残り2回となった青天を衝け。
それぞれ15分拡大で60分番組で放送される。
物語は渋沢栄一の晩年を描く内容。
特に今回と来週の最終回に描かれるのは亡くなるまでの晩年。
物語を見ていて感じたのは、実業界を去った後も人道的な活動は決して止まる事はなかった。
この時代では本当にごく少数の戦争反対派。
時代は帝国主義絶頂で、列強諸外国は植民地を獲得することこそ生き延びる最上の手段と考えていた。
つまりは生き残るためには誰かを犠牲にし、その身を食って自ら生きながらえる。
結論から言えば犠牲にされる方はたまったものではない。
こんな風潮が日本全体に蔓延していることを心から嘆いていた渋沢。
彼はそんな日本の行く末を案じて、様々な啓蒙活動で戦争を避けるための講演などを行ったようだ。
目次
経済界活動は引退するが民間外交を推進
明治維新以降様々なアメリカ人が日本を訪れたがその誰とも関わりがあった渋沢栄一。
時代は明治も後半。
アメリカでは日本からの移民が10万人を超えていたが、日本人排斥運動が起こってそのことを危惧した渋沢は、自ら釈明のために和平を訴える旅に出たのだ。
そして、かつてお世話になった様々な人たちのお墓や記念碑などにも赴くために強行軍でアメリカ大陸横断を成し遂げていた。
描かれた物語はアメリカが専用列車を仕立ててくれてそれに乗って家族とともに優雅に旅する姿が描かれていた。
しかし、このときの渋沢栄一はすでに75才くらいと思われる。
今ならば印象として90歳近いおじいさんなのでは。
どんなに好待遇を受けたとしても辛いと感じたに違いない。
彼が危惧したのは、世の中がすっかりささくれ立っていて、戦争に向かって一色即発の危険をはらんでいる。
そのことをどうしても回避したい。
人が戦おうとするのは相手を理解しようと思う気持ちが欠けるからだ。
少しでも相手のことを思い、お互い腹を割って話し合うことができれば、決して戦争など起きたりはしない。
日本人はアメリカを奪い取るために移民したのではない。
よく働いてアメリカを豊かにするために貢献する。
手を携えて未来に向かって進んでいこう。
このときの演説が大勢の参加者を心から揺さぶることに。
尊王攘夷で、血気盛んだった渋沢栄一はもうどこにもいない。
人と人が進んでいくために必要なのは協力し合うこと。
そのための争いは戦争ではなく切磋琢磨なんだと。
彼は孔子の論語を座右の銘としていた。
東洋的な世界観は当時の殺伐とした帝国主義に一石を。
盟友の死
伊藤博文はアメリカとの交渉もさることながら中国大陸で日本の覇権を主張する。
政治家としては歴史に残る誰もが知る存在だが、彼を恨む人も多かったと聞いている。
中国、朝鮮では彼を担ぎ出して利用しようとする人たちも大勢いたのだが、はっきり言ってスケープゴードにされる危険も多分に。
その結果彼を見舞ったのは暗殺されること。
伊藤博文に個人的な恨みがあったわけではなく、日本政府の韓国に対する政治活動に反感を持った者たちの犯行。
ちなみに犯行をしたとされる安重根は現在は韓国の抗日運動の英雄と祀られている。
20世紀に入ってから、渋沢栄一とともに明治維新を生き抜いた様々な盟友たちは次々と亡くなることになる。
考えてみれば幕末から明治維新にかけてもたくさんの仲間たちが存在しただろう。
同じ志を持った渋沢栄一とは、1部の仲間たちだけが長く生きながらえた。
徳川慶喜を生涯敬愛
徳川慶喜から印象的な言葉が発せられていた
尽未来際 生きながらえたことに感謝
尽未来際の言葉遣いは日常生活で使われる事はほぼない。
仏教のお経を唱える文言の中にこの言葉は現れるので私的にはお馴染みな気がするが。
徳川慶喜は徳川家康を超える年齢まで長生きして77歳で天寿を全う。
役者たちの演技もさることながら、徳川幕府にとっても渋沢栄一がどれほど偉大な存在だったか。
特に大政奉還の後、かつての幕府は解体されて生存の危機に瀕していた。
その危機を作ったのが渋沢だと言う事は長くこの物語を見ていて感じること。
経済が果たす役割がどれだけ大切なことかを熟知していた渋沢。
そして、その経済発展のたどり着いた先に、自分の中でも訂正しなければならない厳しい現実を発見することになる。
お互い殺し合いをするようでは頑張ってきた甲斐がないと言うもの。
どこまでいっても平和であることこそが、世の中の基本理念でなければならないと。
息子篤二を廃嫡 新しい跡取り
渋沢栄一は息子篤二について厳しい決断をすることになった。
廃嫡とは勘当ほどではないが、家系の跡取りから外すと言う事。
彼が持っていた株券などおもだった財産は全て没収。
渋沢篤二は渋沢栄一の跡取りとはなりえなかった。
渋沢喜助が孫の敬三に語って聞かせていたよね。
篤二なりにがんばったが、向いてなかったんだよ。
俺も事業には向いていなかった。
俺が向いていたのは戦。
徳川家の幕臣として戊辰戦争では、白刃の下をくぐってきたのだと
渋沢栄一が両手をついて跡取りになってくれるよう頼んだのは孫の敬三。
彼が渋沢栄一の周りの中では1番ものになりそうな雰囲気だったんだろうね。
彼に土下座をして頼み込んで自分の跡取りになってくれるよう懇願。
彼は、渋沢栄一の後継者として大蔵大臣や日銀総裁など日本の要職を歴任している。
さらには日本の民族学の草分けとも言われていて、基本的には学者肌の人。
彼の博識さが渋沢栄一にはたまらなく魅力的に映ったに違いない。
写真を見ても渋沢栄一の面影がうっすらと残る。
さて、物語はいよいよ来週最終回。
渋沢栄一の切なる思いをあざ笑うかのように世界は第一次世界大戦から第二次世界大戦へ。
世の中は明治が終わり大正年間に。
そして渋沢栄一は誰よりも長生きで、昭和まで生きたことでも知られるのだ。