くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

エール 再び音楽家であるために

 

既に折り返し地点を過ぎたエールの物語は、そのストーリーが佳境を迎えている

言わずと知れたモデル古関裕而さんの人生をそのまま踏襲する形で描かれているが、絶対に避けては通れないのが戦争体験。

戦前、戦中、戦後と時代の波に翻弄され続けた主人公は様々な苦難と立ち向かい人生を切り開いてきた。

その物語は題名が示す通り、音楽で人に元気を与え希望を与えること

今週の物語で描かれるのは戦後、戦争中の大活躍に激しい罪悪感を抱き、そこから再び立ち直っていくまでのエピソードが描かれた。

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戦争中の大活躍が仇になって帰ってくる

目次

音楽を憎む心

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藤堂先生を始め大勢の知り合いが亡くなった

戦争中、軍歌の覇王として大活躍をしていた祐一君は終戦と同時にその存在価値を頭から否定された。

あれだけもてはやされていたが、時代が変われば、逆にそれは後ろ指をさされるような苦しい状況に。

家にいても近所に通りすがる人の心ない言葉がどんどん耳に入ってくる。

何よりも自分自身のせいで大勢の若者が戦場に向かい、そして命を落としてしまったと受け止める激しい罪悪感

作曲家として再び楽譜に向かうことなど決して許されることではないと。

特に大きく堪えたのは、藤堂先生と音ちゃんの音楽教室に通っていた弘哉君の死。

その事実に直面すると自分のやってきたことをどうしても許すことができない。

戦後およそ2年間、全く音楽から遠ざかる日々が続いた。

智彦物語

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吟ちゃんの夫智彦は戦後の生活に苦労を重ねていた

無事生きて帰って来れたが、就職先を見つけることができずに悩みを深める智彦さん。

戦争中の輝かしい経歴と彼自身のプライドは戦争が終わった今、無用の長物になったばかりか、逆に存在価値をほとんど失わせる結果に。

捨て身の思いで飛び込んだラーメン屋の下働き。

そんな中浮浪児ケンと出会うことで、彼が本来持つ真面目なところ、人の痛みを察する優しい心を少しずつ取り戻せることに。

個人的に彼のストーリーにとても注目していた。

明らかに彼も戦争犠牲者と言っていい。

生きて帰ってきたが故に世間から激しい非難を浴びせられることにもなっていた。

ほとんど生きる意味を失っていたところ、彼にはかつての仲間から仕事に誘われる幸運が舞い込んだ。

ちょっと出来過ぎの話じゃないかと思わないでもないが、しかし、これぐらいの幸せがあってもこの厳しい物語の中では許してほしいと思ってしまったね。

再び巡ってくる作曲依頼

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ラジオドラマの音楽を依頼される

かつて大活躍していた作曲家としての活動は、その作曲センスをきちんと評価してくれる人もそれなりにいたようだ。

放送作家池田二郎さん

彼のたっての依頼でもう一度楽譜と向き合うことになった祐一君。

しかし、戦争中から戦後にかけて味わった過酷な経験は心の中にトラウマとなって刻まれたままで、そこを踏み越えて先へ進むには、半端でない苦労を必要とした。

エールの今までの物語風に言えば、祐一君は一旦は音楽を捨てようとしたが、音楽が彼を捨てなかった。

彼に必要なアイテムと、そして何よりも逆境に立ち向かう闘争心を再び供えさせて、また作曲家として活躍できるチャンスを目の前に示したのだ。

自分なりに取材をし、現実を厳しく見つめることで作曲のヒントを得た祐一君。

ラジオドラマの音楽は無事に作曲。

長崎原爆にたむける思い

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長崎の鐘の作者 永田医師との出会い

ラジオドラマが大成功を収める中、再び巡ってきた作曲依頼。

それは長崎原爆の手記である長崎の鐘を映画化するにあたり主題歌を作曲してほしいとの事。

一抹の不安を抱えながらも長崎まで赴いて作者の永田医師に面会する。

このエピソードはエールの中でいくつかある絶対に外せない物語の中でもほぼトップスリーに入るだろう。

永田医師を演じていた吉岡秀隆

ネットで様々なニュースを見聞きするが、彼の演技は大絶賛の域を超えている。

白血病で寝たきりの生活を余儀なくされている病人の役柄を圧倒的な存在感で演じきった。

しっかりとしたモデルもいた話なので、演じた本人もそのモデルをかなり意識していたような気がする。

彼から与えられたメッセージは、戦後の作曲家古山祐一が再び音楽活動に邁進するためのかけがえのない経験になったようだ。

エールは朝ドラの枠にとどまりながら、決して妥協しない印象を強く与えた物語。

このエピソードを軽く流してしまえばエールそのものの値打ちを著しく下げることになったかもしれない。

様々な賛否両論、また撮影の厳しい制約のある中戦争中のエピソードをまるで映画のようなシリアスさで描ききったエールは賞賛に値する。

それは物語を見ていて私自身が大いに納得できたから。

希望の歌はすなわち鎮魂歌でもあった

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再び音楽の道に戻ることができた

音楽に対する姿勢を根本から覆すことになったこのエピソード。

彼は大勢の希望を持っている人たちを応援するために作曲し続ける。

今までは、戦争中の贖罪の意味を込めて作曲していたものが、その目的意識をがらりと変えた。

自分の世界の中で物語を帰結させようとしてもうまくはいかない。

どん底まで落ちたときにそこに地面があってその上に自分の足でしっかり立つことで周りが見えて、道が開ける。

こうして映画の主題歌長崎の鐘は完成する。

そしてこの歌は応援歌の形をとっているが実際は原爆で亡くなられた方、被災された方への鎮魂歌となった。

今でも歌い継がれる昭和歌謡としてあちこちで見かけることになる。


長崎の鐘 「作曲 古関裕而」  昭和24年 (唄 藤山一郎)

昭和24年のオリジナルの音源があったので。

エールの中で歌っていた歌手柿澤勇人。

彼が藤山一郎がモデルとされる山藤太郎。

バリバリのミュージカル俳優だが、わざわざこの音源に似せて歌い方をつくりなおしたと聞いた。

藤山一郎の娘さんから若い頃の父の歌い方にそっくりと批評してもらったらしい。

本人にとっては何にも変えがたい励ましになっただろうか。

朝ドラエールは出演する俳優もスタッフたちも驚きのこだわりの中、あと2ヶ月がんばり続けることになる。