛なことも事実。
今では当たり前のように準備されていることも、長い歴史の中で大勢の先人たちが苦労の末に考え抜いて掴み取ってきた制度なのかもしれない。
様々な問題に取り組むためには、働く環境がどれほど大切か。
特に女性は男性と同一条件ではどうしても無理がある。
物語はごく普通の流れを取りながらも、新しい課題がさりげなく取り込まれている。
目次
裁判所内特別教室
昨日小橋が爆弾発言をしたかのように描かれていた。
蓋を開けてみると世の中は平等を歌いながらも、実際は優秀な生徒と出来の悪い生徒にだけ注目が集まって、中間にいる者たちはほとんど気にされることもない。
そこで自分は関係ないんだと思ったとしても不思議はない。
小橋は中学生に気持ちがよくわかると発言。
1番になる必要は無い。
がんばる理由は注目されたいからではない。
肩の力を抜いてするべきことをする。
小橋は、自分の境遇と中学生の感じていることを絶妙に比較しながら、巧みなフォローを。
世の中での自分の立ち位置をしっかりと認識できている小橋は世の中で必要とされる大多数かもしれないね。
後輩秋山のおめでた問題
秋山は、自分自身の家庭の事情を寅子に打ち明けていた。
姑から男の子を産むようにとプレッシャーをかけ続けられている。
しかし判事補となった現在は仕事も頑張る必要が。
この時代の女性として、秋山は寅子同様かなりできる人なんだろうと感じる。
しかし、もし子供を産むとなればどんなに頑張ったところで、1年以上はブランクができることに。
その後同じ仕事に戻れる可能性は極めて薄い。
秋山はそのことが残念で、悩みを深めるばかり。
寅子は秋山のために子供を産んで戻ってきても必ず働く場所を用意しておくからと約束してはみるが、それは果たして確約と言えるかどうか。
1口に労働環境といっても、女性男性で立ち位置はまるで違ってくる。
平等な社会世の中を目指すためにどう受け止めるかは今も現在進行形で議論が続く。
星家
航一の元妻照子と幼い朋一のどかの様子が登場していた。
撮影のためにわざわざ準備したんだろうと思う。
そして秋山のことを語っただろう星家の食事風景が描かれていた。
ここで朋一の意見が述べられていたが、私が真っ先に感じた違和感。
寅子は秋山のプライベートなことを家族とは言え、食事の場で公開しただろう設定になっている。
私なら家族と言えどこのレベルの話は話さない気がする。
理由はプライベートすぎるから。
もし、秋山の家庭がうまくいっていて出産に対して何の心配もないのなら話したかもしれない。
しかし、秋山は思い詰め悩んだ挙句寅子に告白した形に。
今日のような設定では夫婦だけの会話に留めるべきでは。
朋一とのどかの兄妹の会話もそれぞれの気持ちがよく現れていたような気がする。
この2人が虎に翼のこれからの物語に大切な役割を果たすんだろうと改めて実感。
労働環境
寅子はかつての仲間たちに署名をお願いしたようだ。
この中で秋山とよねの過去のやりとりが紹介されていた。
よねは今も昔も変わらず女性としては振る舞っていない。
そのことについて秋山がかつて噛みついたらしい。
男性の髭剃りと同じで化粧するのは女性のたしなみ。
大喧嘩になったとのこと。
なるほど2人ともかなりの武勇伝を持っているわけで。
労働条件を語ると働くものと働かせるものとで立場が全く違ってくる。
その中立ちをする中間管理職は、会社の中では1番ストレスが溜まるだろう。
私はおよそ30年そんな立場で仕事をしてきた。
お金が欲しい労働者
なるべく少ないお金で働かせたい管理職。
2者に振り分けてしまうと労働環境の議論は簡単に行き詰まってしまう。
よく労使が一丸となって という言葉が掲げられるが個人的には“労使”といった段階で、もうこの議論は答えのない迷宮に入り込む。
私の古い時代の記憶を呼び覚ます物語。