ドイツ3大Bのひとり
目次
ヨハンセバスチャンバッハ パイプオルガンの第一人者
学校の音楽室でおなじみですよね。
ヨハン・セバスティアン・バッハは、ドイツ三大Bの一人として日本でもきわめて有名です。
バッハは18世紀の初頭のドイツに出た作曲家で、クラシック音楽界の中でもとくに、古典派と分類されます。
バッハが有名なのはパイプオルガン
パイプオルガンのことに関してはバッハが第一人者であり、バッハの前にバッハなし、バッハの後にバッハなしと云われた。
有名になったのは20世紀に入ってから
アルベルトシュバイツアーの果たした役割
バッハがオルガンの作曲家として世界的に有名な存在におしあげたのはアルベルトシュバイツァーであると言われてます。
この方はアフリカで現地の人をすくうための病院を建てて活動をし、その功績がみとめられてノーベル平和賞を受賞している。
彼は医者としてのイメージが強いが、元々は牧師さんでパイプオルガンの名手だったのです。
彼は医療活動をする前に、このパイプオルガンの演奏会で資金をかせいでいたと聞きます。
シュバイツアーのイチオシ
シュバイツァーはバッハのトッカータとフーガをこよなく愛しておりました。
シュバイツァーが紹介したものですからこの人気は世界的なレベルで広がりましたね。
しかし調べてみますと、この曲はバッハにしては少し変則的なつくりになっています。
ちまたでよく言われるのはカデンツァとよばれる部分がすごく多いこと。
つまり演奏家の自由意志で、アドリブ演奏がたくさん許されているんです。
バッハの時代の作曲は厳格なルールがきちんと決まっておりました。
この曲はそのルールから少し逸脱しているのですね。
それには理由があります。
トッカータとフーガはバッハが二十歳ごろの作品とされます。
バッハはこのころ最初の結婚をして、音楽家として夢と希望に燃えておりました。
この曲はそんなバッハの決意表明ともいえる曲です。
バッハがパイプオルガンで成功するにはそれなりの理由が
バッハの時代 だれかれパイプオルガンには近づけなかった
パイプオルガンはたいていの場合、教会の持ち物なのです。
パイプオルガンにさわりたければ、教会の牧師さんになるか、その教会や教会の所属する町の職員になるしかありません。
バッハは若いころから教会の音楽監督の地位に就いており、パイプオルガンを自由に使えたようなのです。
パイプオルガンを自由に使うためには、演奏するためのアルバイトを雇わなければいけません。
今のように電気のない時代ですから、演奏に必要なふいごを回すための人員です。
当時のパイプオルガンの演奏のときの裏方のようすです。
今は電気で何でもOKなのですが、昔はこうしなければいけなかったんですね。
実はパイプオルガンの曲を探してみると、バッハ以外の作曲家が極端に少ないんですね。
理由はこのへんにあるわけです。
ふつうの人はパイプオルガン自体になかなかたどりつけない。
バッハが就任していた音楽監督 カントル
今でいうところの市長と教育長の権限をあわせもったような存在です。
パイプオルガンに卓越した能力がなければ、なれないとされます
バッハは若くして就任していました。
毎週、教会ではミサが行われますが、そのときに聖書に基づいた讃美歌を毎回、発表します。
この時、演奏に欠かせないのがパイプオルガンです。
バッハはパイプオルガンの演奏に関して、その当時、第一人者の称号を与えられていました。
当時、新しいパイプオルガンができると必ずと言っていいほどバッハを呼んで試運転をしてもらったのだそうです。
バッハは作曲家としてよりも演奏家としての方が有名だったのですね。
作曲家として世界的に有名にしたのは、シュバイツァー
したがってバッハが本格的に有名になったのは20世紀に入ってからだったのです。
意外なことですが、いま有名な曲たちはバッハが音楽監督の立場からこしらえた曲ではないですね。
どれもが楽器本来の性能を保つためにつくられたような曲が多いのです。
オルガン曲の名曲こちらはどうでしょうか
バッハ: パッサカリア (とフーガ) ハ短調 BWV582 アラン
この曲はバッハが40代半ばの作品とされます.
まとめ
あえてこの曲をここで紹介するのは、シュバイツァーが最高傑作としたトッカータとフーガ、20歳の作品と比べたかったからです。
大きな違いがあると思いませんか。
勢いだけではなく、作品の中に入りこむような奥行を感じるかと思います。
バッハほどの作曲家なのでどれが最高とか、なかなか決めかねるものがあるんですが、この2曲はバッハの作曲年代の特徴が良く出ていると思いますね。
バッハのパイプオルガンの曲は、なかなかメジャーな趣味とは言えないかもしれませんが、音楽が好きな人ならばこのへんのものを追求して聞いてみるのもいいのかなと思いますね。
今と違ってレトロな装備しかなかった時代に、これだけのものを作って精神的な世界を表現しようとした欧米人の情熱におどろきと感動を覚えざるをえません。