麒麟がくるはいよいよ歴史的な事実が語られるところまでやってきた。
それは言わずと知れた比叡山の焼き討ち。
しかし、焼き討ちに至るまでは様々な勢力のせめぎ合いが歴史の裏で暗躍していた事実がある。
特に比叡山の天台座主覚恕は時の帝正親町天皇の実の弟という驚くべき人間関係も明らかに。
兄弟でありながら片や天皇、かたや仏教の総本山とも言われる天台宗の代表。
この兄弟は幼い頃からのわだかまりがあって反目しあっていたようだ。
その兄弟喧嘩とも言うべき争いに周りの武将や将軍家は巻き込まれることに。
織田信長はその争いの真っ只中に飛び込んでいた。
明智光秀はこの頃から少しずつ戦をする武将としての狂気がより際立つように。
目次
正親町天皇と覚恕
この時代の天皇と天台座主が兄弟であることを知っている人はよほどの歴史マニア。
この事実に基づくと物語はよりわかりやすくなる。
織田信長はこの当時イケイケで領土を拡大していたが、そのやり方はあちこちで軋轢を生じた。
その中でも強敵とされたのは朝倉義景と浅井長政の連合軍。
既に実力的に伯仲していた両勢力は、浅井朝倉が比叡山に立てこもってその勢力を味方につけることでこう着状態に。
ここでそれぞれの勢力の和睦を取り持とうとしたのが明智光秀。
しかし、話し合いで片付くほどお互いの心は歩み寄れる状態ではなく、話し合いは平行線で物別れに終わる。
特に天皇と覚恕の反目し合う関係がより戦に拍車をかける状態と推察。
実際はこの当時の天台宗は毎日酒を飲み女色にふけっていたと聞く。
比叡山の僧侶たちは、およそ宗教の修行者とは程遠い存在だったようだ。
それはつまり、当時の都であった京都がすさんでいたことを意味する。
人々は疲弊し、病気や様々な争い事で都自体も荒廃していた。
織田信長 浅井朝倉連合軍そして比叡山
朝倉義景は比叡山と手を結んで立てこもることに。
織田信長とまともにやりやっても勝てないと見るや周りの勢力を取り込んで優位に立とうとする。
織田信長は攻めるに責められず、また京都まで出向いていることもあって自分自身の地元美濃や尾張で争い事が起こると地元に戻らざるを得ない。
結局のところは正親町天皇を担ぎ出して、比叡山と和睦を結ぶことに。
この当時、畿内をめぐる様々な勢力はお互いの腹を探り合いつつ、自らの勢力拡大を画策していた。
気に入らなければ戦をするしかない。
一旦は比叡山に迎合する形で和睦をしてみたものの、やがてその約束は反故にされることになる。
朝倉義景は和睦の話し合いが持たれた後、一乗谷に帰るのだが、その後 信長は比叡山に宣戦布告をすることになる。
その時に真っ先に活躍したのは明智光秀とされている。
決して嫌々やったわけでは無いはず。
様々な思惑があって、それぞれの言い分は自らの正当性を訴えてはいたが。
この当時の宗教団体、天台宗や一向宗は軍備を備えており、戦国大名とほぼ変わらないだけの勢力を保っていた。
織田信長はこれら宗教勢力両方と戦ってきた歴史がある。
物語の中で語られていたが朝倉義景も一向宗の鎮圧にかなり苦労したようだ。
お経を唱えながら戦うやつにはとてもじゃないが勝てん!
これが義景の本音。
一向宗も天台宗もこの当時は戦国武将が避けて通ることのできない大勢力だったのだ。
明智光秀の心中はいかに
本当は争いのない平和な世の中を求めていた明智光秀だが、様々な戦に参加することを余儀なくされると少しずつそのニュアンスが変化していった。
長谷川博己扮する光秀のイメージも番組が始まった頃からは明らかに違ってきている。
より戦に特化した感情表現をするように。
それは今日の物語の中でも狂気に満ちた眼差しが所々で描かれていた。
さすがに比叡山焼き討ちの時は
女子供には手を出すなと命じてはいたが。
実際は、それ以外の者達はすべて根絶やしにするくらいの大殺戮を行っている。
最近の研究で明智光秀が比叡山と折衝をして焼き討ちの被害が最小限になるような配慮をしていたとの推察があるようだが、今日の物語ではどうやら今まで通りの説を踏襲したようだ。
比叡山の主な建物はすべて火を放って丸裸にしたと記録にあるが、その通りの状態に持っていったようだ。
ここは観光で1度だけ訪れたことがあるが、
根本中堂には伝教大師最澄が灯したとされる不滅の法燈が安置されている。
火が途切れることがないように常に油を補充して皆が気をつけていると聞いた。
このことを指して油断大敵と言うそうな。
日本の仏教では天台宗は老舗中の老舗。
昭和天皇の皇后様の弟様が天台座主を務めたこともあったようだ。
最澄は日本の主な仏教徒は比叡山に登って修行をするように朝廷に働きかけたこともある。
鎌倉時代の主な宗派のお祖師たちは皆1度は比叡山に登った経験があるはず。
そのぐらい権威のある宗派とされる。
それにしても、麒麟がくるは驚くほど丁寧に描かれている。
設定では1571年なので本能寺の変の11年前に当たる。
誰もが心配する通り果たして物語が残りの回数で終わるのかどうか。
しかし明智光秀の雰囲気は明らかに変化してきている。
それは光秀の心の中に少しずつ湧き上がってくる狂気が感じられるので。
いよいよ物語は佳境に。