くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

76年目のヒロシマに思う

 

今日は誰もが知る通り、広島の原爆記念日。

76年前8月6日午前8時15分、人類史上初めて無抵抗の一般市民に向けて原爆が投下された。

すでに76年も経ってしまった感は否めないが、原爆の記念式典をみるにつけ、自分の中に湧き上がる不条理への想いを消し去ることができない。

様々な意見があっていまだに議論はあちこちで聞こえてくるが、誰が何のために誰を目標にこの蛮行がなされたのか、そのことだけははっきりさせておくべきだろう。

そしてその後、歴史がどのように移り変わったのか。

私たちが学んできた歴史が果たしてどれほどの値打ちを持っているのか、言い方を変えればどれほど真実を学んできたのか検証するための行為は未だ止めるに至らず。

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世界遺産原爆ドーム 被爆直後

目次

お名前.com

マンハッタン計画の果て

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何年か前ローマ教皇が世界中にこの写真を配信 背中の子供はなくなった弟。火葬してもらう順番を待っているらしい

最初にマンハッタン計画で原爆製造を進言したのは科学者たち。

アメリカに亡命していたアインシュタインら世界を代表する物理学者たちはドイツが原爆製造を企てていることを敏感に察知。

とにかく先に作らなければこちら側が致命的なダメージを被る可能性があるとの認識から出発。

結論から言えばドイツが原爆製造を成功する事はなかった。

莫大な予算をつけて始まったこの計画は最後に行き着くところまで行ってしまったというのが事実のようだ。

アメリカ中西部のロスアラモス付近にわざわざ科学者技術者を大量に集めて最初の原爆製造に向けて一丸となって動いていたのが事実。

当時作られた原爆は広島に落とされた一発と、長崎に落とされた一発を含む全部で4発。

最初の一発は核実験で使用。

その後、1つを広島に、もう一つは長崎に投下。

1つは次の計画が発表されるまで保留となったのだ。

最初の原爆は広島に落下させたが、実は軍部の当初の第一目標は京都だったと聞いた。

京都は盆地で原爆を爆発させるには最適の地形だったらしいが、計画に別の軍幹部が、京都はいかんとのことで別な都市を選ぶに至ったのが真実らしい。

広島はいい災難だったと言える。

その3日後には長崎に落とされる。

長崎のタイプの原爆が燃料の確保が簡単なゆえにこれ以降の原爆はこのタイプが推奨されることになって、全部で120発作られている。

長崎への投下も実は紆余曲折があって、最初は同じ九州の小倉が予定候補地だった。

しかし、そこは運悪く視界が悪くて原爆投下に適さないと判断。

あちこちウロウロしたあげく結局長崎に投下することになる。

原爆投下は、ある意味偶然の重なりも見えてくる。

運が悪かったでは済まされない過酷な運命を感じざるを得ない。

2種類の原爆ヒロシマとナガサキ

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左ヒロシマ右ナガサキ タイプが違う

左側の細長い原爆はリトルボーイと呼ばれ広島に落とされた一発だけが製造された。 

こちらは燃料生成にとても骨が折れる。

右側はファットマンと呼ばれ、こちらは爆発までにシビアな機械力が必要だが、燃料を割とたやすく得やすいとされる。

 ちなみにこちらの原爆をインプロージョンタイプと呼ぶらしい。

当時の値段で一機あたり5億ドルかかったらしい。

今ならその100倍以上ではなかろうか。

単純な計算だが、100倍と換算すると500億ドル。

およそ5兆円と言うことに。

それを120発 発注した。

日本が、8月15日に降伏したことによって、次々と投下する予定だった原爆の計画は中止になったが。

札幌や新潟、東京横浜なども候補地としてあがっていたと聞いている。

とにかく京都に落とそうとしていたのだ。

場所はどこでもよかったんだろう。

1945年以降の中国の振る舞い

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新疆ウイグル地区で30年以上核実験を行っている

実は中国の最初の核実験は1966年10月16日。

新疆ウイグル地区で 地表で行った。

この年号を見て日付を見て感じる人も多いのでは。

これは奇しくも今東京オリンピックが開かれているが、前回のオリンピックが開催されて1週間後、これ見よがしに行われた核実験。

この当時の中国はオリンピック参加と言えど、金メダルその他めぼしいものは何もなく、かろうじて参加できるかどうかといったレベル。

そんな中アメリカとソ連の向こうを張って核実験を強行した。

よく原爆の犠牲者になったのは広島と長崎の日本人とされるが、実は中国のみならず旧ソ連またアメリカなども核実験を多数行っていたので被爆者は際限なく存在した。

ちなみに中国のこのウイグル地区での核実験は住民に知らせることなく勝手に行われたと聞いている。

つまりここで何十万何百万の人が被爆しているのだ。

彼らは何が起こったかもわからずに被爆したようだ。

中国は歴史的に見ても略奪と搾取で国家が継続してきた。

そのことを思えば周辺のさまざまな部族など、付録のようなものと考えていたのかもしれない。

この当時の中国の指導者は毛沢東。

彼は表にはあまり出てくる事はないが、20世紀を代表する悪人の1人に数え上げてもいいくらい大勢の人たちを殺傷している。

その思想は、間違いなく今も継続しているだろう。

今の彼らの振る舞いを見ればその様子がおのずと理解できるのでは。

しかし、彼ら以前の欧米諸国はそれと同じかそれ以上の悪辣非道なことを繰り返してきた。

私は名前こそ東洋か西洋の違いだけで、彼らが周りの人たちにやってきた事は似たり寄ったりと考える。

未来への提言

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長崎浦上天主堂 今は再建されて全く面影を止めない

ヒロシマを考えるときに、この76年間、散々核兵器廃絶の運動がなされてきたにもかかわらず、全く効果を感じることができない。

それはなぜそうなるのか。 

よくないことだからやめよう

それは掛け声だけで、人間の本質にはその「よくないことをせざるをえないような衝動」が渦巻いている。

掠奪や殺戮は人間の本質として心の中にしっかりと息づいている。

その本質をきちんと認めてそこに働きかける抜本的なアプローチがなければ、掛け声だけどんなに唱えたところで誰もまともには聞く耳持たないのでは。

まず、自分の中には邪な危険な思想があるかもしれないとしっかり認識すること

今のアメリカロシア、中国などの反応を見れば胸の内がどれほどのものなのかすぐにわかるではないか。

自分たちの存在に甘い希望など持ってはならぬ。

大体動物の世界を見るとよくわかるのでは。

弱肉強食こそが命の理論。

人間も同じ動物である以上、同じような振る舞いをする可能性が極めて大きいときちんと認識する必要がある。

そのための啓蒙運動がなんとしても必要なのでは。

運動の最も基本となる部分は過去に起こったことを正しく検証して未来へ紡いでいくこと。

このまま活動が消えてしまうようなことでは同じ過ちを際限なく繰り返すはず。

その認識が大事だろう。

そして、いかに能書きをたくさん並べようとも、犠牲者は決して戻らない。

誰が貧乏くじを引いているのか胸に手を当てて考えるべきではないか。

このままでは全世界の人々が貧乏くじを引くことになりかねないと危惧するから。