上を向いて歩こうは1963年度のヒット曲。
もう半世紀以上も前の曲だけど、日本の曲として初めてアメリカのヒットチャート1位を獲得した名曲中の名曲。
この曲を生み出した3人はもうすでにご存命ではない。
実は何気なく見ていたテレビの特集番組がこの上を向いて歩こうにまつわるエピソード。
実は坂本九のあまりにも有名なこの曲は最初に曲ありきではなかったのだ。
最初に坂本九のキャラクターがあってから。
彼にふさわしい曲を作る目的で出来上がったのが
上を向いて歩こう。
半世紀を過ぎた今でも歌い継がれるこの曲の魅力とは一体?
目次
1963年発表 坂本九 19歳
日本でも3ヶ月で30万枚を売り上げた大ヒット作品だけれど、この曲の凄いところは全米でトータル1300万枚を売り上げた知名度。
とにかく大勢の人に愛され続けた。
それは理屈抜きに受け入れられたのにはそれなりの理由があるが、まずはアメリカでヒットしたその音を聞いてみたい。
上を向いて歩こう - 'Sukiyaki' - Kyu Sakamoto (坂本 九) 1961.avi
この頃、はやっていたロカビリーの後打ちのリズムで曲は始まっている。
曲のアクセントが一拍目ではなく2拍目にそのポイントを置いて曲は始まるのだが、サビの部分で一拍目にアクセントを戻しておおらかに広がっていく。
そしてこの曲の隠された秘密は歌詞の中にある。
この詩の中には1人称の主語が存在しない。
つまり聞く人は誰が聞いても自分のこととして受け止められるように配慮されている。
どうしようもなく悲しく辛くなったときに励ましてくれる応援歌。
坂本九がそのキャラクターとして周りの人が見ていた少しセンチメンタルなマインドを表現していたのかも。
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中村八大の楽譜とは違った独自の歌い方
最初に歌手坂本九がいたのだ。
その彼にふさわしい曲をで作られたのが上を向いて歩こう
最初に曲作りを依頼された中村八大は歌詞を誰に作らせようか問われたときに迷わず永六輔の名前を挙げたようだ。
既に放送作家として売れっ子になっていた永六輔。
作曲家中村八大も当時売れっ子の音楽家だった。
その彼ら2人がタッグを組んで作ったのがこの曲になる。
作詞はともかく作曲したオリジナルの楽譜は実は坂本九の歌い方には合っていない。
オリジナルの曲は1拍目にアクセントのあるごく普通の曲に仕上がっていた。
最初に曲を披露するときに何度か坂本九を交えてリハーサルをして、今我々が知る歌い方に変更したものと思われる。
実は裏話で、この最初の歌声を聴いたときに作曲家中村八大はこれは僕の曲じゃないよな!
そう言ったと聞いた。
つまり歌手坂本九のあの独特の歌い方は曲を作った人たちは想定できていなかったから。
当時のマネージャー曰く、とにかく九ちゃんは音が取れないの。
正直言ってね、楽譜通りきちんと歌えないんだよね。
そういったこともあってあー言った歌い方にしかならなかったみたい。
確かにその辺の話も聞いたことが。
もともとプレスリーに憧れていた坂本九はあのロカビリーのフェイクをしたりする歌声に憧れていて、ノリで歌を歌うタイプの歌手だった。
きちんと楽譜通りのことをこなすような音楽家ではなかったのだ。
大事なのはノリ。
ある意味、偶然生まれた曲なのかもしれない。
全米ヒットチャート1位に隠された裏事情
アメリカで発売されたレコードジャケットは、上を向いて歩こうではなく
SUKIYAKI
しかも歌手の名前が坂本九ではなく坂木九。
おそらく坂本の本の字を書き写すときに縦の棒の下側にある短い横線を見落としたものと思われる。
当時のアメリカも一皮むけばそんなもんなのかなと思ってしまう。
しかし感心するのはその音源を坂本九そのものから持ってきていること。
決して自分たち流に自己流にリメイクしていたわけではなかった。
それというのも大きな理由がある。
この曲の人気度。
ラジオで流したところ驚くほどの反響があったと聞いている。
特に日系人から絶大な賞賛を得ていたのだ。
当時日系人は第二次世界大戦が終わった後ぐらいでまだずいぶん苦労をしていた。
その彼らへの応援歌として受け止められた。ー
そしてそれは日系人だけに限らなかったところがこの曲の凄いところ。
ラジオ局には問い合わせの電話が鳴り止まなかったと聞く。
この曲を歌っているのは誰なんだ?
やがて坂本九本人はアメリカにまで招かれて曲を披露することになる。
英語なんか全く話せない状況でも、身振り手振りだけでおおらかに観客を引きつけたと聞いている。
番組の中でもその辺のいきさつが詳しく語られていた。
時代を経てもリメイクされ続ける
この曲を愛する人たちは世界中にいるが、特にプロのミュージシャンたちは何かにつけてこの曲をリメイクしているようだ。
大好きなこの曲を自分自身の応援歌として蘇らせたと聞く。
日本へ来たときのエピソードが語られていた憧れの坂本九と初めて対面した時感動のあまり号泣したのだと。
これほど大勢の人に愛された歌手愛された曲もそんなにはないはず。
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苦しくてもがんばっている人への応援歌
上を向いて歩こうは図らずもアメリカ日系人の社会で絶賛された過去がある。
この曲の持つ優しさ、そしていたわる心そういったものは万人に共通なのかも。
この曲が主語を用いない歌詞で書かれていることも大きな理由になったのかもしれない。
誰にとっても1人称で受け入れられるからだ。
坂本九は誰もが知っている通り1985年の日航機の御巣鷹山のジャンボジェット墜落の事故に巻き込まれて亡くなっている。
彼の遺体は歯形で本人確認しなければならないほど損傷していたと聞いた。
突然の災いとは言え、衝撃的な事件であったことには違いない。
彼の妻由紀子は、しばらくの間は子供たちと夫の話をすることすらはばかれたと聞く。
しかし夫亡き後長く生きていくうちに、彼女にとっての応援歌も上を向いて歩こうだったと。
世の中は今コロナウィルス騒動でごった返している。
1部の人たちは経済活動を止められていて、明日の食べ物にも困ってしまうような厳しい状況だと聞いている。
社会を担っている人たちが降ってわいた突然の災難でかつてないくらい追い詰められているのだ。
そのことを考えたときにどうやって励ましたら良いのだろうかと。
この何十年間かで日本は何度もかつてないくらいのダメージを受けてきた。
阪神淡路大震災や東北大震災。そして熊本の地震など。
大勢の仲間たちが死に、生活の基盤を奪われて危機的な状況に陥ったとき、彼らが愛唱歌として歌ったのが上を向いて歩こうだったと聞く。
今回のコロナ騒動でも同じ曲を聞きたいと思ったのは私だけでは無いはず。
私たち日本人には先輩から受け継いだ未来へ語り告げる応援歌があるのだ。
そのことを心に言い聞かせてこの難局を乗り切りたいもの。