くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

ウォルフガングアマデウスモーツアルト神童と呼ばれた男

 

モーツアルトの評判って?

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よく知られたモーツアルトのイラスト

 

目次

 


クラシックファンでモーツアルトを知らない人は絶対にいない。

古典派音楽家の中でも「音楽の神童」と呼ばれた天才中の天才だろう。

彼の父親はレオポルトモーツアルトで、音楽好きが高じて作曲家になった経歴を持つようだ。

モーツアルトは早くから音楽の才能に目覚め、調べてみるとわずか3歳の時から父親から手ほどきを受けて作曲や楽器の演奏をこなしたようだ。

日本で言えば幼稚園とか保育園の世代だろう。

モーツアルト自身の神童としての才能もさることながら、わずか3歳の時から教育を始めた父親の眼力も凄いと言えるだろう。

音楽に対するモーツアルトの評判は賞賛する声が多数あるのだが、モーツアルト本人の評判となると意外とそうでもなかったりする。

子供のうちは特に問題なかったのだろうが、思春期を迎え大人になるに従って彼の本来の性癖が出てくるようになったようだ。

一言で表すならば「下品極まりない」のがモーツアルトの評判である。

彼は卑猥な話を特に好んで、下品な笑い声で人と会話したらしい。

それと同時に、大変な浪費家だったとも聞く。

大作曲家であるには違いないのだが、いつもお金に汲々としていて、借金のおねだりもあちこちにしていたようだ。当然返せたのかどうかも定かではない。

モーツアルトの特徴なのだろうか、音楽に見せる他の追随を許さない才能と結果、それとは真逆の普段のお粗末なお人柄。

このありえない位のギャップがモーツアルトと言える。

もっとも、私もネットで調べた情報と、かつてクラシック音楽を盛んに聞き漁っていた頃の情報をもとにこの記事を書いているので、実際に見たわけではないので。

しかしながらどうなんだろう?

やっぱり、愛すべき存在と言って良いのではないか。

やっぱり天才なの?

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レクイエムの楽譜

モーツアルトにはいくつかの逸話があるのだが、楽譜を書くときに修正をしないのだそうだ。

当時は鉛筆などで書いたわけではないのでペンを使ったはず。

下書きなしでいきなり書いていたので間違えた場合、何度も楽譜を更新しなければならないはず。

モーツアルトの場合、いきなり清書して大丈夫だったと記述に残っている。

で、ネットで詳しく調べてみたところ、やはりいきなり清書は多分に言葉のあやの部分もあるようだ。

モーツアルトの直筆の楽譜もそれなりに見つかっているようなのだが、その中にはいくつかの修正の跡があるようだ。

誰かが賞賛する意味で、いきなり清書なんて記録に残せば、それがそのまま信じられてしまうほどモーツァルトの音楽は素晴らしいとも言える。

実際は、それなりにイメージを立ち上げ、いくつかの考察を繰り返しながら曲作りをしていたはずである。

しかし一度イメージが固まれば、そこからは一気呵成に書き上げたに違いないのだ。

特に信頼できる情報としては、作曲にかかるスピードである。

驚くほどの速さであの3楽章からなる交響曲などを軽々書き上げているのである。

書き直しがあったとしても、モーツアルトの神童と呼ばれる評価にいささかもケチをつけるものではない。

さて、モーツアルトの残した功績はもちろん作曲なのだが、実は彼の楽譜はそれほど多くは残っていないのである。

あの時代、今のように著作権とかといった考え方は極めて希薄で、しかも音楽を職業にする人もそれほど市民権を得ていたわけではない。

モーツアルトもどちらかと言えば、貴族のパトロンがいてそこのお抱えの音楽家の領域を超えるものではなかったのだ。

彼が亡くなった後は、その楽譜は妻コンスタンチンが素人判断であちこちに売りさばいたようだ。

そのことを批判して彼女を悪妻と呼ぶ評判はあまりに有名。

しかし夫婦2人の関係のことなど、どれほどモーツアルトの評価に寄与するだろうか。

今残っているモーツアルトの様々な楽譜はこの時に散逸したものが元になっていると言える。

ここで考えるのは、音楽の本質は楽譜ではないと言う事。

音楽は演奏家が(声楽も含む)、音に出してみて初めてその値打ちを得ることができる。

ただし、この当時の著名な作曲家は、楽譜を見ただけで音楽が頭の中に鳴り響いたようだ。

楽譜が読めない者にとっては理解不能な世界だが、楽譜を音楽の伝達手段としている人にとっては、目で入ってきた情報がそのまま音の情報として頭の中に取り込まれるのである。

個人的にはこのことに驚きを禁じえない。

モーツァルトの音楽の特徴は一言で言えば、「聞けばわかる音楽」

きらびやかで、華やかで、それでいて驚くほどわかりやすい。

言葉で説明しようとすると、なかなか意味が伝わりにくくて歯がゆい思いをするのだが、モーツアルトの音楽の真骨頂はまさにあの曲全体の中にちりばめられているのである。

それは彼の作品のどれを聞いても同じように感じることができるのだ。

人生を生き急いだ

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ウィーンに立つモーツアルトの記念碑

モーツアルトが活躍したのはウィーン。彼は父親に連れられて音楽家としての道を歩み始めたが、その一生は35歳で終えることに。 

死因は今も謎とされてはいるのだが、どうやら複数の疫病が関わっていたようだ。

彼自身は毒殺されることを訴えていたようだが、苦しい病状の中でその時の彼の本音が出ていたのかもしれない。

モーツアルトを毒殺しようとする人が全くいなかったわけでもないようだが、毒殺する理由が少し弱い気がするのである。

音楽的には他に類を見ないモーツアルトだが、彼のその当時の生活ぶりはまさに貧乏そのもので食うや食わずだったのである。そのようなみすぼらしい生活をしているものを誰が毒殺するだろうか。

音楽に対するずば抜けた才能に嫉妬して毒殺と言われてはいるが、あまり説得力を感じないのである。

様々な調査のことを調べてみると、やはり当時の不衛生な生活環境と、粗末な食事による栄養失調、またモーツアルト自身の人並み外れた制作意欲によって健全な生活が著しく阻害されたためだと推察するのである。

病床に伏せった後、2週間ほど苦しみ抜いて死んだとされている。

おませなエピソード

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マリアテレジアの娘マリーアントワネット

モーツアルトは6歳の時に、当時のウィーンの女帝であるマリアテレジアの末娘、マリーアントワネットに、「将来は僕のお嫁さんにしてあげる」と 言ったようなのだ。

マリーアントワネットは、この後にフランスのルイ16世に嫁ぎ、フランス革命の混乱の中、断頭台の露と消えた 。

モーツアルトが活躍した時代は、まさにフランス革命直前の中世ヨーロッパが近代に生まれ変わる頃。

モーツァルト自身はその卑猥な性格もあって、それなりの女性遍歴があったと記録に残っている。

しかし、それらの恥ずかしいエピソードがあったとしても、モーツアルトの音楽性にはいささかも傷つく事は無いはずだ。

まとめ

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35歳と10ヶ月で死亡

 おしなべて偉大な芸術家たちは本人が活躍していたときには報われないことが多い。

もちろんその逆もあるのだが、例えば画家のゴッホ等は今でこそ何十億もするような価値の絵を描いているのだが、生前は全く売れない画家だったのである。

弟がお情けで買ってくれた1枚の絵があるだけ。

音楽家も同じだろう。例えばこのモーツアルトや、ベートーベンなどいつもお金で汲々としていた記録が残っている。

モーツアルトの場合、葬式すら簡略なものでまともにあげていなかったようだ。

彼のお墓は、もともと埋葬されたのが共同墓地で、今もってどこにあるのか不明である。

あの神童モーツアルトのお墓がないのである。

あの時代は、貧しい人たちは共同墓地に葬られることが当たり前だった。

大勢の人たちと同じ墓穴に葬られ、その共同墓地がいっぱいになったならば、いちど埋めた遺骨を掘り返して、他の処分場にゴミとして捨て去るのである。

そして新たに整地し直して別な使用目的でその場所を使うらしい。

ほとんどゴミの処分場と変わらない。

このような処分をされてしまえば当たり前のことだが誰が誰だかわからなくなるのである。

モーツアルトは残念ながらこのように葬られた。

今も活躍している黒柳徹子さんが「あの天才モーツアルトをこんなひどい葬り方をするなんて、とても信じられない。ヨーロッパの人たちの良識を疑う」と言う発言をしておられた。

黒柳さんでなくてもそう思ってしまうのもやむを得ない。

しかしこのような厳しい状況の中でも、モーツァルトの音楽の素晴らしさはなおのこと輝きを増すと言える。

最後にモーツアルトのおそらく遺作だろうと思うのだがレクイエムを紹介したい。

 


Mozart Requiem モーツァルト レクイエム 高音質