くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

麒麟がくる 信長と光秀の駆け引き

 

麒麟がくるの残りの放送回数が多いに気になるところ。

あと6回ほどになるだろうか。

今日のエピソードは1575年丹波攻略の物語がその前後のいきさつも含めて詳しく語られることに。

そして歴史上、我々が知る登場人物もたくさん。

明智光秀の重臣とされた斉藤利三。

彼が光秀の家来となるまでのいきさつが織田信長や稲葉一鉄などとのやりとりも含めて語られることに。

また、今日からは光秀の次女玉の役柄に芦田愛菜が登場

しかし、描かれた物語の内容から見ると織田信長を中心とした戦国大名達がどれほど戦に明け暮れて、全力で駆け上っていったのかがよく理解できる。

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ついに登場明智玉(芦田愛菜)

目次

三淵藤英 切腹

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三淵藤英は坂本城にて切腹を命ぜられる

坂本城預かりとなっていた三淵藤英は実は織田信長に組したわけではなかった。

彼にとっての主君はどこまでいっても足利義昭。

京都を追放された後も将軍義昭をわが主君として、信長打倒の計画について連絡を取り合っていたのだ。

そのことが信長にばれてしまった。

それ故の信長からのお達しとなった。

切腹を命ずる

ここで命運尽きることに。

光秀が何とかして除名嘆願をさせてくれと訴えるが、本人は厳しくそれを拒否。

痩せても枯れてても武士。

不要な情けは受けたくはない

捨てられた花といえども1度は咲いてみせたと誇りに思っている。

それが最後の言葉となった。

光秀にとってみれば、初めて京都に赴いた時に将軍お側衆の権威と威厳を見せつけられた間柄だった。

やはり、武士としての心意気は惨めに生きながらえることをよしとしなかったのだ。

斉藤利三をめぐる思惑

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斎藤利三 春日局の父親でもある

斎藤利三はもともとは稲葉一鉄の家臣。

しかし、自分の主君と馬をめぐるいざこざがあってついに自分の主君を見限ることになってしまった。

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稲葉一鉄 風見鶏のように力のある主君を選び続けてきた。

自分の主君を見限り、わざわざ明智光秀を選んで坂本城までやってきた。

事情を聞いた光秀は、本来ならば決して応じることをしてはいけないのだが、利三の話を聞いてみると納得できる部分があって、自分の家来にすることを決心する。

しかしそれは織田家の家臣の中で新たな火種や抗争を生むことにつながりかねない。

案の定 信長は直ちに光秀を岐阜城に呼び寄せる。

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利三を稲葉に返せ

信長にとってみれば稲葉一鉄は機内地方をよくまとめてくれているのでそれなりの功績がある武将と判断していた。

特に美濃国では斎藤道三や土岐頼芸の時代からの古参の重臣で、部下といえどもその機嫌を損ねることなどは極力したくないと思っている。

信長に意見ができるのは光秀くらいなものか? 丹波攻略命令

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向かうところ敵なしのように見えるが、光秀の意見は貴重

信長の命令に対して、真っ向から反抗する光秀。

たいていの武将ならば、1も2もなく従うしかなかろうに。

斉藤利三をもし稲葉一鉄に返してしまったならば、おそらく切腹させられる。

信長自身の名声にも傷がつく事態になりかねないのでそれだけは避けたいと、光秀らしい理路整然とした説明をまくしたてるのだ。

光秀のもっともな言い分を聞いて、さすがに自分の意見を押し通すことができなかった信長。

しぶしぶ申し入れを納得せざるを得なかった。

そして、稲葉には儂から説明しておく

そのかわり、丹波攻略を命じたい

おぬしならできるだろう

これはある意味、交換条件のようなもの。

ちなみにこの当時の丹波地方は反信長勢力で埋め尽くされていたと言っていいだろう。

ここを攻略する事は信長にとっても悲願だったと言える。

はっきり言って一筋縄で行くようなところではないのだ。

光秀といえどもここは長い戦を覚悟しなければならなかった。

朝廷との関わり合い

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正親町天皇(坂東玉三郎)の存在感は計り知れない

このときの天皇は力をつけてきた信長を重く用いる傾向にあった。

また信長自身も直接天皇と越権することができる位を賜っていたことがあって、何かにつけて御所に参上することとなっていた。

そこでは貴族たちとの付き合いも多くなる。

その付き合いを冷ややかな目で見ていたのが正親町天皇。

信長の心をくすぐるような言葉で虜にしていたかと思えば、決して信長をよく思っていなかったのも事実。

所詮武士などは野蛮な生き物と考えていたのかもしれない。

信長が世の中を平定するために努力していることを盛んに持ち上げておきながら、片や信長の敵対勢力にもおべんちゃらを振るうようなことも平気で行っていた。

丹波攻略に先駆けて一旦その国の中に入って事情を探ろうとする光秀。

話し合いをしようとあちこちに手を回すが、帰ってくる答えはどれもみな厳しいものばかり。

まず、話し合いなどする前に戦しかないと。

要するに、話し合いが通じるような相手ではないよと。

1575年、ついに光秀は軍勢を率いて丹波攻略に乗り出すのだ。

しかし、反信長勢力の抵抗は相当な厳しさ。

戦いは長丁場が予想された。

歴史的には1575年から1579年まで戦が続いたとされている。

また、比叡山の時は女子供には手をかけてはならぬと命令していたが、丹波攻略に関しては全員なで切りにせよとの命令も下していたらしい。

麒麟がくるではどのような描かれ方をするのか、とにかく本能寺の変まではもうあといくらもない。

そして予告編でほんのわずか描かれていたが、多分奥様の煕子さんが亡くなるはずである。

このわずか数年の間に光秀の活躍は頂点に達するが、それは自分自身の大切なものをいくつも犠牲にしての上に成立していたのだ