いよいよ今回は長良川の戦いで斎藤家の分裂に決着がつく。
斎藤義龍に挑む父斎藤道三。
軍勢は義龍側が12,000に対し道三側はわずか2000。
最初から勝負あったようなものだが、斎藤道三の意地は絶対に後には引けない決意を表していた。
そして親子の間で揺れ動く明智光秀の心情。
何度も迷い、逡巡した挙句圧倒的に不利な父道三側へ加担することに。
結果は無残なものとなった。
目次
決戦長良川
斎藤道三は息子と戦うために長良川の河畔に兵を進める。
もともと川を挟んでの戦いで相手方の兵力は12,000。
対する自軍のほうはわずか2000。
戦いの難しさと兵力の決定的な差はおよそ勝ち目のない自爆行為に等しい宣戦布告だった。
しかし、そこまでしてもどうしても自分の抑えきれぬ思いをぶつけなければならなかった道三。
戦場では驚くほど静かに瞑目していたが、1度敵の軍勢が攻めてくると、自ら馬を駆って単身相手の陣地へ乗り込んでいく。
そして息子に呼びかける。
高政! 一騎打ちじゃ!
多勢に無勢のくせに大仰な!
しかし父親の呼びかけに息子義龍は一騎打ちに応じる。
お互い槍を交えての激しい戦闘。
しかしこれは捨て身で放った斎藤道三の最後の罠だったのだ。
もともと戦上手の斎藤道三が負けるとわかった戦にわざわざ自ら出向いていくには、それなりの勝算を持っての上だった。
つまり、それは物語を見ているとわかるのだが自分の命をかけたイメージ戦略。
戦えば間違いなく自分は命を落とす。
しかし一騎打ちで戦えば、その戦う様子は周りの兵士たち皆が目撃することに。
その時に仮に息子に討たれたとしても、息子には親殺しの忌まわしい噂がついて回ることに。
つまり、この先どのような相手と交渉をする場合にも自分の親を殺すほどの極悪非道人との看板を生涯背負わされることになるのだ。
道三の狙い目はそこのようだ。
最後に気に入らない息子への決定的な一矢を報いることになった。
多勢に無勢


勝ち目のない戦いに挑んだ斎藤道三。
また斎藤義龍の戦に臨む心意気も語られていた。
命を取ろうとまでは考えていなかったのだ。
自分自身が美濃国の国主として周りの承認を得るためには父道三を屈服させねばならない。
わが軍門に下れ!
言い放った義龍の言葉が気持ちを端的に表していた。
しかし、敵方の胸の内を読んで自分有利に戦を進めるのは斎藤道三の方が遥かに上。
相手の軍門に降らないばかりか、相手に致命的なダメージを負わせる。
そのために刃を交わす以前に言葉でずいぶん戦っていたではないか
お前の父親は誰だ?
わが父は土岐源氏の頭領 土岐頼芸様!
その答えに道三は大笑いをして答える。
高政 お前は間違いなくワシの子じゃ!
この後に及んでも自分を偽って美濃国をだまし取ろうと言うのか!
そう言われてしまうと、義龍は全く返す言葉もなく逆上してしまう。
一旦は手出しをするなと部下に命じておきながら、ここで部下に父を討つように指令する。
その結果斎藤道三は槍に突かれて落命。
絶命する瞬間、息子義龍にもたれ込むようにして耳元でかすかな声でつぶやく
ワシの勝ちじゃ!
父対子
息子にもたれかかるようにして絶命する父斎藤道三。
ここで親子の対決は決着がついたのだが、その直後に光秀が馳せ参じることに。
衝撃を受けた映像が目の前に繰り広げられている。
義龍は光秀に寝返ったことを激しく詰め寄るが、もう一度だけチャンスを与えるので自分の部下として働けと命ずる。
そのことに対する光秀の答え。
私はお前が尊敬している土岐頼芸様を立派な方だと思った事は無い。
それに比べると主君斎藤道三は誇り高き立派な武将だった。
決して自分を偽ることのなかった道三様が我が主君。
お前に与する事は絶対にありえない。
こう言い放って、斎藤義龍に別れを告げようとする。
周りは敵だらけの中堂々とその場を立ち去るのだ。
しかし、事態がそのまま収まる事はなく明智の荘は斎藤義龍によって焼き払われることに。
織田信長は斎藤道三に不思議な親近感を抱いていた。
それはお互い様で、相手の中に自分と同じ匂いをかぎ取ったからに違いない。
それは世の中の時代の流れを見極める力と、その流れを巧みに利用しようとする圧倒的な合理的精神。
そこが斎藤道三と織田信長の共通点と言えるだろう。
斎藤道三が居城としていた稲葉山城は当時としては珍しく石垣を組んだ上に城を構築した。
その方法は後に信長自身は安土城で再現して見せている。
また織田信長の功績とされる楽市楽座の経済は実は斎藤道三が先駆者。
彼は美濃国で最初に実践してみせたのだ。
しかし、斎藤道三の家来衆はそういった先進的なやり方をなかなか理解することができずに、この国内ではほとんど斎藤道三の独断で物事が行われていたような印象。
理解できない者たちは不満を募らせストレスを溜めて道三ではなく息子義龍にしたがって行ったとの指摘もある。
そういった裏事情もあって道三と義龍の確執は徹底的なものとなっていったのだ。
明智の荘の終焉


斎藤義龍に逆らったことで、明智1族は屋敷もろとも焼き払われることが確実となった。
ここで光秀の叔父光安は家督を光秀に譲り、ここを逃げ延びて生きることを命令する。
そしてここのやりとりで語られたセリフの中から光安はこの明智城で自ら命を落とすことを決意しているようにも見える。
そしてこの物語の最後のシーンで描かれていた別れの場面では光秀の母牧の演技も光っていた。
もともと演歌歌手としての石川さゆりは、ごく若い頃に役者として映画デビューを果たしている。
確か15 6歳の頃と記憶するが。
歌手とは言え多くの舞台で座長をこなし、その演技力は知る人ぞ知る定評のあるもの。
今回のこの最後のシーンでも石川さゆりの流した涙には多くの人が感動したとのメッセージを寄せている。
確かに戦国時代に生きた母親としての悲哀が存分に表現されていた。
さてこうして明智光秀の1族は美濃国を落ち延びるしか選択肢がなくなった。
麒麟がくるでは尾張の帰蝶が巧みに手を回して逃げ延びさせようと画策している様子が予告編で描かれている。
明智光秀はここからしばらくの間浪人として過ごすことになるのだ。
そして歴史的な事実で見れば、この後京都の将軍足利義昭と織田信長の両方に仕えることとなる。
この物語では、なんとなく見ていては気がつかないのだが明智光秀本人のセリフは実は驚くほど少ないと感じる。
つまりセリフの大半は相手方の俳優に振り分けられていて、光秀がそのセリフを受け止める形で物語が成立している。
しかし、ここまで物語を見てきてこれは違和感なく受け入れられているので、私的にはとても評価が高い。