青天を衝けは明治14年から明治15年にかけて描かれた。
明治政府はやっとその力を発揮し始めようとしていたが、未だ国全体を完全に掌握することにはなっていなかった。
渋沢栄一は、起業家としてはもちろん、社会福祉の仕事も力を入れていて、そのどちらもがかけてはならない車の両輪のごとく、運営しなければの思いに駆られて日々努力を続けていたのだが。
渋沢家では長女うたが結婚するおめでたも。
民間でひたすら努力を重ね、荒波に揉まれる栄一は家庭的には恵まれているようにも見えた。
そんな中、突然の悲劇が渋沢家を襲う。
渋沢栄一の妻千代はコレラに罹患する。
明治初頭、日本中で流行ったコレラは多くの人が犠牲になったことでもよく知られる。
物語は史実の通り、千代がコレラで亡くなることに。
目次
老獪岩崎弥太郎とこの時代の政局
岩崎弥太郎は経営者としては即断即決でトップダウン方式の典型的なワンマン社長。
その速さと、迅速な対応は人々が話し合いで様々な物事を決めることに比べれば圧倒的な戦力を発揮しただろう。
渋沢栄一達は岩崎弥太郎の横暴を防ぐべく新たな会社を立ち上げるが、簡単に潰されてしまう。
40代に差し掛かった岩崎弥太郎の実力は当時の日本の経済人の誰が立ち向かっても向かうところ敵なしだったかもしれない。
その彼が、政府と結託して自分が日本を引っ張っていくべくリーダーシップを発揮し続けた。
対する渋沢栄一は、合本による資本主義のオーソドックスなスタイルを曲げようとはしなかった。
実際問題として、岩崎弥太郎の資本力には勝てない面もあっただろう。
みんなで力を合わせて立ち向かわなければその牙城を崩すことにはならなかったのだ。
うたちゃん結婚
渋沢うたちゃんは独立精神旺盛な両親に育てられたせいもあっただろう、自分自身の結婚相手に妥協する事はなかったと言える。
18歳になった彼女に縁談が舞い込んできた。
旧宇和島藩の家臣であった穂積家出身。
調べてみると東大の法学部の部長に就任している。
さらには枢密院議長など政府の要職も歴任。
ちなみにうたちゃんとのあいだには4男3女が育つとあった。
つまり子供が7人生まれるんだね。
そしてこの子供たちもとても優秀で、東大の法学部長を始め政府の様々な要職を勤めていることも記述してあったね。
見合結婚ながら2人を様子を見るとあたかも恋愛結婚のような熱々な雰囲気。
この2人から様々な分野で活躍する子孫が生まれた。
福祉事業を継続する苦悩
渋沢栄一は東京養育院の初代院長を務めている。
彼は弱者が切り捨てられる世の中をホンモノとは考えていなかったのだ。
ともすれば世の中からはじき出された者たちは日陰の身で小さくすぼまっていなければならない風潮が今でも蔓延している。
福祉政策で助けてもらうこと助けてあげることがあたかもサービスのような風潮は今でも心の中に残っているのは間違いないだろう。
そのことを真っ向から否定したのが渋沢栄一だと言える。
世の中で幸せに暮らしていくために犠牲者が出ることを絶対に認めなかった。
五代友厚が渋沢栄一をさして、岩崎弥太郎と似ていると。
それは2人ともとてつもなく強欲だからだと。
岩崎弥太郎は自分自身の利益追求の点で強欲だった。
渋沢栄一は同じように強欲だったがその雰囲気が若干違うと言える。
彼は自分の理想社会の実現に対して強欲だった。
その絶対に譲らない理念は
犠牲者を出さない。
困窮者の救済。
この2つはどうしても譲れなかったのだろう。
自ら様々な医療関係や、福祉関係の相談役にもなってこれら福祉事業に生涯貢献し続けている。
かなり有名なことだが、ノーベル平和賞の候補に2度ノミネートされたことが。
多分資本主義の祖としての渋沢栄一の功績では無いはずだ。
福祉に対する彼の考え方に評価が集まったのだと間違いなくそう思う。
千代の遺言
当時のコレラは、ほぼ助かることのない病だった。
感染力の強い病原菌は体内で際限なく増殖を繰り返し、激しい嘔吐と下痢。
これらの症状で体力を著しくそぐことになる。
やがてはそのまま息絶えることになるのだが、その衰弱する有様は私も人づてに聞いたことが。
それは太平洋戦争中の話だが、中国戦線で戦っていた兵隊たちの話。
当時の中国の水は、決して生では飲んではいけないとされた。
病原菌がうじゃうじゃいるのだ。
水を飲むときには砂などのろ過装置に入れてわずかに染み出てくるものを待って飲むしかない。
ある時、私に話をしてくれた兵隊の仲間が我慢できずに用水路の水をそのまま飲んでしまったようなのだが。
ここでコレラに感染。
激しい下痢と嘔吐、そして発熱。
こうなると、もう手の施しようがなくて小さな小屋を建ててそこに隔離すると聞いた。
そして水を欲しがるので、そのままそこら辺の汚染された水を仕方なく与えて息絶えるのを待つばかりだったと。
壮絶なのは、2 〜3日もしないうちに亡くなってしまうらしい。
死んだことを確認すると、小屋ごと燃やしてしまうと聞いた。
私は高校生の頃この話を聞いたが、身の毛のよだつ感覚は今でも忘れられない。
明治初期のコレラだと似たようなもんだったろうと思う。
物語の中で描かれた通りだと思う。
歴史の通り克明に描いていた物語だが、仕事でも決して順調とは言えず必死にあえいでいた様子がよく伝わってきた。
その上で、自分の妻の死に見舞われるのだ。
どれほどの苦しみがのしかかってきたか。
さて、青天を衝けはどうやら撮影が終了したとの事。
千代の亡くなった後、翌年には栄一は再婚することになる。
彼には、生涯面倒を見てくれる女性が周りに存在しているのが物語上とは言え、ちょっと皮肉にも思える。
最初の大きな試練を乗り越えることになる渋沢栄一。
物語の最後に向かって快進撃は続いている。