くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

長崎原爆投下に思う キリスト教徒の上に炸裂したファットマン

 

奇しくも今日8月9日は長崎原爆の日

1945年8月9日、B−29から投下されたインプロージョンタイプの原爆ファットマンは長崎上空で爆発、およそ70,000人を超える犠牲者を出した。

広島の原爆からわずか3日後のこと。

この長崎の原爆投下を受けて、日本は終戦のための手続きを進めることになる。

そして8月15日の玉音放送で終戦を迎えることに。

調べてみて分かったことだが長崎の原爆投下はあまりにも理不尽なことが多すぎる

もうすでに何度も言われていることだがもう一度振り返ってみる。

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浦上天主堂 爆心地からおよそ500メートルの距離

目次

今日の長崎

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長崎ではお馴染みの光景

広島ほど注目はされていないが、長崎の原爆の方が人類の過ちとしてはとても大きな意味を持つと思う。

それは偶然から生まれたのか、あるいは作為的に行われたのかわからないが、最初の原爆投下地点が長崎ではなかったことが理由の1つ。

そしてこの長崎にはキリスト教の伝統ある教会が存在している。

つまり日本のキリスト教の聖地と言える場所。

このキリスト教徒がたくさん暮らす中で原爆投下が行われたのだ。

実はこのときの爆撃に当たったB−29は、最初の目的地小倉に行ってみたところが前日の爆撃の余波で雲が大量にあって投下場所を目視で確認できなかったのだ。

何度か旋回して場所を確認しようとしたがうまくいかずに、候補地の移動をすることに。

この時、侵入のために3度旋回をしたが、条件はより厳しくなったと報告。

その結果第二候補地が長崎

そこでわずかだが雲の隙間を発見しそこから投下したと言われる。

実際の目的地よりも若干北側にずれていたとも報告されている。

キリスト教徒の掟 同教徒は殺さない

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黒焦げの少年あまりに有名な写真

キリスト教徒の中では同じ宗教を信じるものを殺してはいけない決まりがあるのだそう。

長崎の原爆が今日までクローズアップされて語り継がれるのはここ

キリスト教徒がキリスト教徒に対して行った大量殺戮だから。

これは決して許されることのない過ちと聞いている。

もともとキリスト教を始めとするヨーロッパの宗教は戦争がつきものだった。

歴史的に見ても十字軍が聖地エルサレムをイスラム教徒から奪還するために、何度も出兵している。

このときの戦争も大勢の人たちが犠牲になって悲惨極まりないものだった。

私の思うところではキリスト教徒もイスラム教徒も同じアダムとイブの末裔でエイブラハムの2人の息子のどちらかの末裔である。

キリスト教もイスラム教も兄弟分と言って良いのだが、兄弟喧嘩は未だに止まらない。

彼らは残念ながら自分たちの正当性を維持するために大量殺人を行う。

言葉は乱暴かもしれないが事実だろう。

原爆投下もその延長上にあった行為。

長崎は最初の投下予定地ではなかった

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たまたま地下にいて助かったようだ

すでに小倉での爆撃に失敗したB−29ボックスカーは目的地を長崎に変更。

ここでなんとしても作戦を敢行しなければならなかったようだ。

調べてみて分かったことだが広島に原爆を落としたB−29エノラゲイはこの時天候観測の目的で長崎上空を始めとして偵察行為をしていた。

これらの機体は皆サイパンのテニアン島から出発している。

まっすぐ日本に向かって飛んでいって富士山が見えたところで左折をする。

そうすれば広島九州まで一直線。

ちなみに東京方面へ向かうときには富士山を右折。

驚くほどわかりやすい航路と言えるだろう。

このときの機体は実は燃料ポンプにトラブルがあったらしく、長時間の飛行には耐えられない問題を抱えていた。

小倉での爆撃に失敗したので大幅に燃料を消費。

長崎で作戦行動を行った後は、テニアンまで戻るだけの燃料が足りなくなって、急遽沖縄に緊急着陸しているのだ。

実はこの終戦間近の頃は、沖縄はすでにアメリカの手に落ちていた

今更 振り返ってみてどうなるものでもないが、いくつかの偶然とその時の様々な思惑が重なって長崎は2番目の原爆投下の目標となってしまった。

大量殺戮兵器はここからさらに加速

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投下直前に組み立てるファットマン 重さはおよそ4t強

原爆を投下直前に組み立てるのには理由がある。

これは起爆に大量の電源を必要とするらしいので、あらかじめセットを終えてしまうとバッテリーが劣化する可能性が高いのだそう。

それと組み上がった原爆の誤爆を極力避けるため。

そのために直前に組み立てることとなる。

この当時のものはかなり図体が大きく、重さは4トンを超える。

爆縮レンズを用いたプルトニウムタイプの原爆

広島に落としたものはウラン235を使用。

どちらもその製造方法は最高軍事機密になるが、今ではインターネットで軽々調べられる。

機械工学的な事はともかくその仕組み等は私は中学生の頃に全て理解できていた。

原爆の要となるのは燃料。

主に使うのはウラン235かプルトニウム。

ちなみにどちらも生成して作り出さねばならない。

ウラン235が生成に莫大な労力が必要なのに対して、プルトニウムはウラン235の生成過程で普通に生産される。

これは中学生レベルでもわかる物理の問題だが、これだけの重たい元素になると元素そのものの不安定要素が大きく関わってくる。

広島型のリトルボーイと呼ばれる原爆は2基作られたが、その後採用される事はなかった。

長崎型はファットマンと呼ばれるが、戦争が終わらなければ第3第4を予定するほど製造に拍車がかかっていた。

戦争が終わった後も製造は継続して、この長崎タイプのものは1949年までに120発作られて保有された。

これらの原爆が何を目的に作られたのか、それは言わずと知れた大量殺人。

この圧倒的な破壊力をどうしても保持したくて、そして保持すれば使ってみたくなる

原爆投下で大勢の人が亡くなり、原爆症で大勢の人が苦しむ事は計算の内にはなかったようだ。

今更これらのことを過ちだと叫んでみたところで犠牲になられた方のお弔いになるのだろうか。

とにかく、お弔いのために真心を捧げる、

そして何度も省みてどんなことをやってきたのかを語り継ぐ責任は絶対に消えない