くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

作曲家佐藤勝は実は高校の先輩だった

 

最近の朝ドラエールが日本の音楽界の話なのでどうしても日本の音楽関係の著名人を調べる傾向に。

実は私の出身校である高校は意外と著名な音楽人を輩出している。

その代表的な人が佐藤勝

日本を代表する作曲家で、特に黒澤明の映画音楽は彼とのコラボが多かった気がする。

実は、高校2年の時に佐藤勝自身が母校で開校記念講話なるものに出席していただいた。

全校生徒を前におよそ2時間ほどの講話をしてくれるのだが。

たまたまその時に吹奏楽部に在籍していた私はわざわざ吹奏楽部の指導に来てくれた佐藤勝氏から直接指導を受けた記憶がある。

その時の思い出などを振り返ってみたい。

目次

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私が拝見した時はこんな感じのビジュアル

無印良品

お名前.com

留萌市出身の音楽家

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かなりの著名人である事は高校時代に知ることに

高校時代、彼が作曲した若者たちはみんなギターで弾いたりしていたと思う。

と同時に様々な音楽会で演奏され歌われていた。

しかし彼の本分は映画音楽とかテレビの大河ドラマの主題曲とかに楽曲を提供すること。

この当時の音楽家では映画のゴジラを作曲した伊福部昭も北海道出身でかなり有名だったと記憶。

当然佐藤勝氏とも親交があったと聞いている。

私の母校では毎年開校記念日の頃に高校出身の著名人を招いて開校記念講話を催す習わしがあった。

私が高校に入った最初の講話は同じ留萌出身の版画家阿部貞夫さん

実はこのときの先輩の講話がとても感動的で16歳の私もずいぶんと感動したものだ。

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プロフィールはかなり若い時のもの 私が見た実物は結構高齢な方

2年目の佐藤勝氏は正直なところあまり話す事は得意でないように思えたが、その時感じたのは音楽にかける情熱の強さ。

音楽学校に入学はしているものの、ピアノなんかは自己流で覚えたと聞いた。

実はその当時の高校にはボロボロのピアノが1台あったのだが、講話の最中、そのピアノで即興で演奏会を開いてくれた

実は楽譜も何も用意しているわけではなく、作曲家本人が耳にした曲を思いつくままに演奏して聞かせてくれると言うもの。

いろんな曲目があったが、当時はやっていたフランシスレイとかバートバカラックとかの曲を軽やかに演奏してみせたのが印象に残る。

音楽にかける熱意は、いろいろ語っていたが特に記憶に残ったのは決して諦めることなくめげることなく取り組み続けること。

その結果、運が開いてきて作曲家としてデビューできたと語っていたね。

開校記念講話と吹奏楽部での講演

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1970年の6月だったと記憶

開校記念講話が終わったのは午後からの3時。

その1時間後くらいから吹奏楽部で練習が始まったのだが、その時にわざわざ来てくれて指導してくれた。

私たちが練習していたのは吹奏楽コンクール用の曲

ドヴォルザークの新世界よりから第4楽章を自由曲として選んでいたが。

その曲について少し指導してもらった。

実は、ドヴォルザークの新世界とか、ベートーベンの運命とかは曲の頭に半拍の休止符が入る。

実はこれ結構大変なことで、この半拍休むがなかなか表現しにくくて。

指揮者はそのことを意識しつつタクトを振るのだが。

佐藤勝氏のタクトで曲が始まったら、誰もついていけず演奏が始まらなかったことが。

指揮者としても活躍していた佐藤氏。

かなり前衛的なタクトだったと子供ながらに感じた記憶が。

もうほとんど記憶には残っていないが、音楽にかける情熱をずいぶんと賞賛していただいたと記憶。

古い記憶でたどってみてもなかなか思い出すことも少ないが、とにかくかっこいい人だったなと。

ネクタイとかかなりおしゃれなものをしていたような記憶が。

ちなみにこの講話の後の作品だと幸せの黄色いハンカチのテーマ音楽を担当していた。

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1977年の作品 スターウォーズと同じ年の封切りだね

こうやって振り返ってみるとずいぶん懐かしい気がする。

ちなみに作曲家佐藤勝氏のご実家は、留萌市内のお寿司屋さんだと思った。

ずいぶん年月が経ってから食べに行ったことが。

作曲家とよく似た方の親方が寿司を握っていたと記憶する。

多分弟さんでは無いような、お兄さんだったと思ったが。

この当時の佐藤勝氏はまだ還暦前だったと記憶。

その後もテレビで何かにつけて見かけた記憶がある。

佐藤氏は留萌出身の音楽家だが、実は留萌は他にも何人かの音楽家を輩出している。

あの森田公一とかダン池田とか私の世代にも近い人たちだが、聞くところによると開校記念講話に呼ばれていたらしい。

音楽には随分と縁のある土地柄だったようだ。

作曲家佐藤勝

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黒澤明の信頼も厚かったと聞いている

作曲家としての佐藤勝は音楽単独のパフォーマンスよりも映画であったりテレビのドラマだったりのコラボを重要視した作曲家だった。

特に映画の中で音楽の果たす役割をとても重要なものと認識していて、あの黒澤明監督などもそういったポリシーを高く評価していたと聞く。

必要があれば監督の求めに応じて自分自身の曲を短縮したりすることにも快く応じていたようだ。

音楽をただ単に添え物としては考えてなく、他のジャンルと合わせることによって相乗効果で芸術的な価値が高まるとそう思っていたようだ。

確かに、欧米の様々な映画音楽を見ていると、印象に残る曲がとても多い気がする。

オリジナルではなくクラシック音楽を採用しているものも多々あるが、音楽を新たに構成しているものにも良い作品はたくさん。

今回の朝ドラを見ていて、日本の音楽界も世界に誇れるものがあると改めて実感する。

何よりも私にとってはとても懐かしい思い出なので。

過去のことを思い出すたびにそういえばと思いつつアップすることに。