お盆の帰省から始まった物語は若い世代がどうやって親世代の志を引き継ぐかがテーマになりつつある。
気仙沼の亀島では、お盆が始まる時も終わる時も丁寧な儀式が繰り広げられる。
永浦家では雅代ばあちゃんの初盆とのこともあってよりみんなの思い入れは深い。
精霊流しのような風習
盆船
私も興味があっていろんな儀式を知っているが、この儀式だけは初めて見たかも。
物語の中に伝統的な風習を取り入れると、ストーリーに重みを増すと感じるのは私だけだろうか。
今日物語の中心は意見はあるだろうが私個人的には三生君。
彼は仲間たちや、モネちゃんのお父さんのアドバイスもあって自分の進むべき道にしっかりと向き合えるようになる。
若者が自分の進むべき未来に真剣に向き合っている姿を見るのはなんとも微笑ましい。
目次
盆船でたどる思い出
この地方独特の風習でお盆の最後にご供養のために藁で船を作ってそこにお供物を飾ってご先祖をお弔いする。
物語の中でその様子が詳しく語られていた。
モネちゃんもミーちゃんも当たり前のように船への飾り付けをしていく。
どんなに家族がいがみあっていても、たとえ喧嘩をしていたとしてもこういった先祖や亡くなった人たちをお弔いする気持ちはいささかも減らないことが、とても素敵に思える。
ともすれば生活の忙しさに流れてぞんざいになりがちな宗教行事。
改めて考えるけど、
このような宗教行事は誰かのためにの形をとるけれど、本当は自分自身の真心を証明する行為。
私も含めて周りの人たちはそういったことをあまり理解していないのでは。
誰かに手を合わせることお弔いをする事は、それはすなわち自分自身への感謝とねぎらい。
これは理屈で言うと嘘っぽく聞こえるし、何よりも色あせてしまうので、その雰囲気からそれぞれ察するしかない。
現代人が、最も見直すべき心のあり方がこんなことだろうと私は確信する。
三生君が見つめる父の背中
この写真の左の方の炎の後ろに見えるのは三生君。
モネちゃんの父耕治にさとされて、一旦は家に戻ってはみたもののすこぶる居心地が悪い。
目標としていた、父親に自分の将来をきちんと話すこともまるでできていないとの事。
ただ、父親には今のトンでる姿はどうやら見せられたらしい。
少なくともお坊さんを志す者の姿ではない。
三生君真面目だなと思うのは、少なくとも自分が今好きなこととかやろうとしていることがどうやら周りのコンセンサスは得られなさそうってことをよく理解してる。
そして家を継ぐことの責任の重大さもよくわかっている。
今日のエピソードではどうやら自分には逃れられない責任と向き合わなければならない厳しい現実があるのだと納得し始めている。
とりあえず、家には帰ってはみたもののそのままお寺に戻り続けるようでもなさそう。
仙台に戻って大学に復学するとの気持ちを固めた。
モネちゃんの父耕治はぶっきらぼうな言い回しながら三生君の置かれた境界は自分と重なる部分が。
耕治自身、父の後をつがずに今の仕事をしているわけだから、三生君にアドバイスできるのは自分しかいないとも思ったようだ。
耕治と三生
木の影から何気なくこの様子を覗いていたモネちゃん。
どうやら三生君は仙台の大学に戻る決心をしたとの事。
自分の父親がこんなアドバイスをするんだと納得できたかもしれない。
モネちゃん自身、自分たちの仲間が苦しむ姿はもう見たくない気持ちが強い。
この仲間たちそれぞれと耕治には共通の思い出がある。
それは音楽を通してやっていたブラスバンドでの活動。
子供たちにジャズの手ほどきしたのは耕治。
彼らみんなの師匠でもある耕治は子供たちみんなが自分の子供のようなものだと自覚しているようだ。
最近ではこんな形での近所付き合いというか、人付き合いはほとんど見かけなくなった。
古い時代の良い伝統が物語の中に取り入れられている。
及川家の現実
及川家は地震から3年経った今も仮設住宅住まい。
そういえば東北地方の沿岸は大勢の人たちが被災して住む家も何も失ってしまった。
仮設住宅の話はテレビのニュースでもよく聞いていた。
確か期限が区切ってあったはずだけど、なかなか思い通りにいかなかった話も伝わってくる。
ここから見てとれるのは、この番号に電話をして出るのは夫の新次だということ。
つまりこちらの家庭はもう奥さんはいないことを表している。
どうやら及川家では父親と息子の2人暮らしではなかろうか。
父親は地震で何もかも失って自暴自棄になって、もう漁師すらやっていない。
一体どれほどの借金を背負っているのだろうか。
地震の後、お金で緊急事態が起こった事は何となく理解できているが、おそらく歯がたたないような負債を抱えた可能性が。
いずれ、その辺の事は明日ぐらいにでも語られる可能性が。