くわちゃんの独り言

音楽や映画が大好きな爺さん。長年の経験から知りえたことを発信します。

調べてみた 渋沢栄一ってこんな人

今日から新しい大河ドラマ青天を衝けが始まる。 

もうすでに何年も前からこのドラマのあらましは知っていたが、

今改めて主人公となる渋沢栄一について調べてみることに。

幕末から明治維新、その後の昭和に至るまで日本の発展の礎となった人であることには間違いない。

かつて何十年も前に彼の本を読んだことがある。

それは孔子の論語について語っていた随筆のようなもの。

彼の人となりが伺い知れる優れた内容だったと私自身もまだ若造だったけれど感心した記憶が。

しかし、調べれば調べるほど彼の業績の凄さを思い知らされる。

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一橋家お抱えのお武家さん

目次

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生い立ち 

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ドラマのメインタイトル

今の埼玉県深谷市の出身と聞いている。

彼は当時の呼び名で血洗島の出身

ご実家はこの地方の名主で養蚕業を始め藍染など手広く商売も。

若い頃から家行を手伝いつつ、親戚一同に囲まれながら青少年時代を過ごしたようだ。

ちょうど幕末の頃、江戸へ出て活躍し始めるのだが、調べてみると周りから様々な人の援助を受けて路頭に迷うことなく活躍する場を与えられた。

小さい頃から本を読むことをしつけられており、家は裕福だったが、渋沢自身も事業の手助けとして様々な商いの基本を学んでいたようだ。

また、地元の剣道道場で神道無念流を学び、後に神田お玉が池で北辰一刀流を学ぶことに。

この時に当時の勤王の志士たちと交流を深め、尊王攘夷の思想に目覚めていったようだ。

かなり過激な思想の持ち主だったと見えて、いっとき不祥事を起こそうになるのだが、親戚から慰留され、その後京都に出てのちの将軍となる一橋慶喜の門下で働くことに。

つまり、最初は幕府の要職についた。

新選組との深い関わり

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新選組隊長近藤勇と沖田総司の可能性

当時の京都の見廻り組新選組の面々とも親交が深かったと記録に残っている。 

近藤勇、土方歳三、沖田総司や永倉新八など知り合いだったようだ。

また、幕府の名代としてフランスで行われたパリ万国博覧会の随行員として選ばれた

その時に外国語に目覚め、またパリにて資本主義に関わる株式制度など様々な最新の知識を学ぶこととなり、当時は幕府側の人間ではありながら、最新の思想や制度などを取り入れる立場にあった。

日本の資本主義の礎を築いた

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晩年の渋沢栄一

明治維新となって、政府から日本への帰還命令が下り、日本へ戻った後、静岡県に隠居していた元将軍の 徳川慶喜に謁見し、これからは自分自身の道を歩むようにとさとされたようだ。

渋沢栄一の優れたところは、決して私利私欲に走ることなく、大勢の利益を優先するところにあった。しかも行動にあたっては最新鋭の考え方やシステムなどを遺憾なく取り入れていた。

この渋沢の持ち味は大勢の人たちの賞賛するところであり、幕府側の人間でいながら大隈重信の推薦で明治政府の大蔵省に入省しているのである。

数多くの業績の中で、特に日本の銀行の出発に尽力。

第一銀行、つまり今のみずほ銀行であるが渋沢の創業。また渋沢の凄いところは、自分自身の利益を求めていない故に、他行の発展にも大いに貢献している。

また、銀行だけにかかわらず主な産業の最初の計画には必ずと言っていいほど彼の名前が出てくる。

例えば製紙業、倉庫業、運送会社、製粉業、これはと思う産業は全て渋沢が関わっている

またその影響力は、産業だけに関わらない。

大学の設立、病院の設立といった国民生活になくてはならない重要な分野においても彼の先進的な考え方は遺憾なく生かされていた。

調べてみてわかったことだが

過去には2度ほどノーベル平和賞の候補にもなっている

それは外国との関わりにおいて、特に対アジアへの彼の姿勢が大きく評価されたもの。

これだけの業績がありながらも、今まで紙幣には採用されてこなかった。

当初はヒゲが生えていないからとか様々な理由付けで外されていたらしいのだが。

少なくとも業績のみに焦点を当てるならば、伊藤博文や福沢諭吉などをはるかに超える存在

今回の採用も満を持しての感がある。

 10,000円札の肖像画(2024年より)

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全体の見本

新しい札の見本が発表になったようだ。今まで採用されなかったのが不思議なぐらいの有名人なのにね。

渋沢栄一の本当の値打ちは何かを考えたとき、明治期のほかの経済人は今の日本の経済のけん引役である人たちがたくさん輩出しているが、彼らは皆、自分たちの財閥を発展させていた。

例えば三井、住友、などであろう。

しかし、渋沢財閥は存在しない。

株式制度など多くの近代的な手法を広めていながら、渋沢自身は自分で財閥を所有することをよしとしなかった。

渋沢が目指していたのは多くの人たちの利益、つまり公益。

渋沢家が保有する株式はどのような事業に対してもごくわずかしかなかったようだ。

渋沢の影響力、説得力によってたくさんのお金は集まっただろうが、それによって彼自身が事業自体をうんぬんすることはしなかった。

あくまでも関わった人たちが、それぞれが納得できる形で参画できるようなことを画策していた。

日本の福祉事業の草分け

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全社協役員室に置かれた胸像

意外と知られていないことだが、

日本の福祉を考えたときにどこの市町村にもある社会福祉協議会

ここは役所とは別に設立された機関であるが、渋沢栄一の発案。

明治41年に創設された中央慈善協会がそれ

世の中が貧しい人で溢れ帰ったら国は滅びてしまう。

生活困窮者をきちんと救済していくことこそが国の発展の礎になると確信していたのだ。

彼は経済活動ばかりが注目されがちだが、実際は平等博愛といった慈善活動を熱心に行った

赤十字社や東京養育院など様々な部署の設立にも関わっている。

特にこれらの組織の運営にあたって、決して税金からお金を投入しようとせず、人々の寄付を募ることを真っ先に行ったことでも知られている。

(この当時、慈善事業に公金支出を訴えたところ 議会などから激しく反対された経緯がある) 

役所があてにならなければ、自ら訴えて出て世の中全体で支えるのだと、渋沢は考えた。

日本の社会福祉事業のまさに草分け。

明治維新の功労者はたくさんいるが、その実績や精神から見ても渋沢はダントツでナンバーワンと言える。

社会的弱者と呼ばれる人がきちんと守られなければならないと世の中に知らしめた人。

まとめ

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この本はいちど読んだことがある

渋沢栄一は文化人としても一流。

こちらの本はかつて私が読んだもの。孔子の論語を引用している内容である。 

この本は、渋沢栄一が、幕末から明治にかけての様々な人との関わりにおいて本人の見解を述べたものである。

今ちらっと読み返してみても、ある意味暴露本と言える。

幕末から明治にかけて活躍した様々な著名人が出てくるがその人となりが実に新鮮に浮かび上がってくるのである。

本の内容は渋沢の1人称で書かれてはいるのだが、手前味噌な部分が驚くほど少ないとも言える。

今読み返してみてもかなりの値打ちのある本。

考え方に共感できる部分が多いのだ。

財閥の創業者であれば立身出世物語で終わってしまうのだが、この本の内容は全く違う。

自分自身の思いを綴っておきながら、世の中の発展のための啓蒙書の形をとっている。

渋沢栄一は近代日本の礎を築いた大恩人であろう。

ひょっとしたら、今でも彼の思想や先進性が通用する。

そう思いたくなる偉人である。