ついこの間歌手で俳優のショーケンこと萩原健一さんが亡くなった。
様々な紹介記事がアップされているが彼が活躍し始めたグループサウンズ全盛の頃のまとめとして作成した記事です。
グループサウンズ全盛の時代
目次
日本でのブームは、ビートルズとかローリングストーンズによってもたらされたと言えるでしょう。
このイギリス出身のグループは世界的超有名です。
実力人気ともにナンバーワンと言って良いでしょう。世界中のこのジャンルの音楽家に影響を与えていますね 。
ブルーコメッツとザスパイダース
日本のグループサウンズの草分けと言えばブルーコメッツ。
このグループはロカビリー全盛の時代に尾藤イサオのバックミュージシャンとして活動を始めたのです。最初は歌を歌わずに演奏だけのグループだったようですね。
しかし様々なステージをこなすうちに自分たちだけで歌を歌わなければならないことに遭遇。
グループで演奏しながら歌ったところが好評でそれ以降は歌も歌うことになったようです。
他のグループサウンズと決定的な違いがあって、それは音楽的に見てブルーコメッツはプロの集団だと言うこと。それはどういうことかと言うととっさの時にいくらでもアドリブで演奏が可能だったらしい。
はっきり言って他のグループはあらかじめ練習して覚えたこと以外はできなかったと聞いている。
その時の状況に合わせた演奏ができるのはブルーコメッツ位だったらしいですよ。
スパイダースはブルーコメッツと人気を2分する老舗のグループ。
このグループはブルーコメッツとは違って、グループ内の役割がある程度できていて、しかもボーカルが専門職として前面に出ていたところが特徴ですね。
今も活躍している堺正章、井上順がそうです。
亡くなられたかまやつひろしもミュージシャンでいながらコメディアン風のキャラクターもこなす多彩なタレントでした。
タイガースとテンプターズ
タイガースが出てきたあたりから、グループサウンズはアイドル化していったわけです 。
タイガースの人気はグループそのものがアイドルだったこともあるが、なんといってもボーカルだった沢田研二。愛称ジュリー。
亡くなられた女優の樹木希林さんがドラマの中でギャグとして使ってましたね。
テンプターズもタイガースと人気を2分するグループでした。このグループはタイガースよりもさらに若い10代の少年で結成されていたのです。
その中でもボーカルのショーケンこと荻原健一はジュリーと人気を2分するほどの大変な活躍だったのです。
様々な曲をリリースしていますが、テンプターズらしい楽曲はこの“エメラルドの伝説”でしょう。
この曲が流れると10代の少女たちは皆ハートを射抜かれたようです。
ビレッジシンガーズとゴールデンカップス
この辺のグループになるとかなりマニアックになってきますね。
グループサウンズもブルーコメッツやタイガース以降、数100を超えるほどデビューしてきました。
ちなみにゴールデンカップスのミッキー吉野は今では日本の音楽会を代表する第一人者です。
この辺のグループからは、自分たちの趣味や夢としてグループを結成したそういった状況が増えてきたようです。
アイドル的なグループは、そのほとんどがプロデューサーがいてしっかりとした演出がされていたのですが、グループサウンズの活動後期になると自らの意思で音楽をやりたい若者たちの集まりに変化していったのですね。
カーナビーツ
好きさ好きさ好きさ
今は亡きアイ高野の決めのポーズ。この曲はこの当時知らぬ者がいない位の大ヒット曲でした。なんといってもボーカルのアイ高野のこのパフォーマンスと切なげに歌い上げる曲調が多くの若者の共感を得たのです。
既に逝った人たちとまとめ
グループサウンズの全盛期で活躍した人たちは戦後すぐぐらいの生まれの人が多いのです。存命であれば70歳を超えた位の人なのですが、若くして亡くなった方もずいぶんおられるのですね。
1部の方々を紹介してはみましたが亡くなられてずいぶん久しいです。
音楽1本で活躍されてきた方もおりますが、萩原健一のように役者として成功した人たちも実はたくさんいるのです。
音楽活動と俳優業の両方で成功する人はグループサウンズからの出身では多いといえます。
例えばタイガースのサリー、今の岸部一徳ですね。また鈴木ヒロミツも俳優業を始めとするタレント業が盛んでした。
個人的にとても残念だなと思ったのはブルーコメッツで活躍していた井上大輔さん。
もうずいぶん前に自ら命を絶ってこの世を去りました。
思うに、彼は本格的な芸術家だったのではなかろうかと。
日本では明治以降の文壇の中ですが、意外と自殺者が多いのです。
あの川端康成を始め、芥川龍之介、太宰治など皆自ら命を立っています。
彼らは皆日本を代表する芸術家と言っていいはずです。
亡くなられた井上大輔さんも同じようなジャンルの人かなとそう思うわけです。
この間亡くなられた萩原健一さんもガンで長く闘病していたようですね。
なくなるギリギリまで仕事をしていたと聞きました。
様々な浮き名を流しつつも、創作にかける意欲は衰えることがなかったようです。
法に触れるようなことでもずいぶんと世間を騒がせたことがありましたね。
でも、ネットやニュースで見る内容は、皆彼へのお弔いの言葉がすべてです。
今更ですが、私もお悔やみの言葉を捧げたいと思うのです。
彼のことを調べると、どうしても今からおよそ50年前の私が中学生の頃の時代にタイムスリップしてしまうのですね。
ちょうど高度成長期の真っ最中の時でした。
もうあの時代に戻れる事は決してないですが、今でも懐かしい気持ちはずっと心の中に生き続けるのです。